第14話 カーラと兄と王太子(後編)


 突如として聞こえてきた低い声に三人が同時に振り向けば、そこには険しい表情でこちらを睨む兄の姿がある。


「……いやぁ、兄さん。今のは言葉のあやというもので……」

「それに卒業してもう四年も経ってるし、今さら良いも悪いも……」


 双子は先の失言を誤魔化そうとするが、クリスに通用するはずもなく……。


「馬鹿者がッ! スペンサーの名を汚す気か、この恥曝はじさらしが! 少しはウィリアムを見習ったらどうなんだ‼」


 四人兄妹の長兄クリストファー・スペンサーは、ただでさえ鋭い目つきをさらに細め、エドワードとブライアンを怒鳴りつけた。


「お前たち、昨夜は夜会をすっぽかして何をしていた? 主催が不在の夜会など前代未聞だ!」


 クリスのただならぬ形相に、双子は頬を引きつらせる。


「やー、でも主催は父さんだし、あとは母さんと兄さんがいれば十分かなって。――な?」

「ああ。――で、でも俺は、本当は参加するつもりでいたんだ! けど……エドワードがどうしてもって言うから」

「なっ……違うだろ⁉ 最初に言い出したのはお前の方だろ⁉」

「でもその後やっぱりやめようって……次の日にしようって俺は確かに言った!」

「はあ⁉ お前――ふざけるな!」

「そっちこそ、勝手に記憶改ざんするなよ!」


 二人の不毛な言い争いに、とうとうクリスはぶち切れる。


「いい加減にしろ! ウィリアムは昨夜婚約したぞ! お前たちもそろそろ身を固めたらどうだ!」


 まるで問い詰めるかのような口調でそう告げるクリス。

 けれどその言葉に反応したのは双子ではなく、妹カーラの方だった。


「クリスお兄さま、教えてください! ウィリアム様のお相手のアメリア様とは、いったいどのようなお方なのです!」


 彼女はクリスを見上げ懇願する。


「エド兄さまとブライアン兄さまが、アメリア様には良くない噂があるって。でも、それ以上教えてくれなくて。クリスお兄さまなら、知っているでしょう?」

「それを知ってどうする。ウィリアムに忠告でもする気か?」

「それは……内容次第ですわ」


 カーラはそう言いつつも、その言葉とは裏腹に躊躇ためらいがちに瞼を伏せる。

 そんな妹を、クリスは一瞥いちべつした。


「カーラ、お前ももう十六だ。子供ではない。自分の品位をおとしめるようなことは考えるな。愛だの恋だのと、そんな不確かなものにうつつを抜かすのは止めろ」

「……っ」


 兄のあまりにも冷たい言葉。そしてその憐れむような視線に、カーラはそれ以上何も言えずに押し黙るしかなかった。


 すると、エドワードとブライアンはそんな妹の姿を不憫ふびんに感じたのだろうか。カーラを庇うように兄クリスを睨みつける。


「兄さん、さすがにそれはないんじゃないか」

「ああ、言い方ってものがある」

「何だと? そもそもお前たちがそんな風に甘やかすから、カーラも分別ふんべつが付かなくなるんだ。ウィリアムとて願い下げだろうな」

「な――、兄さん! 言っていいことと悪いことがあるだろう!」

「それ以上言ったら俺たちが許さないぞ!」


 二人はクリスを責めるが、けれどクリスは冷笑れいしょうするのみ。


「そういうことは一人前になってから言うんだな」


 馬鹿にするように吐き捨てて、弟らを飽きれた顔で見下ろすのだ。


 もはやエドワードとブライアンでは太刀打ち不可能な状況に思えた――そのときだった。


「相変わらずだな、クリスは」――と、冷え切った空気を打ち破る――王太子アーサーの声。


 突然背後から聞こえてきたその声に、クリスは振り向くよりも先に顔を曇らせた。


 それは彼がアーサーを好ましく思っていないからなのか、あるいはアーサーの登場によって、双子の弟の表情から緊張感が消え去ってしまったからなのか――彼自身にもよくわからなかったけれど。


「……殿下。お出でになるとは聞いておりませんでしたが――」


 王太子に向けるにしてはあまりに憮然ぶぜんとした態度で、クリスはアーサーと、そして双子の弟らを順に見やる。


「せめて先触れを。それに勝手に屋敷内を歩き回るのも止めていただきたい。ここは貴方の住まう王宮ではないのです」

「ははっ、何を今さら。この屋敷は王宮に比べてずっと平和で安全だと思うが?」

「たとえそうであろうと、あなたに万一のことがあれば責任を問われるのは我が家門。せめて単独行動は控えていただかなければ」

「確かに、それはそうだな。だが今日は許してくれないか。友人に会いに来ただけなんだ。わざわざ次期当主の君の手を煩わせるつもりもない。――もちろん、護衛も不要だ」

「……今日も・・・、の間違いでしょう」

「なんだ、わかってるじゃないか」


 エターニア国の第一王子であるアーサーという男は、なんとも掴みどころのない性格で有名だった。けれどそれ以上に噂されるのは、彼の外見上の美しさ。


 童話にでも出てきそうなほど整った顔立ちに、女性のごとく白い肌。銀色の細く長い髪は首の後ろでざっくりとまとめられ、その立ち姿だけでも神秘的だ。


 加えて彼をより一層印象づける、その深いアメジスト色の――まさに紫水晶の名のごとく――透き通った瞳。その瞳に見つめられると、誰もが自分の心を見透かされたような、そんな不思議な気持ちになった。


「それよりクリス。その呼び方はよしてくれないか。俺のことは名前で呼べと、前から言っているだろう?」

「そういう訳には参りません。殿下を名前で呼ぶ弟らが異常なのです」

「ウィリアムも俺を名前で呼ぶぞ?」

「彼は――……とにかく、私は結構ですから」


 クリスの返答に、アーサーは残念そうに眉を下げる。


 ――今まで何度このやり取りを繰り返しただろう。けれどクリスは決して首を縦に振ろうとしない。


 アーサーは深いため息をつく。


「クリスは本当に素直じゃないな。さっきの話もだが……そうだ、こう言ったらいい。大事な大事な妹をウィリアムに渡したくない、とな」

「――ッ!」

「そんなに怖い顔するなよ。家族を愛するのは別に悪いことじゃない。――と、それよりも……」


 アーサーは思い出したようにカーラの方へ歩み寄る。まるで子供が悪だくみを考えているかのような笑みで、カーラの瞳を覗き込んだ。


「カーラ嬢の想い人が我が親友ウィリアムというのは本当かな? 彼が婚約したというのも?」

「――っ」


 するとカーラは先ほどまでの悩みっぷりが嘘のように、途端に顔を赤らめる。


「あっ、アーサー様……⁉ ――えっと……その……」

「おや、すまない。驚かせたか」

「い――いえっ、そんな……そんなことはありませんわ!」


 しどろもどろになるカーラ。

 そんな妹の姿に、エドワードとブライアンは呆れかえる。


「おいおい、お前、気が多すぎるだろ」

「ウィリアムのことが好きなんじゃなかったのかよ」

「も、もちろんわたしはウィリアム様一筋ですわっ! でも、それとこれとは話が別ですのよ!」

「はぁ?」

「別ぅ?」


 ――そんな弟妹ていまい三人の会話に、クリスは怒る気力を無くしたようだ。辟易へきえきしたように息を吐き、四人に背を向けた。


「馬鹿馬鹿しい。私は下がらせていただきますよ、アーサー王太子殿下」


 そう捨て台詞を吐くと、そのまま部屋を出ていってしまった。

 アーサーはそんなクリスの背中を黙って見送り、再びカーラに問いかける。


「それで? ウィリアムが婚約したというのは本当なんだな?」

「は、はい。昨夜の夜会で、サウスウェル伯爵家のアメリア様と……」

「ふむ。あの悪名高きアメリア嬢か。これはなかなか面白いことになってるな」


 アーサーがニヤリと口角を上げると、カーラは顔を曇らせた。


「悪名高き……とは? わたしは昨夜、初めてアメリア様にお目にかかりましたが、とてもお優しそうな方でしたわ」

「ほう。優しそう? 噂とは正反対だな。聞くところによれば、冷酷非道、傍若無人。あだ名は確か、氷の女王・・・・だったはずだが」

「――っ、それは事実ですの?」


 カーラの顔が蒼くなる。


「さあ、私はアメリア嬢にお会いしたことがないのでな。噂の真偽はわからない。――だがそこの二人なら、会ったことあるんじゃないのか?」


 アーサーの視線がエドワードとブライアンを捉える。

 すると二人は毎度のことながらお互いの顔を見合わせた。


「俺たちだって何度も見たわけじゃない。彼女は社交場嫌いで有名で、年に数回しか顔を出さないから」

「そうだ。俺たちが彼女を見かけたのだって、せいぜい二、三回……」

「――で、その二、三回はどうだったんだ?」


 アーサーは是も非も言わさぬ様子。

 そんなアーサーに、心底嫌そうに顔をしかめる二人。


「……えー、それ、どうしても話さなきゃ駄目?」

「正直、彼女の話はしたくないっていうか……」

「駄目だ。これは命令だ」

「……はぁ、そーかよ」


 さすがの二人も王子にここまで問われては答えないわけにはいかない。

 彼らは観念したように口を開く。


「――そう、確かあれは三年前……」

「俺たちはアメリア嬢を初めて夜会で見かけて、声をかけたんだ」


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