愛しのあの方と死に別れて千年〈1〉

夕凪ゆな

第1章 千年の記憶

第1話 千年の記憶


 一度目は、領主とただの町娘だった。


 彼と死に別れた私はなぜだか前世の記憶を持ったまま次の生を受け、再び彼と出会った。これはきっと運命だと、私は期待に胸を躍らせて彼の屋敷を訪れた。

 でも……違った。彼は私を覚えてはいなかったのだ。


 彼の屋敷の前で、前世の彼の名を呼んで泣き叫ぶ私を、部屋の窓から気味悪げに見下ろす彼の瞳。そのときの私の絶望は、誰にも理解できないだろう。

 それ以降、彼には二度と会うことはできずに、私は流行病はやりやまいにかかって死んだ。


 二度目は使用人同士だった。

 年頃になった私は、貴族のお屋敷で下働きとして働くことになった。その屋敷で庭師をしていたのが彼である。


 私は再びときめいた。今度は失敗しまいとつつましく過ごした。

 前世の記憶があるのは私だけ。彼は過去の記憶がある気配はない。


 気味悪がられないように、ただの女中として――周りの誰よりも必死に働き、主人にも彼にも認められるように頑張った。

 そしてついに彼と恋人になり、結婚の約束をした。


 けれど結婚を目前に、彼は死んでしまった。だから私は毒を飲んだ。


 三度目、私は年頃になる前に死んだ。親友だと思っていた者に裏切られたのだ。

 いや、彼女の行動は正当なものだっただろう。前世の記憶があるなどと口を滑らせた自分が悪かったのだ。


 魔女扱いされた私は、十字架に張り付けられ、火であぶり殺された。


 四度目、二十歳はたちになってようやく彼を見つけた。

 けれど彼には既に婚約者がいて、私の入る隙はなかった。

 私は彼をひっそりと見守った。こちらの姿は見せず、彼と恋人の結婚式を遠くから見学した。


 幸せそうな彼の笑顔。私以外の女性に向けられる熱い視線――。


 私の心は嫉妬の業火で燃やされた。やはり耐えられなかった。あの愛しい人が、他の女性を愛することに。

 すべてに絶望した私は、その夜川に身を投げた。


 そんなことを、何度も何度も繰り返した。

 十回、二十回……繰り返すうちに気が付いてしまった。


 私が彼に近づけば近づくほど、彼は不幸になると。

 ましてや恋人になどなろうものなら、何らかの理由で死んでしまうのだということに――。


 ――これは呪いなのだろうか。


 いつしか私の心は絶望の色に塗りつぶされていた。


 私が彼を遠くから見ている限りは、彼が不幸になることはない。他の心優しい女性と結婚し、子供を作り、幸せになるのだ。


 けれど、愛する彼の幸せが私の幸せ、とはどうしても思えなかった。

 私だけを見てほしかった。私だけを愛してほしかった。けれどそれは決して叶わない。


 なぜ記憶が消えないのか。消えてくれればこんなに辛い気持ちにならずに済んだのに。なぜ私だけ……どうして彼は私を思い出さないのだろうか。


 いつしか私は私を――そして彼を、憎悪していった。


 そうして転生を三十回ほど繰り返した頃、私は彼以外の男と結婚し子供を産んだ。

 夫は私を心から愛してくれた。子供も私を母としたい、とても大切にしてくれた。


 それなのに、私は誰も愛せなかった。いやしい呪いを受けた私に、誰かを愛する資格などない。そんな卑屈な思いだけが、私の心を支配するようになった。


 あるいは……そう。人を愛することが怖かったのかもしれない。愛する者を再び失う恐怖から、目を逸らしたいだけだったのかもしれない――。


 ちょうど四十回目の転生で、私はついに貴族の家に生まれた。


 地方に住む男爵家。私は転生を繰り返すうちに、いつの間にか多くのことを学んでいた。

 語学、哲学、経済学、薬学、医学、そしてダンスに、裁縫、料理に乗馬。


 私の知識は、天才と呼ばれる者たちが一生で成し遂げるだろう何十倍もの量に膨らみ、その知識、経験に比例するように私が生を受ける家柄は上がっていった。


 おかげで暮らすには困らない。理由もなくむちで打たれたり、罵声ばせいを浴びせられたりすることもない。

 あの人と死に別れたときのように、戦争に巻き込まれて 命を落とすこともない。


 けれど良くないことが一つある。それは家柄が良くなるほど、世間が狭くなることだった。


 私の転生した先には必ず彼もいる。その彼はいつだって私より身分が高く、私の生まれる家の階級が上がるほど、彼はそれより上の階級として生を受けるのだ。


 私の心は既に卑しくすさんでいる。心は荒野のように荒れ果て、水は枯渇し、一滴の血も流れていない。


 けれど、彼の不遇な死を見るのだけはもう嫌だった。

 嫌われても、ののしられても、彼が他の女性を愛しても、もう私の心には響かない。けれど死だけは駄目なのだ。彼の死だけは、何度繰り返しても耐えられないのだ。


 だから私は焦っていた。

 ちょうど千年。あの日彼と死に別れてから、ちょうど……きっかり。


 なぜ、何の因果なのか。私はこんなことは望んでいない。今まで一度だって、このようなことはなかったのに……。



「アメリア、聞いているのか」


 たしなめるようなその声に、私はハッと顔を上げた。私としたことがあまりの内容に思考を飛ばしてしまったようだ。


 私の前には、仕事机に両肘を付き、眉間に深い皺を寄せるお父様の姿。


「お父様、そのお話、本当に事実なのでございますか?」


 私はなるべく平静を装う。本当は今にも叫び出したい気持ちだが、この私、アメリアがそのようなことをするはずがない。


 私は震えそうになる右手を左手で押さえ、お父様の様子をうかがう。

 するとお父様は、ううむと難しそうにうなった。


「事実だ。私とて信じられん。まさかお前に縁談などと……しかも相手はウィンチェスター侯爵のご嫡男、ファルマス伯爵。アメリアお前、ファルマス伯と親しい間柄だったのか?」

「まさか。私が殿方とのがたと親しくなるなどあり得ませんわ。それはお父様が一番よく知っていらっしゃるはず」


 今回の人生で私が生を受けたのはこのサウスウェル伯爵家だった。


 我がエターニア王国で伯爵の爵位が授けられている家は二百ほど。その上の侯爵の爵位を持つ家は三十ほどだから、如何いかに侯爵の身分が高いのかがわかるだろう。


 その侯爵の御子息ファルマス伯……そう、ウィリアム・セシルが私に縁談を申し込んできたのである。ウィリアム・セシル……私がかつて愛した彼――。


 けれど、これは絶対に受けてはならない縁談だ。何がどうなって、いったいどんな理由で彼が私に縁談を申し込んできたのかは知らないが、私が彼に近付くことは許されない。


 今まで極力関わらないように生きてきた。社交は必要最低限のみ、お茶会も、夕食会も、彼の視界には入らないように気をつけてきた。

 それもこれも、全ては彼を不幸にしないため。こんなことで、彼の命を脅かしたりはしたくない。


「お父様、その縁談お断りしてくださいませ」


 私の言葉に、お父様はピクリと眉を震わせた。さすがに侯爵家からの申し出を断るわけにはいかないということだろうか。しかしこちらには切り札がある。


「娘は傍若無人ぼうじゃくぶじんで恥知らず。嫁がせなどしたらセシル家の恥となることでしょう、私とて我が家の恥をこれ以上晒すわけにはいかない、申し訳ありません。などとお返事なさればよろしいですわ」


 私は淡々と意見を述べる。

 するとお父様は両腕を組んで、椅子に深く腰かけ直した。


 ――短いブロンドの髪が微かに揺れる。切れ長の瞼はさらに鋭く細められ、そこに揺れるのは深い碧の瞳。


 最近顔に皺が目立つようになってきた。年は四十になったばかりだが、この皺を深くした原因が自分だと思うと、さすがの私も少しは申し訳ない気持ちになる。


 けれどそれとこれとは話が別だ。いくらお父様がこの縁談を進めようとしても、それだけは受け入れられない。それならば私が今ここで死ぬ方がマシ。


「アメリア、お前ももう十八だ。そろそろ結婚相手を見つけねばならん」


 お父様は目を伏せたまま唸るような声を上げる。

 正直断りたくないのだろう。相手は侯爵家であるし、本心ではこの私に縁談が申し込まれたことに安堵しているのかもしれない。


 けれど、本当にそれだけは駄目なのだ。――私は今までの自身の行動を呪う。


 私は今まで極力人付き合いを避けてきた。それはこの私の存在自体がおそらくあってはならないもので、うとましがられる存在であることを自覚しているから。そして同時に、彼に繋がる糸を一本でも増やしてしまいたくなかったから。


 友人も作らず、恋人も作らず、ただひっそりと暮らしてきた。私に近付く者には冷たく当たり、挨拶をされても無視をしてきた。

 そうすれば誰も……彼も、私には近付かないだろうと高をくくっていたのだ。


 それがなんという誤算。こんなことになるのなら友人知人の一人でも作っておくべきだった。そうすれば、先約があるなどとごまかして断る理由の一つにもなったのに。


 ――こうなれば、もう直接断るしか……。

 そこまで考えて、私はふと名案を思い付く。


「――そうだわ」


 別にこちらから断る必要はない。向こうから申し出を取り下げてもらえばいいのよ。

 私はそのことに気付き、顔に笑みを張り付ける。


「お父様、その縁談お受けすることにいたしましょう。簡単な食事会でも開いてくださいませ。――いえ、お茶会で十分ですわね。わたくしが直々じきじきに準備致します。ファルマス伯もわたくしを目の前にすれば、目が覚めることでございましょう」

「アメリア……何をするつもりだ」


 お父様は顔色を悪くする。

 あらいやだわ、どんな想像をなさっているのかしらね。


「ご心配なさらなくとも、この家の名を汚すようなことは致しません。では、わたくしはこれで失礼致しますわ。伯爵様にお手紙をお出ししなければ」


 私はふわりとドレスの裾を持ち上げてお父様にお辞儀をする。お父様は大層不安げな表情をしているが、私はそれに薄い笑みを返して、書斎を後にした。

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