第2話 縁談の相手
自室に戻ると、そこには侍女のハンナがいた。彼女はいつにも増してご機嫌な様子で、鼻歌を歌いながらお茶を入れている真っ最中だった。
「今日はお嬢様のお好きなフレオールの茶葉ですよ。ミルクはお入れになりますか?」
「ストレートでいいわ」
「かしこまりました」
私より一つ年上のハンナ。栗色の瞳と赤い髪、そして健康的な肌の色にぴったりの、ひまわりのように明るい性格の彼女。
姉のような、妹のような――それでいて友人のような、私が唯一心を許せる存在だ。
彼女は手際よくお茶とスコーンを用意しながら、嬉々として話し出す。
「ファルマス伯より縁談を申し込まれたとお聞きしましたわ。さすが我がお嬢様でございます」
「もう広まっているの?」
「そりゃあそうですよ。相手が相手ですもの!」
私はソファに腰かけ頬杖をつく。今までの十八年の平和が一瞬で崩れ去ったことに、ある種の怒りすら感じながら。
私がため息をつくと、ハンナは何か勘違いしたのだろう、口元に手を当て不自然な笑い声を上げた。
「ファルマス伯――ウィリアム様といえば、アーサー王太子にも引けを取らず、ご令嬢方の人気を
「…………」
訂正するだけ無駄ね。
私はハンナの言葉を右から左へ聞き流し、ティーカップを口へと運んだ。
――温かい。ハンナの入れたお茶を飲んでいるときが、私の心が休まる唯一の時間。
「……ファルマス伯ね」
私はカップをサイドテーブルに置き、ファルマス伯の姿を思い浮かべる。
すらりと高い身長、栗色の髪にヒスイ色の瞳。顔立ちは凛々しいというよりは甘い――と同時に、私はとあることに気が付いた。今の彼の容姿が――私の記憶の中の、千年前の彼の姿と同じであることに。
「……まさか」
なぜ今の今まで気が付かなかったのか。今回の彼の姿は、幾度となく転生を繰り返した彼の姿の中で……最初の彼に一番近い。
――心によぎる、一抹の不安。
私はハッとして、ドレッサーを覗き込んだ。そこに映るのは十八年間付き合ってきた、見慣れたはずの自分の顔。
お父様と同じ金色の髪、碧い瞳、お母様譲りの真っ白な肌――ああ、それはまるで千年前の自分の姿。記憶の底に封印していた――忌まわしき女の生き写し。
「――ッ」
なんてこと。こんなことはこの千年の間一度もなかった。私や彼が当時の姿をしていることも、彼の方から近付いてくることも、ただの一度もなかったのに。
――こんな偶然あり得ない。あり得るものか……。
いったいどうしてこんな……。今、何かが起きている? それともこれから起こるのか。
だが確かめる
「お嬢様……?」
ハンナが心配そうに私の顔を覗き込む。
そんな彼女の姿に、これ以上動揺を見せてはならないと、私はいつもの無感情を装った。
そう――アメリアは感情を表に出さない。そうでなければ……そうでなければ……。
「……ハンナ」
「は……はいっ」
「あなた、私に
「え……ええっ⁉」
確実に先方から縁談を取り下げさせる方法。それを思い付き、私はニヤリと口角を上げる。
我ながら酷い方法だとは思う。けれどこれならばファルマス伯は確実に私を嫌悪することだろう。私を
けれどそれでいいのだ。ハンナには悪いが、これも侍女の役目というもの。
「……待っていなさい、ファルマス伯爵」
私は決意する。私の愛した彼――愛し合った彼――その姿で私を嫌悪し否定する姿を想像して。
――ああ、これをきっかけに、私の心もようやく解放されるのかもしれない。かつて愛した彼の姿で私自身を否定されれば――この呪いも解けるのかもしれない。
そんなことを考える鏡に映った自分は、まるでおとぎ話に出てくる魔女のように荒んだ顔をしていた。
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