第53話 偽りの筋書き(前編)
ガタンと大きく馬車が揺れ、私は咄嗟に隣に座るウィリアムの腕を掴む。
午前中の雨でぬかるんだ地面が、いつも以上に馬車を揺らしていた。
「やはり揺れが酷いな……。すまない、君をこんな馬車に乗せることになってしまって。もし気分が悪くなるようなことがあれば言ってくれ。すぐに止めさせるから」
ウィリアムはそう言って、申し訳なさそうに私の顔を覗き込む。
まぁ確かに、貴族の馬車に比べれば揺れが大きいのは事実だ。
けれど遥か昔は、荷馬車の荷台に乗って移動していたくらいである。この程度の揺れ、本来の私ならばなんてことはない。……ないはずだった。――そう、本来の私なら。
――ああ、痛いわね……。
私は右腕の包帯を睨みつける。
ガラスで切った右手の傷――それは既に手当てを受けているのだが、どういうわけか痛みが増しているのだ。
馬車の揺れに従って、疼くような痛みが全身に広がっていく。我慢できないほどではないが、なかなかに辛いものがある。
ともかく痛みが限界を迎える前に、先ほどのライオネルとのやり取りの真意を聞き出さなければ……。そう考えた私は、斜め前に座るルイスへと視線をやった。
するとルイスは、私の意図に気付いてくれたようだ。
「ウィリアム様、そろそろ教えて差し上げたらいかがですか? 先ほどのライオネル様に対する、あなたの態度のその
「あ……ああ、そうか。そう……だったな」
ウィリアムはルイスに促され、躊躇いがちに口を開く。
「まずは謝らせてほしい。今回のことは全て、もとはと言えば俺のせいだ。君が川に落ちたことも……声を……失ってしまったことも……」
「……?」
ウィリアムは酷く言いにくそうな顔で謝罪の言葉を述べた。
けれど私には、その意味が少しもわからなかった。腑に落ちないままの私に、ウィリアムは言葉を続ける。
「言い訳をするつもりはない。けれど俺は、アーサーがまさか君に手を出すだなんて思ってもみなかったんだ」
「……っ⁉」
「だが勘違いしないでほしい。彼を庇うつもりはない。あいつは許されないことをした。そしてそれに気付かなかった、その可能性を考慮しなかった俺に、全ての責任がある。当然、許してもらえるとは思っていない。許してもらいたいとも……そんなこと、言う権利は俺にはない。俺にできるのは……ただ、君に誠心誠意謝ること……それだけしか……」
――ああ、これはいったいどういうことだろう。ウィリアムは今回のことが、全て自分のせいであると――いや、アーサーのせいだと思っているのだ。私が川に落ちたのも、声を失ったことも、事故ではなくアーサーのせいであると。
当然、そうなるように仕向けたのはルイスだろうが……。
私が困惑していると、今度はルイスが口を開く。
「アメリア様、私からも誠心誠意の謝罪を。その手首の傷は、昨日のアメリア様のご様子を知っておりながら側を離れた私の責任。万が一傷が残るようなことになれば、いかようの処分もお受け致します」
そう言って、ルイスは座席に腰を下ろしたままに深く頭を下げた。
その姿に私は悟る。つまりそういう筋書きなのだ、と。私の手の傷が無くとも、昨日私の声が出ないことがわかった時点で、ルイスの中ではこのシナリオが出来上がっていたのだ。
アーサーを貶め、ウィリアムにそれを庇わせる形で私との仲を取り持とうと考えた。
ああ、なんと卑劣なやり方だろう。けれどルイスの命令には絶対服従の契約がある限り、私がこの筋書きを壊すことは許されない。――それに……。
再びウィリアムを見上げれば、私をまっすぐに見つめる彼の真剣な瞳があって……どんなシナリオだろうと、それが偽りであろうとも、構わないと思ってしまうのだ。
「アメリア、聞いてくれ。俺はアーサーと縁を切った。彼が君の前に姿を現すことは二度とないだろう。もし万が一のときは、俺が君を守ると誓う。だから……」
言いながら、そっと私の右手を取るウィリアム。そこに巻かれた包帯に、ウィリアムの顔が悲しげに歪んだ。
「二度と、こんなことはしないでほしい」
まるで私を心から心配しているように、まるで本当に愛しているかのように、私を見つめるウィリアムの瞳。――その視線に、胸が熱くなる。
――そう、そうよ。……答えなんて最初から決まってる。
ここまで来たら引き返すことはできないのだ。私がやるべきことは、ウィリアムを愛し、愛される……ただ、それだけ。
だから私は微笑みかける。すると彼はようやく安堵の表情を見せ、はぁっと緊張が解けたように大きく息を吐いた。そして――。
「それでなんだが、王都に戻ったら君のお父上にお願い申し上げようと思っているんだ。できるだけ早く君を我が侯爵家の屋敷に迎え入れたいと。結婚前だが前例がないわけではないし、我が家に慣れてもらうためだと考えれば……。どう、だろうか?」
「――!」
予期せぬウィリアムの提案に、私はただ驚くほかない。
こんなにも早く私とウィリアムが一緒に住むだなんて、いったい何をどうしたらそんな話になるのだろう。これもルイスの筋書きなのだろうか? ああ、きっとそうに違いない。
でも、たとえそうであったとしても、私にはこの話を喜ぶ理由はあれど、断る理由などひとつもありやしない。かつてのエリオットと共に過ごす生活を私がどれだけ夢見たことか。けれどそれが今、現実になろうとしている。
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