第4章 湖のほとりで
第19話 ボート遊び
「お嬢様、この晴れやかな空をご覧ください! 絶好のボート日和ですわ!」
それはウィリアムと婚約を結んだ夜会から約三週間が経った――今にも季節が夏に移り変わろうとしている頃のこと。
ウィリアムとボート遊びに出掛ける時間を目前にして、ハンナはいつも以上にテンションが高く、窓から外の様子をうかがっていた。
「いいですか、お嬢様! 一に笑顔、二に笑顔ですからね!」
「わかったから、窓の外に頭を出すのはやめてちょうだい。落ちたら怪我じゃすまないわ」
「ご心配なく! 運動神経には自信がありますから!」
「そういう問題じゃないのよ」
私は彼女の浮足立った様子に辟易しながらも、顔に笑みを張り付ける。
口では彼女の言葉を肯定しつつも、内心では「いっそ雨でも降ってくれたら良かったのに」と、晴れ渡る空を呪っていた。
先のハンナの言葉どおり、今日はウィリアムに誘われてボート遊びに出掛ける日。約束の時間はまもなくだ。――けれどその時間が迫るにつれ、私の憂鬱さは増していた。
「本日はアーサー王太子殿下もお越しになるのでしょう? はぁ~、きっと素敵な方なのでしょうね。一目お目にかかりたいですわ」
「殿下、ね」
そう。それが今日の憂鬱の種だった。
ウィリアムだけならいざ知らず、まさか王子と共に外出など、誰が嬉しいものか。面倒なだけに決まっている。
「ハンナ。あなたは王子という存在に夢を見すぎよ」
「そうでしょうか? ではお嬢様は、王子に夢を見ないでいったい誰に夢を見ろとおっしゃるんです?」
「それは難しい問題ね。けれど殿下は色好みで有名なのよ。侍女にも平気で手を出すんですって」
「侍女にも、ですか?」
「そうよ。といっても無理強いはしないらしいけど」
「そうなんですか……。でも、それってつまり私にもチャンスがあるということでは?」
「あなた、本気で言ってるの?」
私はハンナの言葉に呆れかえる。――と、そのときだった。
再び窓の外に視線をやったハンナが、「あっ!」と大きく声を上げる。
「いらっしゃいましたわ!」
その声を追って私も外に目をやれば、そこには二台の黒塗りの馬車が止まっていた。
一方は二頭立ての一般的な貴族の馬車。そしてもう片方は、四頭立てのひときわ立派なものである。おそらく四頭馬車の方に王太子であるアーサーが乗っているのだろうが……。
「二台ですって?」
ウィリアムからの手紙には、今日の外出はアーサー様とカーラ様、そしてウィリアムと私の四人で、と書かれていた。四人なら馬車は一台で十分なはずである。しかし、実際は二台。
――いったいどういうことかしら?
よくよく馬車を観察すれば、二頭立ての方はウィンチェスター侯爵家の馬車で間違いないが、四頭立ての方は王家の馬車でも、ウィンチェスター侯爵家の馬車でもないことに気付く。
「あれって……スペンサー侯爵家の紋……?」
どうしてスペンサー侯爵家の馬車がうちに……? まさか……。
瞬間、脳裏によぎる二人の顔。――その予感は的中した。
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