第9話 予期せぬ求婚


 王都でも有名な荘厳そうごんな建物に足を一歩踏み入れると、煌びやかに輝くシャンデリアが客人を出迎える。

 ゆうに五百人は収めるであろうその大広間。大理石の床は鏡のごとく磨き上げられ、壁や天井には美しい彫刻が施されている。


 今夜サウスウェル伯爵家が招かれたのは、スペンサー侯爵家の主催する夜会であった。

 スペンサー侯爵は上級貴族でありながら宝石商としても名の知れた人物だ。最近は領地の管理を三人の息子達に任せ、侯爵自身は商売にのみ精を出していると聞く。

 彼は商売で成した財で頻繁に夜会を開き、そこで更なる商売を行うのだ。今夜の夜会も例外ではない。


 アメリアは両親の後について大広間に入る。

 するとさっそくアメリアに向けて、ヒソヒソと悪意ある言葉がささやかれた。


「あら、珍しい方がいらっしゃったわ」

「今日はどんな騒ぎを起こしていかれるのかしら」

「しっ。黙ってらした方がいいわよ。ワインをかけられでもしたらたまらないわ」

「でも今夜はなんだか雰囲気が違ってらしてよ。そうは思いませんこと?」


 それは文字どおりほんの囁き声であり、アメリア以外の者には届かないほどの声量だった。

 けれど、アメリアにはそれがはっきりと聞き取れる。


 アメリアが声のした方に顔を向ければ、自分と年が近いと思われる三人の令嬢がソファーに腰かけこちらを見ていた。

 口元を扇で隠している彼女たちは、アメリアに声が聞こえているとは思わなかったのだろう。アメリアと視線が合うと、ぎょっとして一斉に顔をそむける。


 だがアメリアの表情は変わらない。彼女は何も聞こえなかった振りをして、令嬢方に向かって嫌みのない笑みを向けた。

 ――と、そのときだった。


「アメリア嬢……?」――と、アメリアにかけられる聞き覚えのある声……。


 その声の主は他でもないウィリアムだった。

 ――さっそく接触できるとは幸先さいさきが良い。

 アメリアはそう考えながら、ゆっくりと後ろを振り返る。


「ごきげんよう、ウィリアム様」

「あ……ああ」


 振り向いた先、ウィリアムの顔に浮かんでいるのは明らかな戸惑いだった。

 なぜならウィリアムにとって、アメリアの登場は予想外だったからだ。


 サウスウェル伯爵夫妻がこの夜会に招かれていることは当然知っていた。だが、あんなことがあった後でアメリア本人が来るとは考えていなかった。これがウィリアムの義理の伯父に当たるスペンサー侯爵が主催する夜会である以上、ルイスの言う「アメリアが嫌っている」はずの自分が出席していることは明白だからだ。


「……驚きました。まさかあなたが出席されるとは思わず……」

「あら、来てはいけませんでした?」

「いや、そういう意味では――」


 困惑するウィリアムに、アメリアはにこりと微笑みかける。


「どうしてもウィリアム様にお会いしたくて、連れてきてもらいましたの」

「それはまた……どうして」

「先日のことを謝りたくて」

「……謝る? 何を……」

「決まっていますわ。メイドにお茶をかけたことに、お怒りでしたでしょう?」

「……それは」


 アメリアは、ウィリアムの心の動揺を手に取るように感じていた。

 近くにルイスらしき男の姿はない。これならきっと上手くいく。

 そう確信したアメリアは、さっそく自分の計画を行動に移そうと考えた。――けれどその計画は、ウィリアムの背後から聞こえてきた少女の声によって中断された。


「ウィリアム様、こちらの方は?」


 ――それはまだ幼さの残る、愛らしい容姿の少女だった。

 少女はウィリアムの背中からひょっこりと顔を覗かせて、アメリアを興味津々に見つめた。

 彼女は再びウィリアムに問いかける。


「ご友人ですか?」

「……あ、ああ。――ええっと」

「わたしにも紹介してくださいませ!」

「…………」


 少女の無邪気な問いかけに、言葉を詰まらせるウィリアム――。

 どうやら答えを決めかねているようである。


 そんな二人のやり取りを眺めていたアメリアは、不意に少女の正体に思い当たった。

 ウィリアムと同じ栗色の髪やヒスイ色の瞳、整った顔立ち。その全てが、ウィリアムとよく似ている。だがウィリアムに妹はいなかったはずである。――ということは……。


「ご挨拶申し上げます、スペンサー侯爵令嬢。わたくし、アメリア・サウスウェルと申します。本日は素晴らしいもよおしにお招きいただき、大変光栄に存じます」


 ドレスの裾を持ち上げたアメリアが微笑むと、ウィリアムはようやくハッとした。

 そして何を思ったか――信じられないようなことを言い放った。


「カーラ、紹介しよう。彼女はサウスウェル伯爵家ご令嬢、アメリア嬢。――私の、お慕い申し上げている方だよ」

「――っ」


 刹那――ウィリアムの言葉に顔を赤く染めたのはアメリアではなくカーラの方だった。

 彼女は当然それが自分に向けられたものではないと知っていたが、それでも突然言われたその言葉に、驚かずにはいられなかった。

 なぜならウィリアムのその言葉は、紛れもない愛の告白であったのだから。


 ウィリアムのよく通る声は周辺の者にはっきりと伝わり、瞬く間に会場中に広まっていく。

 次第にヒソヒソと、アメリアに対する心ない言葉が囁かれた。

 けれど二人にそれを気にする素振りはない。それどころか二人は、周りの声など少しも聞こえていないかのごとく見つめ合う。――そこに、どこか不穏な空気を漂わせて。


 ――さあ、君はどう出る……?


 ウィリアムはアメリアの反応をじっとうかがっていた。お茶会でのアメリアの態度を思い出し、これからアメリアがどう出てくるか、それを興味津々に見つめていた。


 一方アメリアは――アメリアもまたウィリアムの顔色を観察していた。

 彼女にとってウィリアムの告白は当然予想外の出来事だったが、たとえこれが不測の事態であろうと、彼女は隙を見せるわけにはいかなかったからだ。

 自分の予想の上を行くウィリアムの言動に――卑怯とも言えるおおやけでの告白にある種の殺意を覚えようとも、決して表に出すことは許されなかった。


 ――ああ、まさかこれもルイスの入れ知恵なのかしら。それともこの人の独断……?


 だがどんな理由であろうと、こんな公衆の面前でウィリアムを振るわけにはいかない。

 何しろ相手は侯爵家である。つまり、今取り得る選択肢はただ一つ。


 仕方なく、彼女はその頬を赤く染めあげた。まるで恥じらう乙女のごとく。

 そして、告げた。


「わたくし――も、お慕い申し上げております、ウィリアム様」


 正直に言えば、もっと無難な言葉はいくらでもあった。「恥ずかしい」とうやむやにしてしまうこともできた。

 けれどアメリアは他の全ての選択肢を一瞬のうちに切り捨て、ウィリアムに応えたのだ。


 ――再び、二人の間に沈黙が流れる。


 その沈黙の中、ウィリアムは今まで感じたことのないほどの興奮を感じていた。そんな自分自身に、戸惑いを隠せなかった。


 悪女と名高いアメリアのことだから、皆の面前であろうと容赦ない態度を取るだろうと考えていたのに。それがまさか、嫌っているはずの自分を慕っているとのたまうアメリアの潔さに、猜疑心さいぎしんを感じるとともに心底感服した。


 ここまで来たら、引く道はない――。


 ウィリアムは決断し、アメリアの前に進み出る。

 そしてその場に跪くと、アメリアの右手にそっと口づけた。


 ウィリアムは愛しげにアメリアを見つめる。


「アメリア嬢、私と結婚してください」


 その言葉にふわりと微笑む、アメリア。


「わたくしでよろしければ――喜んで」

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