第33話 思い出――聖なる夜(前編)
雪がしんしんと降り積もっている。
窓の外に広がる森の景色はいつもと違い、あたり一面白銀の世界だった。
木々の梢に雪が咲き、地面に厚く積もる雪には動物たちの可愛らしい足跡が点々として、それはまるで真っ白なキャンパスに絵を描いたよう。
わたしは景色を直接見ようと窓を開け、そこから顔を覗かせる。
「……きれい」
――ああ、なんて幻想的なのかしら。
はぁ――と息を吐けば、それは薄い雲になって森の景色に溶けていく。
わたしは寒さも忘れ、雪景色を眺める。もうすぐ来るはずのあの人に、思いを馳せながら。
「あぁ、早く来ないかしら」
わたしは浮かれていた。
なぜって今日はクリスマス。これから彼とささやかなお祝いをすることになっている。
昨日のうちから部屋を飾り付け、今朝はいつもより二時間早く起きて料理をした。
いつもは暖炉とテーブル、そして小さなソファーが二つあるだけの、お世辞にも素敵とは言えない部屋。
けれど今日だけは違う。森で
テーブルの上には焼きたてのバゲットと、彼が前に美味しいと言ってくれたナッツと干しぶどうのカンパーニュ、もちろん七面鳥も外せない。デザートにはりんごとはちみつをたっぷり使ったタルトタタンを焼いた。あとはじゃがいものスープを温めなおすだけ。
そして、クリスマスプレゼントには――。
「……喜んでくれるかしら」
この日のためにコツコツ編んだ赤いマフラー。彼の栗色の髪によく
わたしは彼がこのマフラーを巻いているところを想像し、ひとり口元を緩ませる。
すると、ちょうどそのとき――。
「ユリア、僕だよ」
扉を叩く音と同時に聞こえる、優しい彼の声。
わたしはマフラーをソファーのクッションの下に隠して、玄関へと走った。
ドアを開け放ち、彼の胸の中へと飛び込む。
「――待ってたわ!」
「ははっ、ユリアは相変わらずだね、僕も早く君に会いたかったよ」
彼はわたしを抱きしめて、柔らかに微笑んだ。
*
「わぁ、すごいね! これ全部ユリアが一人で作ったの?」
彼は身体から雪を落として部屋に入ると、テーブルに並んだ料理に目を丸くした。
期待どおりの反応に、わたしは鼻を高くする。
「もちろんよ、今日のためにおばあさまに習ってたくさん練習したんだから! 味は保証するわよ!」
わたしがそう言うと、どういうわけか彼はぷはっと吹き出した。
「ははははっ! 確かに、去年君に初めて貰ったジャム、帰って開けてみたらすっかり固まってて、どうやって食べようかと思ったもんな!」
「そっ、それはもう言わない約束よ! あれからは一度も失敗してないわ!」
「はは、ごめんごめん。いやでも、あれだって味は良かったよ。それにこの前のパンもすごく美味しかった。ユリア、料理の才能あるよ」
笑いをこらえながらそんなことを言う彼に、わたしは口を尖らせる。
「もう、そんなに笑いながら言われても嬉しくないわよ」
「ごめんって! ユリアがあんまり可愛いから、ついからかいたくなるんだよ」
「――ん、……もう」
お互いの気持ちを知ってから一年以上が経ち、わかったこと。
彼は思っていたより、いじわるだということ。でも、彼のそんなところも、たまらなく好き。
わたしが去年のことを思い出していると、いつの間にやら椅子に腰かけていた彼から尋ねられる。
「ねぇ、ユリア。料理が二人分しかないみたいなんだけど、君のおばあさまはいないのかい?」
その問いに、わたしははたと思い出した。
「ごめんなさい、言うのを忘れていたわ。おばあさまは昔の友人に用事があるからって、昨日の朝から出掛けているの。帰ってくるのは明日の夕方になるって言ってたわ。――何かおばあさまに用事があったの?」
この言葉に、彼が一瞬狼狽える。何か大事な用事でもあったのだろうか。
「もし急ぎなら、明日おばあさまが帰ってきたらわたしから伝えておきましょうか?」
わたしはそう提案した。けれど彼は言葉を濁す。
「いや。別に、そういう訳じゃないんだ」
「どうしたの? 何かあるなら言って」
「いや、……だから」
「……?」
「……その、二人きりなんだな、って」
「――っ!」
刹那――一瞬で顔が熱くなる。
そんなわたしに釣られてか、心なしか彼の顔も赤くなったように見えた。
彼は気まずそうに視線を逸らす。
「ご、ごめん! 深い意味はないんだ。さ、食べようか! 僕もうお腹ペコペコだよ」
誤魔化すように笑って、耳まで赤くする彼。
そんな彼に、わたしは何と返したらいいかわからなくて――。
「そうだわ! わたし、スープを温めなおしてこなくちゃ!」
彼をテーブルに一人残し、慌てて台所に駆け込んだ。
*
「……はぁ」
わたしは台所の隅にしゃがみこみ、大きく息を吐いた。
本当にびっくりした。いきなりあんなこと言うなんて。まだ心臓がドキドキしている。
「……二人きり、か」
確かにわたしだって、そういうことを考えたことがないと言えば嘘になる。
手をつなぐだけで恥ずかしくて、キスをすれば顔を見られなくて――そんな
けれども最近は、もっと彼に触れたい、あの人のもっと深くを知りたいと、そんなどうしようもない想いに駆られてしまう。
わたしだけかと思っていた。でも違ったのだ。彼も同じだったのだ。
「あぁー、もう」
どうしよう。嬉しい。どうしようもなく嬉しい。今すぐにあの人を抱きしめたい。あの人に、抱きしめられたい。
わたしは膝を抱えてうずくまる。すると、頭上から聞こえる彼の声。
「ユリア?」と――わたしを呼ぶ、すっかり声変わりした、愛しい愛しい彼の声。
優しくて、温かくて、その声に呼ばれるだけで、わたしの心は羽根のようにふわりと宙を舞う。わたしの愛しい……わたし、だけの……。
「ユリア。ごめん、僕が変なこと言ったから……嫌いに、なった?」
不安げな彼の声。
顔を見なくたってわかる。彼が今どんな顔をしているのか。
彼がどれほどわたしを愛してくれているか。
「ユリア。ねぇ……ユリア」
あぁ、だめだ。早く振り向かなくちゃ。早くこの人を安心させてあげなくちゃ。
でもなぜだろう。身体が言うことを聞いてくれない。想いが込み上げて、上手く言葉が出てこない。
「……ユリア、こっちを向いて。お願いだ」
彼の声が――痛い。
あぁ、早く、早く何か言わなくちゃ……。
わたしは必死に声を振り絞る。
「好き、なの」
「……え?」
「――好き」
わたしはようやく立ち上がり、振り向いた。そのまま彼の胸に飛び込み、顔をうずめる。
「あなたが――好きなの」
「――っ」
彼の瞳が見開かれ――同時にわたしを抱きしめる、たくましい腕。
わたしを包み込む、彼の熱い身体。
「僕も、好きだよ」
強く、強く――彼の腕に力がこもる。
彼の鼓動が、吐息が、わたしの全てを支配する。彼から伝わる体温に、全身を侵されているような――そんな感覚。
耳元で囁かれる、彼の切なげな、愛しげな声――。
「ユリア。本当は僕たちが十六になってから言おうと思っていたんだけど……今、言うよ」
熱を帯びた彼の瞳。わたしだけを見つめる、熱い視線――。
「君を愛している。どうか僕と、結婚してください」
「……え? けっ……こん?」
わたしと、あなたが?
少しも予想していなかった言葉に、わたしは驚きのあまり放心する。
「そうだよ。結婚しよう」
「え、でも……わたしたち、まだ……」
「うん。だから、来年の君の誕生日が来たら、すぐにでも」
いつになく真面目な顔をして、わたしを強く抱きしめる彼。
でもわたしにはそれが信じられなくて、思わず尋ね返す。
「本当……に?」
「もちろんだよ。嘘なんてついてどうするんだ」
「…………」
――あまりの急展開に、わたしの頭はついていけない。
「……夢、見てるのかしら」
茫然と呟くと、彼は困ったように眉を寄せた。
「おいおい、僕の決死のプロポーズを夢にしないでくれよ」
「……そう。夢じゃ……ないのね」
「夢じゃないよ。もしかして……嬉しすぎて言葉が出てこない?」
彼はいじわるな笑みを浮かべる。
そんな彼の表情に――わたしは彼がいつもどおりの彼であることを悟り――ようやくこれが現実であるのだと理解した。
「……嬉しい、わ。わたし、とてもとても嬉しいわ!」
彼の首に腕を回し、力いっぱい抱きしめる。
「わたし、本当にあなたを愛しているわ、エリオット!」
「僕もだよ、ユリア」
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