第27話 疑心暗鬼


「――はっ……はぁ」


 アーサーと別れた私は、意味もなく森の中を駆け抜けていた。


 一刻も早く独りになりたくて、考える時間が欲しくて――私は自身の荒い息遣いを聞きながら、落ち葉を蹴散らしひた走る。


 ――いったいどういうことなのよ。


 正直、アーサーの言葉の半分も理解できなかった。

 アーサーの言った力の意味も、それにルイスの正体も。ルイスが私を探していた理由にだって、少しも思い当たることがなくて――。


「……整理、しなくちゃ」


 私はぐるぐるとループする思考を落ち着かせようと、足を止め後ろを振り返る。


 ここまで来れば大丈夫だろうか。


 周りに誰の気配もないことを確認し、一息つくため木陰に腰を下ろす。そうして、再び思考を巡らせた。


 アーサーの話から察するに、可能性として最も高いのは、 アーサーとルイスは私のような何らかの力を持っているということだろう。私の消えない記憶のような、何らかの力を――。だから、同じような力を持つ私に近づいた……と。


「……でも、そんなことがあり得るのかしら」


 本音で言えば信じがたい。だって千年生きてきて、ただの一度も自分と同じような人間に出会ったことはないのだから。


 それなのに一度に二人も現れるだなんて、にわかには信じられない。――でも、ルイスが私を探していた理由について、他には思い当たることもなくて。


 ――心の中に暗雲が立ち込める。


 いったい二人は何者なのか。どこまで警戒するべきなのか。ルイスは何のために私を探していたのか。


 ウィリアムは夜会で言った。「ルイスを心から信用している」と。

 あの言葉に嘘はなさそうだった。でもだからこそ私はルイスに疑念を抱いた。そしてその疑念は、アーサーの話を聞いてより一層深まった。


 それにアーサーの言葉を信じるなら、ルイスの目的はウィリアムではなくこの私――つまり、私に近づくためにウィリアムを利用したということにはならないか。


 もしもそうであったなら、ルイスはウィリアムを騙しているということ。私をウィリアムの婚約者に推薦したのはルイス自身のためであり――それは同時に、ウィリアムのルイスに対する信用に足る人物という評価も、虚像のものだということになる。


 であれば、ルイスがウィリアムを害する可能性も考慮しなければ――。


「ウィリアムは……私が守らなくちゃ」


 私は自身に言い聞かせ、右の手のひらをじっと見つめる。


 今までに何度も、何度も赤く染まったこの右手。あの人を守る、そのためだけに鍛え上げたその力。


 戦争のない世が訪れてからというもの、彼を守るために人の命を奪う必要性はなくなった。けれど再びそのときが来れば、私は何の躊躇いもなくこの手を下すだろう。


 ――正直もう使うことはないと思っていたけれど、いざというときには使えるようにしておかなくちゃ……。


 たとえそれがウィリアムを傷付け、悲しませることになろうとも。


 そう、今までだってずっとそうしてきたのだから。彼の命を脅かす者があれば、容赦無く排除する。私はそうやって生きてきたのだから。


「……さて。方針は決まったけど……今からどうしようかしら」


 私は周囲を見回す。


 けれど目印の一つもつけずに走り回ってしまったため、ここがどこだかわからない。


「ここ、どの辺なのかしら」


 ドレスの裾についた土埃を振り払い、再び辺りを見回してみる。が、見える景色はどちらを向いても木々ばかり。


 とはいえここは湖の側である。少し歩けば小川の一つや二つあるだろう。

 そう考えた私は、手始めに耳を澄ませてみた。すると木々のざわめきの合間に、確かに聞こえる微かな水音みずおと


「やっぱりね」


 私は独り呟いて、意気揚々とその音のする方角へ向かっていった。



 しばらく歩くと、視界が大きく開ける場所に出た。どうやらこの先は崖のようだ。


 水音が大きい。崖下に川が流れているのだろう。


 私は崖へと近づいた。やはり下には川が流れている。深さはわからないが川幅はそれほど広くない。反対側の崖はすぐ目の前だ。――とはいえ。


「ハズレね」


 大きくないとはいえ、あの湖にこの幅の川は繋がっていなかったと記憶している。つまり、振り出しに戻る。


「他に何か……あら?」


 再び辺りを見回せば、少し離れた場所に帽子を被ったドレス姿の女の子がたたずんでいた。


 ――あれは……カーラ様?


 彼女は崖の際に立ち、じっと川面を見つめている。それも、肩を小さく震わせながら。


 ――泣いてるのかしら? ウィリアムと何かあったとか……?


「カーラ様?」


 見て見ぬ振りをするわけにもいかず、私は彼女に近付きそっと声をかけた。

 すると肩を大きく震わせて、彼女はこちらを振り返る。


 刹那――彼女の赤く腫れあがった瞼に、私を睨むような視線に、私の予感が確信に変わった。


「どうして、あなたがここにいるのよ」


 私を憎らしげに見据える彼女の瞳。深い悲しみに満ちた声。


 そんな彼女の姿に、わずかばかりの罪悪感が芽生える。

 だって、今の私とウィリアムの間には、少しの愛もないのだから。


 だがそんなことは口が裂けても言えない。現に彼女がこうやって泣いているということは、ウィリアムは私との契約内容を彼女には伝えなかったということだ。


 つまり、今の私が彼女にしてあげられることは何もない。彼女だって私に慰められても嬉しくないだろう。


「申し訳ございません。お邪魔してしまったようですわね」


 私は無難に微笑んで、カーラ様に背を向ける。けれど――。


「ちょっと、待ちなさいよ!」


 私を引き留め、再び睨みつける彼女の丸い瞳。泣き腫らした、真っ赤な瞳。


「あなた、わたくしに何か言うことがあるのではなくてっ⁉」


 掠れた声で、彼女は私に怒りをぶつける。


 けれど私は何も言えなかった。何と言ったらいいのかわからなかった。


「……ええ、と」


 ああ、駄目だ。わからない。恋の話をするような友人など、およそ思い出せないほど昔にしか作った覚えがないのだ。人の考えを読む以上に、感情を読むことは難しい。


 何も言わない私に痺れを切らしたのか、彼女は声を荒げる。


「あなたのせいですのよ‼ あなたさえ……現れなければ……っ!」


 嗚咽交じりにそう訴える彼女の頬を、大粒の涙がつたう。


 ウィリアムと同じ色の――豊かな森の景色を映し出したような深い緑――その瞳からとめどなく溢れ出すそれは、まるで真珠のように美しいと、そう感じた。


「わたしの方が……わたしの方が絶対に、ウィリアム様を愛してますのに……っ」


 子供のように泣きじゃくる彼女――美しい、嘘偽りのないその涙に、私の心は締め付けられる。


 あぁ、この方はなんと純粋で、誠実で、素直な方なのだろうか。彼女は純真無垢な子供のように、心のおもむくままに涙を流すことができるのだ。


 あぁ――それはなんと美しく……。


「……羨ましい」


 私の口から漏れる本音。

 その言葉に、彼女の瞳が大きく見開いた。――同時に私たちの間に強い風が吹き込んで、一瞬のうちに風に攫われる彼女の帽子。そこに伸びる、彼女の細い腕――。


 彼女の身体が傾く――その先は。


 気付けば私は走り出していた。

 彼女の腕を掴み、自分の方に引き寄せる――けれどその反動で、私の身体は宙に投げ出された。


「アメリア様ッ!」


 彼女が崖の上から、私の名を叫ぶ。


 あぁ――良かった。彼女は無事だ。

 彼女に何かあったら、きっとウィリアムが悲しむから……。


 ――私は微笑む。これで良かったのだ、と。


 こうしてそのまま――私の視界は歪んで……消えた。


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