第58話 眠れぬ夜に


 ルイスが自室へと戻ったのは、真夜中を過ぎた頃だった。


 今後のアメリアへの対応についてウィリアムとの話し合いが終わったのはつい先ほど。

 本来ならウィリアムの寝支度にも付き合わなければならないが、さすがのウィリアムも今日ばかりは早く独りになりたかったのだろう。あるいは、ルイスのシャツをワインで汚してしまったことを気まずく思ったか。

 今夜の世話はいらない――と言い渡されたルイスは、部屋へと帰されていた。


 ――まったく、あの方にも困ったものだ。


 自分にワインをぶちまけたウィリアムの姿を思い出し、ルイスはため息をつく。


 ウィリアムには昔からそういうところがあった。社交界での彼の評判は上々だが、それはいつだってルイスがフォローしてきたからに他ならない。もともとのウィリアムの気性は理性的というよりは感情的なタイプであるから、仕方がなかったとも言えるが。


 ルイスは部屋の灯りも点けぬまま、ジャケットを脱いで椅子の肘置きにかける。

 続けてワインで汚れたシャツを脱ぎ去ると、迷うことなくくずかごへと放り捨てた。どうせ落ちはしないのだ。


 クローゼットから新しいシャツを取り出し、いつものように袖を通す。そしていくつかボタンをはめて、はた――と手を止めた。


 ――馬鹿か、僕は……。もう真夜中だぞ……。


 たった十五年の間に、ウィリアムに尽くすことがすっかり癖になってしまった。こんな時間に着替えていったい何になるというのだ。


 月明かりしかない暗がりの中、彼はベッドの端に腰を下ろし再びため息をつく。


 ――本当に、あなたはどうしようもないほどのお人よしだ。


 くずかごに捨てたシャツを見つめ、彼はクッと口角を上げた。あまりに事が上手く運びすぎて、ウィリアムが何の疑いも無く自分の言葉を信じていることが可笑しすぎて、乾いた笑いが零れそうになる。


 だがそうなるように仕向けたのは紛れもないこの自分。十五年という月日をウィリアムに捧げ、自分を決して疑わないよう躾けてきたのは、ルイス自身に他ならない。


「ああ……、ようやくだ」


 ルイスはくぐもった笑い声を上げ、視線を窓の向こうの月へと向ける。


 来たるべきその日は目前だ。その日を迎えるためだけに、彼はウィリアムを騙し続けてきたのだ。


 彼の脳裏に、ウィリアムと出会った日のことが蘇る。まるで昨日のことのように鮮明に。

 それと同時によぎるのは、アメリアの酷く動揺した顔。ウィリアムを愛せ――と告げたときの、彼女の驚きに満ちた顔……。そして、アーサーがアメリアを辱めたと告げた際の、ウィリアムの失望に染まったあの表情。


 十年前からアメリアを慕っていたというのも、自分と生きてほしいというのも全てが偽りの言葉に過ぎない。

 けれど目的を達するためには必要なことで、どうしたって避けては通れない道だった。


 ――全てが嘘であったと知ったとき、あなた方は僕を蔑むのでしょうね。


 だがたとえ誰に恨まれようと、ルイスにとっては取るに足りないことだ。全ては千年前から始まった……この悲願を叶えるためならば、手段など選んでいられない。



 ――初めての転生のとき。彼は母親だった女に捨てられた。

 理由は彼の容姿が両親のどちらとも違っていたから。彼の髪と瞳が、あり得ないほど黒い色をしていたから。


 二度目も、三度目も、四度目も……何度死と生を繰り返そうがそれは変わらなかった。教会に預けられたときは感謝すらした。むしろ、自分を産んだ女たちを哀れにすら思った。

 自分と似ても似つかない赤子を産み、何の落ち度もないのに父親である男には不貞ふていを疑われ、捨てられるか暴力を振るわれるか、とにかく女たちは皆一様に不幸になった。そんな彼女たちを哀れに思わないはずがなかった。


 ――いや……違うな。確か一人だけいたか。僕を育てようとした女が……。


 もう名前も顔も思い出せないその女性の姿を思い出そうとして、けれどすぐに諦める。一緒にいたのはたった二年ほど。歩けるようになる頃には自ら家を出てしまった。それももう三百年以上前のことだ。思い出せるわけがない。


 ――全ては僕のごうのせい。それは理解している。だがそれでも……他の誰かを不幸にしようとも、僕は決して諦めるわけにはいかないんだ。千年の間、自分に付き従ってくれているあの男の為にも……。


 ルイスはその男のことを考えて――机の上の置時計に目を向ける。約束の時刻だ。


 重い腰を上げ、部屋の窓を開け放つ。するとそれを待ちわびていたかのように、べネスが夜空から舞い降りてきた。その足には手紙がくくりつけられている。

 そこにはこう書かれていた。


《首尾よく。計画続行に問題なし》


 期待どおりの内容に、ルイスはニヤリとほくそ笑む。


「その右目……返してもらうぞ」


 呟いて、彼は手紙に火をつけた。

 その赤い色に忌まわしいアーサーの姿を思い浮かべ――彼は今夜もまた、眠れぬ夜を独りきりで過ごすのだった。


(続く)

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