第6章 ルイスの告白
第35話 目覚め(前編)
――あぁ、もう朝なのかしら……。なんだか、眩しいわ……。
ゆっくりと目を開けた私は、部屋に差し込む光の眩しさに目を細めた。
目に映る天井は――ただひたすらに、白い。
――うちの天井って、こんなに白かったかしら……。
私は違和感の正体を確かめようと身体を起こす。するとそこはどういうわけか、全く見覚えのない部屋で……。
――エリオット……?
隣にいるはずの彼の姿はどこにもない。いや、そもそもここは私の部屋ですらないではないか。
そう思ってようやく私は理解する。今のは……ただの夢だったのだ。
悟った瞬間、突然頭に痛みが走った。ズキズキと、なにかに締め付けられているような鈍い痛み。その痛みに、私は思い出す。
――そうだ、私は川に落ちて……それから……。
痛むこめかみを押さえ、ここがどこであるか確かめようと、部屋をぐるりと見回した。
まず――私が今寝ているベッド。これは貴族が使うようなものではなく、作りは至ってシンプルなもの。敷かれているマットやシーツにも、柄や刺繡は入っていない。
部屋も同様に庶民的だ。広さと清潔感は十分確保されているが、家具といえば丸テーブルと椅子が二脚、そしてこれまたシンプルなドレッサーと、小さな棚が一つあるだけ。
――ここ……いったいどこなの?
私はベッドから降り、外の様子をうかがおうと窓に近づく。と同時に、ガラスに映った自身の姿に絶句した。
なぜならそれは、今しがた自分が見ていた夢の中の自分と、瓜二つだったから。
確かに、今の私の姿形が千年前の自分と同じであることは理解している。けれどその表情は、オーラは、確かに違っていたはずだ。
私はガラスの向こうの自分自身を凝視する。そして気が付いた。そうだ、服が違うのだ。
今の私が着ているのは、いつもの仰々しいドレスではなく本当にシンプルな……どこにでもいる町娘の着るようなドレスである。きっとこのドレスが昔の自分を想起させるのだろう。
私はそう自分を納得させ、今度こそ外の様子をうかがおうと焦点を遠ざけた。
どうやらここは二階のようだ。
眼下の景色を見下ろすと、まず視界に入るのは青い芝生の茂る広い庭と立派な門。
その先には白で統一された美しい街並み。王都には敵わないけれど、それに匹敵するほどに栄え、賑わっている様子がうかがえる。
そんな街の中心にそびえ立つ立派な教会。その屋根の特徴的な青と銀の配色を、私は確かに目にしたことがある。
そうだ――まだ記憶に新しい。子供の頃一度だけお父様に連れられて見たあの教会。その配色は、アルデバラン公爵の紋である青地に銀鷲をモチーフにして塗られたものだったはず。
つまり私が今いるここは、アルデバラン――。
私はひとまず安堵した。アルデバランなら王都の隣。距離で言えば馬車でたった二時間ほど。大した距離ではない。
つまりこういうことだろう。
川に落ちた私を何者かが助け出し、手当を施した。ここはきっとその者の屋敷なのだ。
その考えに至った私は、面倒なことになったとため息をつく。
今頃ウィリアムは――他の皆はどうしているだろうか。まさか使用人総出で私のことを探したりはしていないだろうけれど……大ごとになっている可能性を思うと頭が痛い。
それに心配事はもう一つ――。それは私が川に落ちる前の、湖でのアーサーとのやり取り。「ルイスには気を付けろ」というあの言葉……。
――やっぱりこの婚約、今からでも破棄した方がいいかもしれない……。
私は今後の対応に頭を悩ませる――と、そのときだ。
部屋の扉がノックされ、「入ってもいいかな」と声がする。
返事を決めかねていると、その声の主は私がまだ眠っているとでも思ったのか、ドアを開け中に入ってきた。
――それは見知らぬ青年だった。
ややくせっ毛の赤い短髪に、焦げ茶色の温かな瞳。年は私と変わらないくらいだろうか。優しい顔立ちをしている。
彼はやはり私が寝ていると思っていたようで、ベッドに私の姿がないことに、酷く驚いたようだった。
彼はその顔のまま部屋を見回して――窓際の私と目が合うと、まるでお化けでも見たかのように「わあっ!」と大声を上げる。
「お……驚いたよ。起きてたんだね。返事が無かったから……てっきり」
彼は申し訳なさそうに、私の方へと近付いてくる。そして今度は、柔らかく微笑んだ。
「気分はどう? 君、昨日川岸に倒れていたんだよ。どこか痛むところはない? お医者様に診てもらって、特に大きな怪我はないって言われたんだけど……もう一度診てもらった方がいいかな?」
それは温かな笑みだった。優しい声と、誠実な眼差しをしていた。
そんな彼の態度に、私は彼が信頼に値する人物だと見定める。
――まずはお礼を言わなくちゃ。そう思ったが、けれどその直後、私は重大な事実に気が付いた。
なんと、声が全く出ないのだ。
話そうとしても、喉から漏れるのはかすれた空気のみ。これはいったい……。
私は喉元に手を伸ばす。
熱は……ない。痛みも腫れもない。
ということは、もしかしてあれだろうか。
――でもまさか、この私が?
私は自身の不甲斐なさに衝撃を受けた。千年も生きている私が声を失うなど……屈辱以外の何物でもない。――なんということか。
正直、声を失うこと自体はさして問題ではない。特に困ることもないのだから。問題は、声が出なくなった……その、理由――。
「あの……君、大丈夫?」
何も答えられないでいる私の顔を、心配そうに覗き込む青年。彼は「やっぱり医者を」と呟いて、部屋を出ていこうとする。
私はそんな彼の姿に、心配をかけてはならないと――腕を掴んで引き留める。
「――え?」
当然、彼は動きを止めた。私の方を振り向いて、困惑げに眉を寄せる。
私はそんな彼をじっと見返し、ゆっくりと首を横に振る。
すると彼は、何事かを悟ったようだった。
「もしかして、君……声が……?」
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