第47話 ルイスの策略
空は厚い雲に覆われている。
日の出から既に二時間が経過していた。約束の時間はとうに過ぎている。
ウィリアムはいつものアーサーとの待ち合わせ場所――王宮の敷地をぐるりと取り囲む高い塀から少し離れた大木の下――で、門を出入りする人々を横目で眺めながら独りアーサーを待ち続けていた。
その表情は彼にしては珍しく、苛立ちと焦りを含んでいる。
――遅すぎる。何かあったのか?
ルイスの梟は間違いなくアーサーに手紙を届けたはずだ。それにアーサーが待ち合わせの時間に遅れたことは今までに一度だってない。
確かに今回はウィリアムからの一方的な誘いであるが、都合が悪ければ誰かに言伝を頼めばいいだけである。けれどそれもない。ということは、アーサーは確かにここに来るつもりであるということ。
それなのにどうして彼は現れないのだろうか。
――やはり、何かあったのか?
ウィリアムは考えるが、王宮内の様子はいつもと何ら変わりはない。
結局彼は待ち続けることしかできず、時の経過と共に眉間の皺を深くしていった。
*
その後ようやく姿を現したアーサーに、ウィリアムは当然のごとく厳しい目を向けた。
「遅い。一時間半の遅刻だぞ」
「すまない……その、寝坊した」
「寝坊だと?」
「……あ、ああ」
アーサーはよほど急いで来たのだろう。普段走るようなことはない彼が、今日は酷く息を切らせている。額には汗が滲み、肩は大きく上下していた。
つまり、意図的にウィリアムを待たせたわけではない――ということだろう。……しかし。
正直ウィリアムにはにわかに信じられなかった。なぜなら、少なくとも
だから、遅刻の理由が寝坊だということに、強い違和感を覚えざるを得なかった。
「本当は、何かあったんじゃないのか?」
アーサーは確かに王子らしからぬ人物だ。品行方正とは程遠いし、人としてどうかと思う部分もある。――が、それでもやはり王子である。立場上、簡単に人に謝罪することは許されない。そういう教育を受け、彼自身もそれを理解している。
だから余程のことでない限り、アーサーは決して謝らないのだ。
そしてそれは、そのような状況に自分の身を置かない――ということと同義である。
それがまさか寝坊などと、正直にも程がある。だからウィリアムは、何か別の理由があったのではないかと考えたのだ。
けれどアーサーは、ウィリアムの言葉を躊躇なく否定する。
「いや、何もない。強いて言えば……悪夢を見た」
「悪夢?」
アーサーは頷く。その表情は酷く強張っていて、余程悪い夢だったことが想像できた。
けれどまさか夢などと。悪夢のせいで、俺は一時間以上も待たされたのか……?
ウィリアムの中で、抑えていた苛立ちが再び頭をもたげる。
「まさかこの年になって悪夢とは。大の男が聞いて呆れるな」
「……そう、だな。俺もそう思っている」
――ウィリアムは今、わざとアーサーの気に障るような言い方をしたのだ。
それでもアーサーは言い返してこない。
ウィリアムはそんなアーサーの態度に、今度は猜疑心を募らせる。
彼は昨夜からずっと考えていた。昨日の夕刻、アルデバランから一人戻ったルイスの言葉が真実であるのかを。それを確認するために、こんな朝早くからアーサーを呼び出したのだ。
アーサーが見たという悪夢。それだって、何か後ろめたい――心当たりがあったからではないのか。ウィリアムはそう考えてしまう。
「アーサー、君に聞きたいことがある」
いつもより数段低いウィリアムの声に、その場の空気が張り詰める。
「……何だ」
アーサーの心はルイスへの疑念で溢れていた。
彼は自分がウィリアムに呼び出された理由――そこにルイスが関係していることだけは予想していた。けれど、内容だけはどう考えてもわからなかった。
「単刀直入に聞く。湖で、君はアメリアと二人きりになっただろう。そのとき、君は彼女と何を話した?」
アーサーを見据えるウィリアムの瞳。そこには確かに怒りの色が垣間見え、アーサーは眉をひそめた。
「なぜ、そんなことを聞く」
アーサーは問い返すが、ウィリアムはぴしゃりと退ける。
「今は俺が質問しているんだ。答えろ、アーサー。君は彼女に何を言った? 彼女を抱きしめたというのは……本当か?」
「――っ」
ウィリアムの眼光が鋭くなる。その瞳に映るアーサーへの
だから――アーサーはその視線に堪えられず、思わず目を逸らしてしまった。否――読みたくもないウィリアムの思考を、無意識のうちに読んでしまいそうになったからだ。
けれどそんなアーサーの事情を知る由もないウィリアムは、アーサーが目を反らしたのは後ろめたい理由があるからだと思い込んでしまった。
「とんでもないことをしてくれたな、君は。前々から君の女遊びにはほとほと呆れていたが、今回ばかりは愛想が尽きた」
ウィリアムは氷のように冷たい声で告げ、アーサーを軽蔑したように睨みつける。
けれどアーサーには、その意味がわからない。
「何だ、お前はいったい何の話をしている」
アーサーは問いかけるが、怒りに支配されたウィリアムにその言葉は届かなかった。
「しらばっくれるつもりか! 君のせいで彼女は声を失った! ルイスは彼女から直接伝えられたそうだ。彼女は川に飛び込むつもりであの場所に向かったと……カーラには謝っておいてほしいと言われたと! ――彼女は死ぬつもりだったのだ、君の軽率な行いのせいで!」
「――ッ⁉」
思いもよらない内容に、アーサーの全身から一瞬で血の気が引く。
「君はこの国の王子だ。君を拒絶する女性は少ないだろう。けれど彼女は違う。俺は確かに彼女を愛してはいない。君はそれに気付いていて手を出したのだろう。だが、それは決して許されることではなかった。彼女には決して、手を触れてはならなかった!」
自分を蔑むウィリアムの冷えた眼差し――そして信じがたいその話に、アーサーの心が闇に囚われる。ルイスとアメリア――二人の嘘を信じ込んでしまっている、ウィリアムの姿に。
けれどこうなってしまっては、自分の言葉がウィリアムに届くことはないと、アーサーは一瞬のうちに理解していた。だから彼はウィリアムに、もう何一つ言うことができなかった。
「アーサー。君からしたら、伯爵家の娘など遊び相手くらいのものだろう。けれどたとえそうであってもこの国を支える者の一人。君の犯した間違いによって、俺の信頼が――そして我が侯爵家の信頼が揺らぐのだ。彼女のお父上はお怒りになるだろう」
確かにウィリアムの言うとおりだ。それが真実であるのなら。
けれど事実は違っている。彼はルイスに、そしてアメリアに騙されている。だがそれを伝えるということは、自分の力をウィリアムに知られてしまうということ。
――それだけは、言えない。……言いたくない。
アーサーは奥歯を噛み締める。弁明一つできないままに――。
「……安心しろ。伯爵に君のことを伝えるつもりはない。これは俺の責任だ。彼女を君に会わせた俺の……。俺はこれからルイスと共にアメリアを迎えに行く。だが金輪際、君を彼女には会わせない。君も彼女には近付くな。もし今後彼女の前に姿を現すようなことがあれば、俺は君を、本当に許さない」
吐き捨てるようにそう言って、アーサーを見下すウィリアムの瞳。
アーサーはそんなウィリアムの背後に――いるはずのないルイスの姿を垣間見た気がして、ただそこに――恨めしそうな目を向けるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます