第24話 王子の仮面


 ウィリアムとカーラがボートに乗っている頃、アメリアはアーサーと二人森の中を歩いていた。


「まぁ、それでその後はどうなったんですの?」

「それがウィリアムのやつ、そのままボールを追いかけて川に落っこちて」

「まぁ!」

「水深は膝ほどだったから怪我はなかったんだが、全身びしょ濡れに」

「ふふっ。あの方いつも澄ましているのに、そんな一面もあるのね」

「きっとあなたには良いところを見せたいのだろうな」

「まぁ。ウィリアム様にもそういう可愛らしいところがあるのね」


 ――二人はウィリアムの話題に花を咲かせていた。


 アーサーはウィリアムと十年の付き合いになる。

 今でこそアーサーはエドワードやブライアンとばかりつるんでいるが、学生時代はウィリアムと共に監督生プリフェクトを任されていたため、ほとんどの時間をウィリアムと過ごした。


 真面目で人当たりが良く生徒の模範となるウィリアム。それとは対照的に、いつも自分の好きに振る舞ってはいるが、人を纏める力に長けたアーサー。二人はとても良いコンビだった。


「でもわたくし全然知りませんでしたわ。ウィリアム様が殿下とご学友だったなんて」

「それはそうかもしれないな。卒業してからの彼は家の仕事を覚えるのに忙しそうだったし、偶然夜会で出くわしても軽く挨拶を交わすくらいだったから」

「まぁ、そうなのですか? 殿方というのは意外と薄情なものですのね」

「ははっ、これは手厳しいな。だからウィリアムがあなたと婚約したことを知ったときは、本当に驚いた」


 アーサーの言葉に、アメリアは顔を赤らめる。


「そう、ですわよね。わたくしも驚きましたわ。ウィリアム様ったら、まさかあんなに人のいるところで……」


 おそらくプロポーズのときのことを言っているのだろう――と、アーサーは思い当たる。


「ええ。ウィリアムらしくない。私が知る限り、彼が誰かに思いを寄せるのは……アメリア嬢、あなたが初めてだ 」

「そう……なの、ですか?」

「ええ」


 アメリアは赤く染めた頬を、両手で恥ずかしそうに覆った。


 アーサーはそんなアメリアの姿をじっと見つめる。

 アメリアの美しい横顔を――その深い湖のような瞳を。彼女の心を覗き込むように。


 ――そして、その刹那。


 アーサーの右目が、突如としてくれないに染まった。

 あかよりもあかい――ルビーのように眩くも、血のように禍々まがまがしい――そんな色に。


 けれどそれはほんの一瞬のことで、アメリアは気付かない。


「……やはりそうか」


 アーサーは足を止める。


 それと同時に変質する、彼の纏うそのオーラ。

 彼の心の内側から湧き上がる、強い興奮と高揚感。それが今まで長きにわたり被り続けてきた、彼自身の仮面を打ち砕く。


「殿下……?」


 アメリアは足を止めたアーサーを振り返り、小さく首を傾げた。


 アーサーはそんなアメリアに微笑みかけ――そして。

 彼女の細い手首をぐっと掴んで自分の方へ引き寄せ、そのまま反対の手をアメリアの腰に回して自身の身体をぴったりと密着させる。


 そのかん、わずか一瞬。


 アメリアは声も上げられず――ただ大きく目を見開いた。


 ――否、もしも相手が王子ではなかったなら、頬を引っ叩くくらいはしていたかもしれない。けれど相手は王子である。怪我をさせるわけにはいかない――とはいえ、決して嬉しい状況でないのもまた事実。

 であるから彼女は、その顔を不快感いっぱいに歪めてみせた。


「何の、つもりですの」


 アメリアはアーサーを睨みつける。


「こんなこと、たとえあなたがこの国の王子でも……許されることではなくってよ」

「勘違いするな。女には困っていない」

「なら――」


 言いかけたアメリアを、アーサーは更に抱き寄せる。

 そして――彼女の耳元で――囁いた。


「君も……持っているのだろう?」

「――ッ」


 アメリアにとってそれは予期せぬ言葉だった。全てを見透かすようなアーサーの目に、動揺を隠せなかった。

 心臓が加速する。自分がどんな顔をしているのかもわからなくなる。


 アーサーはそんなアメリアに、まるで独り言のごとく問いかける。


「まさかとは思っていたが、君の態度に確信したよ。――それで? 今まで息をひそめていた君が、急にウィリアムに近づいた理由はいったい何だ?」


 君を知っている、と言わんばかりの探るような視線。


 アメリアはその視線に、殺意を向けられる以上の恐怖を覚えた。


「君の本当の目的は何だ? ルイスか?」

「……ルイス?」


 唐突にアーサーの口から放たれる、ルイスの名――。


 けれどアメリアにはその意味がわからなかった。

 いったいこの男は何を言っているのか。何を知っているというのか。本当に私のことを知っていると――そう言っているのだろうか。


 そしてそのこととルイスに、いったいどんな関係があるというのか。


 アメリアは困惑する。けれど同時に妙な納得感も覚えていた。


 アーサーの口からルイスの名が出たということは、ルイスには何かがあるということだろう。であるなら、ウィリアムとの縁談がルイスの策略である可能性が高まることとなり、それはアメリアの考えと合致する。


 しかし、わからないのは自身の目的がルイスであると疑われたことだ。アメリアの目的は、ウィリアムを死なせないこと、ただそれのみであるというのに――。


 その感情が表に出てしまっていたのだろう。

 アーサーは「何だ、違うのか」と呟いて、何か期待外れであったときのような……同時に安堵したような、複雑な顔をした。


「いったいどういうことですの? わたくし、殿下のおっしゃる言葉の意味がわかりませんわ。そもそも、ルイスと会うのは今日が初めてですのよ」

「初めて? だがルイスは、君のことをよく知っているようだったが?」

「何ですって?」


 ――全く話が見えない。アメリアはそう思ったが、けれどここで隙を見せるわけにはいかない。

 アメリアは渾身の力でアーサーの腕を振りほどき、睨みつけた。


「ルイスについてわたくしが殿下に申し上げられるようなことは何一つございませんわ。本当に、ただの一つも」


 二人の間に嫌な沈黙が流れる。

 お互いに相手の腹を探り合う――そんな沈黙。けれど――。


「まぁいいさ。君に出会えただけで俺は満足だ」


 アーサーはひとまず引くことにしたらしい。

 彼は再び王子の仮面を被ると、何かを思い出したように人指し指をピンと立たせた。


「そうだ。君の目的がルイスではないのなら、一つ忠告をしてやろう」

「……何ですの」

「彼は危険だ。俺と、君と、ルイス。俺たちは同じ……彼も何かを持っている。彼はずっと君のことを探していた、気を付けた方がいい」

「ご忠告痛み入りますわ。けれど、それはあなたも同じなのではありませんこと?」


 アメリアはアーサーから視線を離さない。決して彼の間合いに入らぬようにと、警戒心を募らせる。


「そうだな。けれど……俺はウィリアムのことを気に入っている。だから彼の側にルイスのような下賎げせんな人間がいることが許せない。つまり、君次第ということだ」

「心配せずとも、わたくしは永遠にウィリアム様の味方ですわ」

「それは頼もしいな」

「勘違いなさらないで。わたくしはあなたのことも――もちろんルイスも、これっぽっちも信用するつもりはありませんのよ」

「それは賢明な判断だな」

「…………」


 アメリアはアーサーの飄々ひょうひょうとした態度に不信感を募らせつつも、一つだけ――と続けた。


「お尋ねしてもよろしいかしら?」

「答えられることならば」

「ウィリアム様はこのことをご存じ?」

「どうだかな。少なくとも俺は自分の力を他人に話したことはない。当然、ウィリアムにもだ。だが、一つ確実なのは――」


 アーサーはニヤリと唇を歪ませる。


「ウィリアムは、何かを隠している 」

「…………」

「それが何なのかまでは、この俺にもわからないが」

「……そう」


 何かを隠している――その言葉に、アメリアの心に湧き上がる一抹の期待と不安。


 その感情をアーサーには悟られないよう、彼女はくるりときびすを返す。


「わたくし先に参りますわ。少し独りになりたいので、殿下はゆっくりとおいでくださいませ」


 アメリアはアーサーに背を向けたままそう告げると、淑女らしからぬ足取りでその場を後にした。

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