屋上の鍵は、消えた

 生徒会室は開いていた。


 黒は二度ノックして、返事が返ってくる前に扉を開けて中に入った。


「突然すみません」


 生徒会室の中には、二人の男子生徒がいた。

 一人は、生徒会長の水越紳一郎みずこししんいちろうである。彼は受験を控えた三年生だが、生徒会選挙が行われる十月までは会長の座に留まることになる。

 有名人なので、黒も彼の名前は知っている。


 もう一人は、黒のクラスメイトの金城正義かねしろまさよしだ。彼も生徒会のメンバーである。


 二人とも椅子に座って、菓子パンを食べながらスマホをいじっていた。


「黒木さん?」

 金城はスマホから目線を外し、驚きの色を添えて黒に向けた。


 黒と金城は、クラスメイトではあるけど、ほとんど接点がない。そんな相手がいきなり部屋を訪ねてくれば、ちょっぴりドキッとするだろう。

 二人の接点の薄さは、金城が黒を「黒木さん」と呼ぶあたりにも垣間見える。

 黒の本名は黒木桜くろきさくらで、仲のいい友達はみんな彼女を「黒」というあだ名で呼ぶ。


「いきなりごめんなさい……。あの、屋上の鍵を、貸してもらえないでしょうか?」


 金城が「えっと……」と口ごもり、水越に視線を向けた。


 水越は怪訝そうな表情で黒を見た。

「君、名前は黒木さんでいいのかな?」


「はい、そうです」


「黒木さん。たしかに僕たち生徒会は、屋上の掃除をするために、鍵を先生たちから預けられている。でも、先生たちに『部外者には貸し出すな』と念を押されているんだよ」


「でも、その、どうしても必要なんです!」


「理由を教えてもらえるかな?」


 黒は口ごもった。理由は話しにくい。


「事情があるようだね」


 そう言うと水越は椅子から立ち上がり、部屋のすみっこに置いてあるロッカーの前まで歩いた。そして背中越しに言った。


「何はともあれ、黒木さんは屋上に出たい。そういうことだね?」


「はい」


「そっか。仕方ない。僕が同行する形なら、屋上へ出てもいいよ」


「ありがとうございます!」


 水越はロッカーを開いた。そして「え……?」と絶句した。


「水越先輩? どうかしましたか?」


「いったい、どうなってる……?」

 水越はロッカーから一本の鍵を取り出すと、掲げて見せた。ピカチュウのキーホルダーがついている。


「結論から言う」

 水越は言った。

「屋上の鍵は、消えてしまった」


「……へ?」


「生徒会室の鍵と、屋上の鍵は、いつもキーホルダーで一つにまとめているんだ。でも今は見ての通り、キーホルダーに鍵は一本しかついていない。これは生徒会室の鍵だ。屋上の鍵は、消えた」


「盗まれたってことですか!」


 黒はそう確信していた。犯人は青陽だ。彼が生徒会室から屋上の鍵を盗み出して、それで屋上に出たのだ。


「盗まれた、か。まあ、その可能性はあるね。誰が、何のためにって話になるけど」


 水越の疑問はもっともだ。彼は、青陽が自殺しようとしている(かもしれない)ことを知らない。知るわけない。


「水越先輩!」

 黒は水越に詰め寄る。

「なんとかして、屋上に出る方法はないでしょうか?」


「なんだかよく分からないけど、緊急事態みたいだね。仕方ない。職員室から、マスターキーを借りてくるよ」


 水越は生徒会室を飛び出すと、廊下を駆けて行った。


 生徒会室には、黒と金城だけが残された。


 黒は深呼吸した。

 青陽くんは無事だ。大丈夫。無事だ。あのLINEはただの悪戯だ。そう自分に言い聞かせながら。


「黒木さん、いったい何が起こってるの……?」


 金城が、不安そうな表情で言った。彼はもともと頼りない小型犬みたいな顔をしている。わけの分からない事態に直面して狼狽する彼は、より一層頼りなく見えた。


「えっと、なんて言えばいいか……」

 黒は口ごもる。


 水越はなかなか戻ってこなかった。マスターキーはきっと、厳重に保管されているはずだ。手こずるのは仕方ない。

 でも想像していたよりは長くかからず、水越は戻ってきた。


「マスターキーは借りた」


 そう言うと水越は、鍵を掲げて見せた。丁寧に「マスターキー」と記されたラベルシールが、その鍵には貼ってある。


「屋上へ急ごう」

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