イジメは、していません

 黒と白はペントハウスの扉を開けて、校舎内に入った。一階まで階段を下ったとき、白が「トイレ行きたい」と言った。


「いっトイレ。ここで待ってるから」


「うん。待っトイレ」


 白は廊下を歩いて行った。


 黒は壁にもたれかかって、ぼーとしていた。


 そこへ。


「黒木さん」


 とつぜん声をかけられた。


 驚きのあまり黒は「はひぃ!」と間抜けな声を出してしまった。


「……あ、赤坂先生」


 声をかけてきたのは、赤坂先生だった。


「ちょっと聞きたいことがあるのですが、いいですか?」


 黒は身構えた。屋上のことがバレたのかもしれない……。


「単刀直入に聞きますね。単刀直入すぎて、黒木さんは嫌な気分になるかもしれません。でも聞きます」


「は、はい」


「白江さんをイジメているというのは本当ですか?」


 死角から飛んできたパンチみたいに、赤坂先生の質問は黒を慌てさせた。


 黒は何も答えることができなかった。


「ある人から、そう聞いたんです。黒木さんが、白江さんをイジメている。そして白江さんは不登校になってしまったと」


 ちょっと待ってくれ、と黒は思った。

 あたしが? あたしだけが? 

 違う。白を虐げているのは、綾香だ。綾香が主犯だ!


「誰が、そんなことを言ったんですか……?」

 黒は自分でも驚くほど弱々しい声で、そう尋ねた。


「ごめんなさい。報告してくれた人の名前を出すことはできません」


 そりゃあそうか。


「その人は、あたしの名前だけを挙げたんですか?」


「はい」


「あたしは、その……」


「黒木さんは、白江さんと大の仲良し。そうですよね?」


 黒と白は、かつては四六時中一緒にいる仲だった。


「はい」


「私は、黒木さんがイジメなんてする人だとは思えません。何か事情があって、白江さんと喧嘩をしてしまった。ただそれだけのこと。私はそう思いたいです」


「イジメは、していません」


 黒は言った。嘘を言った。

 主犯は綾香だが、彼女の取り巻きである黒もイジメに参加していた。参加せざるを得なかった。白を傷つけるなんて絶対に嫌なのに、保身のために白を虐げた。


「わかりました」


 赤坂先生はそう言い残し、廊下を歩いて行った。


 黒は思った。赤坂先生にさっきの話を密告したのは、きっと青陽だ。彼の嫌がらせだ。


 しかし黒は、そのことで青陽を憎むことはできなかった。じっさい自分は、白を傷つけているのだ。青陽は事実を言ったに過ぎない。そして、肝心なこと、つまり主犯が綾香であることを言わなかっただけだ。


「なに話してたの?」


 白がトイレから帰ってきた。


 どうやら、赤坂先生と話しているところを見られていたようだ。


「もしかして、屋上のことがバレた?」


「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


「ならよかった」


 白は、会話の内容にさほど興味があるわけではないらしく、それ以上つっこんではこなかった。


 黒は帰宅すると、まずシャワーを浴びた。疲労が綺麗に洗い流されていく。


 体中を綺麗にして、風呂を出る。新しい下着に身を包み、髪を乾かす。それだけで彼女は、世界を祝福したい気持ちになった。


 母親は今日仕事が休みで、家にいる。二人で昼食をとった。


「白ちゃんの家じゃなくて、本当は男の家に泊まってたんじゃないの?」

 母親が疑わしそうに言った。


「違うってば。電話で、白の声聞いたでしょ?」


 母親は納得してくれた。やはり昨夜、電話口で白に喋ってもらえたのが大きい。


 母親は白のことが大好きだ。そして信頼している。


 なぜならば白は、黒にできた初めての、本当の友達だからだ。

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