腑に落ちない点が出てきたんだ
翌朝。午前9時過ぎに、黒は暑さで目覚めた。
普段なら朝7時に自然と目が覚める黒だけど、今日はずいぶんと遅くまで寝てしまった。自宅のベッドよりよっぽど寝にくい環境なのに、不思議と安眠できてしまった。白が隣にいると安心するからだろうか?
その白は、まだすやすやと眠っている。彼女が寝坊助なのはもちろん承知している。
黒はまずLINEをチェックした。
「あ……!」
青陽からの返信が来ていた。
着信の時刻は、ついさっきだ。
黒、君はほんと馬鹿だね。紺野さんの性格を考えてみなよ。僕が「黒には手を出すな」と言ったら、紺野さんはどう行動する? 分かるだろ。黒を徹底的に虐げるよ。いいかい。黒に手を出すなと言ったのは、裏返しの意味なんだ。君が紺野さんに虐げられ、ぼろぼろになる姿が見たかったんだ。
黒は大きなため息をついた。あまりに大きくて、その音で白が目を覚ましたほどだ。
「黒がマーライオンみたいにマグマを吐き出す夢見てた」
「そんなろくでもない夢は忘れて」
そう言ってから、黒は白にiPhoneを手渡した。青陽からのメッセージを見せるためだ。
白はしばらく、眠気の森をさまよっていた。iPhoneをどう取り扱っていいのかすら忘れてしまったようで、躊躇いなくそれを齧った。
黒は白のほっぺを、ぎゅーっとつねった。
「いひゃい……」
「目覚めた?」
「完璧に」
黒は改めて、白にLINEを見るよう促した。
白はメッセージを眺めて、「……もはや弁護の余地はなし、か」と言った。どこか寂しそうだった。
10時ちょっと前、灰原から電話がかかってきた。もうすぐ屋上に行くから鍵を開けておいてくれと彼は言った。黒は言われたとおりにした。
やがて扉が開き、灰原と水越と桃田が屋上に出てきた。
「屋上でランチ。ちょっと早いけど」
桃田は言った。
「夢だったんだよね」
桃田と、そして灰原と水越も、それぞれビニール袋を持っている。コンビニで昼食を買ってきたのだろう。
「まさか、本当に屋上に泊まるとはね」
水越が呆れた様子で言った。
「昨夜は涼しくて、快適でしたよ」
黒は言った。
「でも汗はかいたので、近寄らないほうがいいです。たぶん臭いです」
「俺、女の子の汗のにおい好きだわ」
と言って、桃田がにじり寄ってくる。
「クロキチみたいにかわいい娘なら、なお良し」
黒は表情を引きつらせながら、「ど、どうも」と言った。
男性陣はペントハウスの屋根に腰かけて、持参した昼食を食べ始めた。
灰原はサンドイッチをかじりながら、双眼鏡で町を眺めている。青陽の家を監視しているのだろう。
黒と白は家に戻ることにした。風呂に入ってさっぱりして、まともなものを食べよう。
黒と白が屋上を出て行こうとするのを見た水越が、「あ、ちょっと待って」と引きとめた。「一応話しておいた方がいいかなと思うことがあってさ」
二人は足を止め、水越を見上げる。
「屋上の鍵の件なんだけど」
水越は言った。
「あれってけっきょく、青陽くんが鍵番号を盗み見て、それでオンラインサービスを利用してスペアキーを手に入れた。そういう事で決着したんだったよね?」
「ええ、はい」
黒は答える。
「その話を聞いたとき、僕も、その説で間違いないと思った。でも、あとあと考え直してみると、どうも腑に落ちない点が出てきたんだ」
「なんでしょう?」
「僕が青陽くんに見せた屋上の鍵には、ラベルシールがついていた。『屋上』と書かれたラベルシールだ。そして、そのラベルシールは、鍵番号にかぶせるような形で貼ってあったんだ」
「え」
鍵番号にかぶせるような形で、ラベルシールが貼ってあった……?
「そ、それって、つまり……」
「お察しの通りさ。鍵番号は、ラベルシールで隠れて見えなかった。つまり、青陽くんは鍵番号を盗み見ることはできなかったんだ。不可能だったんだよ」
そんな馬鹿な……。
それじゃあ、黒たちの推理は根底から崩されてしまう。
ん……? いや、待てよ……。
「マスターキーですよ!」
黒は叫んだ。
「青陽くんは、屋上の鍵ではなく、何らかの方法でマスターキーの鍵番号を見たんですよ! そしてマスターキーのスペアを作った!」
「残念だけど、マスターキーも、鍵番号がラベルシールで隠れているんだよ。鍵番号が彫られている方の面に、ラベルシールが貼ってある」
「そんな……」
「でも、黒木さんたちの唱えた説が、必ずしも不可能ってわけでもないんだ」
「と、言いますと?」
「屋上の鍵の、鍵番号の面にラベルシールが貼られたのは、今年度に入ってからだからだよ。つまり春休み明けだ。それまでは、反対側にシールは貼ってあった。でも汚れていたから、僕が貼り直したんだ。新しいシールに変えた。その際、鍵番号が彫られている方の面に貼った。べつに狙って鍵番号を隠したわけじゃない。たまたまだよ」
「鍵番号の面にラベルシールが貼られたのは、春休み明け……」
つまり、黒たちが二年生に進級した後、鍵番号の面にラベルシールが貼られたわけだ。黒はその事実を、頭の捜査ファイルにしっかり綴じた。
「うん。だから、春休み明けまでは、鍵番号は隠れていなかったんだ」
「春休み明けまでなら、屋上の鍵の鍵番号を盗み見ることができた。そういうことですね?」
「そのとおり」
もし青陽が、鍵番号がラベルシールで隠れてしまうより前に、一連の犯行を計画していたのなら、『オンラインサービスでスペアキーを作った説』は有効だ。
しかし、春休み明け以前では、青陽が黒を恨む理由がない。青陽が黒にフラれたのは、6月の初め頃だ。時期が合わない。
「オンラインサービスでスペアキーを作った説は、ボツかあ……」
黒はがっくりと肩を落とした。
「いや、私はそうは思わない」
白が言った。きっぱりと。
「え?」
「オンラインサービスを利用したという推理は、間違っていないと思う」
「どうしてそう思うの?」
「勘」
「勘、って……」
「私の勘は当たる」
たしかにその通りだ。白の勘はよく当たるのだ。
「白がそう言うなら、そうなのかもしれないね。うん。ちょっと元気出たよ」
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