白と黒と消えたアオハル

汐見舜一

俺は絶望した。だから死ぬ

◇7月20日


 外では雨が降り続いている。六限目の終わりごろに降り出した、激しい雨だ。


 土砂降りの中帰るのダルいなあ。天気予報では降らないって言ってたのに、騙されたー。

 そんなことを考えながら、くろは机に頬杖をついて、二年F組の教室の窓の外を眺めていた。


 教室の中では、帰りのホームルームが行われている。

 教壇の上で赤坂優子あかさかゆうこ先生が何かを話しているけど、黒は上の空でまったく聞いていなかった。


 ふいに、女子生徒の一人が、「青陽あおはるくんは早退ですか? ずっと教室にいませんが」と先生に尋ねた。


 確かに、三限目の体育の授業以降、青陽を見ていないなと黒は思った。


「はい。青陽くんは早退しました」

 

「体調不良ですか?」


「急用ができたと言っていました」


「急用?」

 男子生徒が首を傾げる。

「でも、青陽のやつ、今日バンクーバーに行く予定でしたよね? なんとか留学ってやつで」


「そうですね。もともと彼は今日、短期留学のためカナダへびゅーんの予定でした。なので、もともと昼休みに早退する予定でした。でも急用ができて、急遽三限目の休み時間に早退しなくちゃ飛行機に間に合わなくなったみたいですね」


「てか、カナダとか初耳だわ!」

 べつの男子生徒が声を上げた。


「俺は聞いてたよ。お土産もリクエストしておいた」


「マジか! ひでぇ! 差別だ!」


「お前、友達だって思われてねぇんじゃねーの?」


「ひぇ~!」


 クラスがどっと笑いに包まれた。

 黒も周りに合わせて、軽く笑みを浮かべておいた。


 青陽が今日早退してカナダへ発つことは、黒も知っていた。二週間くらい前に、彼が友達とその話をしているのを、小耳に挟んだのだ。

 

 しかし、急用、か。なんだろう?

 当初の早退の予定時刻である昼休みまですら待てないほどの、火急の用事。


 ていうか、そもそも、明日は終業式である。夏休みが始まるまであと一日ってわけだ。

 あと一日バンクーバー行きを待てなかったのかとツッコミたくなるが、まあ、彼には彼の事情があるのだろう。

 ともかく彼はこの夏、カナダで優雅に過ごすのだ。羨ましいことで。ちぇっ。


 キーン、コーン……。15時25分。放課を告げるチャイムが鳴った。


 赤坂先生が話をやめて、生徒たちに自由を宣言する。

 生徒たちは一斉にざわめき始め、三々五々散っていく。


 黒は一人で昇降口へ向かった。いつもなら彼女は、放課後はクラスメイトの紺野綾香こんのあやかに強制的に連行される。行先はカラオケかファミレスかゲーセン、たまに下らない合コンごっこに参加させられることもある。


 しかし幸い、綾香は今日、珍しく学校を休んでいる。

 綾香がいないおかげで、今日の放課後は自由に行動できる。黒はスクールバッグを掴むと、そそくさと教室を後にした。


 自由に行動できるとはいえ、黒はとくにやりたいことが思い浮かばなかった。彼女はそのことを一瞬だけ不思議に思った。

 しかしすぐに、手持無沙汰の原因は判明した。

 彼女はここ最近、立て続けに大切な友人を失っている。放課後を一緒に楽しく過ごす相手がいなくなってしまった。


 帰宅する。もはや、それしか選択肢はなかった。


 雨は降り続いている。


 黒は昇降口を出て、折り畳み傘を開いた。それからスカートのポケットからiPhoneを取り出した。

 青陽くんに「いってらっしゃい」のメッセージ送ってあげようかなあ。でもなあ……。


 黒はワケあって、現在、青陽とは距離を置いている。しかし、そろそろ話がしたいとも思っている。


 でも、やっぱり連絡しづらいなあ。

 でも、やっぱり連絡したいなあ。

 いや、でもでも……。


「わー、かわいー!」


 昇降口の隅に、女子生徒が数人集まって、何やら盛り上がっている。


 なんだろう? 気になった黒は、近づいてみた。


「わあ!」

 黒は歓声をあげた。


 昇降口の隅では、一匹の野良猫が雨宿りをしていたのだ。ふっくらと肥えた三毛猫だ。人懐っこい性格で、女子生徒たちが好き放題触ってもジッとしている。


 黒はiPhoneで、猫の写真を撮影した。ちょうど目線をもらうことができ、なかなかいい写真が撮れた。


「……おや?」


 写真を眺めてニヤついていた黒は、ふと、世界の変化に気がついた。雨がやんだのだ。


 雨はぴたりと、あまりに唐突にやんだ。


 けっきょく雨は、三十分程度しか降っていなかったことになる。


 しかし、依然として空は曇っており、なぜかゴロゴロと雷が鳴り始めている。雨が降っている時は鳴ってなかったのに……。


 黒は折り畳み傘を畳んで、バッグに仕舞った。それからもうしばらく猫ちゃんと戯れてから、正門へ向かった。


 正門のそばまで歩いたとき、ポケットの中のiPhoneがぴろんと鳴った。取り出して画面を見ると、LINEのメッセージが届いていた。


「え。青陽くん?」


 なんと、メッセージの送り主は青陽だった。


 ラッキー! まさか青陽くんの方から連絡してくれるなんて! プチ青天の霹靂!


 黒はトーク画面のメッセージを開いた。



 本校舎の屋上から飛び降りる。黒、君が俺を裏切ったせいだ。俺は絶望した。だから死ぬ。さようなら。



 そう記されていた。


「……!」


 黒は弾かれたように振り返った。さっき彼女が出てきた、七階建ての本校舎。

 黒は本校舎に早歩きで戻りながら、青陽にLINEで電話をかけた。しかし彼は出ない。


 黒はiPhoneをポケットに仕舞うと、猛然とダッシュした。帰宅部とは思えない、華麗な走りだ。脚が長いおかげで走る姿が様になる。


 黒は本校舎の昇降口へ駆け込んだ。乱暴にローファーを脱ぎ捨て、廊下を駆ける。がやがやと談笑しながら歩く生徒たちをかき分け、階段を駆け上がって、屋上へ向かう。


「わっ!」


 七階の廊下で、友人の鳥栖茜とすあかねと激突しそうになった。彼女の黒縁眼鏡の奥のたれ目が、驚愕に染まる。


「ごめん茜!」


 黒は激突しそうになったことを詫びると、屋上への階段を駆け上がろうとした。しかし、彼女は足を止めざるを得なかった。


 屋上へ続く階段の前には、赤いカラーコーンが三つ並べられていて、そのあいだにコーンバーが渡されている。通行禁止であることを示すものだ。


 黒は思い出した。本校舎の屋上は、常に施錠されているのだ。そして七階から屋上へつながる階段も、原則として通行が禁じられている。

 しかし、だからと言って、青陽がこの先に行っていないとは限らない。べつにコーンバーに高圧電流が流れているわけではないのだ。


 黒はコーンバーを跨いで、階段を駆け上った。踊り場で華麗にドリフトを決め、もうひとつの階段を駆け上がる。


 屋上の扉の前に到着した。黒はドアノブをひねって押してみるが、開かない。


 黒は考えた。青陽はなんらかの方法で屋上へ出た。そして鍵をかけた。彼は、この扉の先にいる――かもしれない。


 迷った。扉のすりガラスを叩き割るか、否かを。ガラスを叩き割って、そこから手を通せば、つまみを回して鍵を開けられる。


 しかし黒は、ここでにわかに冷静さを取り戻してしまった。青陽からのメッセージの信ぴょう性を疑ってみるだけの余裕を取り戻したのだ。果たして、あの自殺予告は信用に値するのだろうか?


 青陽には、じっさい自殺の動機がないわけではない。それを黒は知っている。なぜならば、その動機(?)の一因が、黒自身にあるからである。


 とはいえ、あの程度のことで、彼が自殺するとは考えにくい。あの程度のことで……。

 あの青陽のことだ。勉強も運動もできて、ルックスも抜群、あまつさえ家が金持ち。そんな、嫌味を擬人化したような男だ。そんな彼が、あの程度のことで絶望し、自殺を敢行するなど、よくよく考えたらあり得ない話ではないか……?


「黒、なんかあったの? ものすごい慌ててたけど……」


 突然声をかけられ、黒は振り返った。

 踊り場から、茜がこっちを見上げていた。心配して、様子を見に来てくれたようだ。


「ねぇ、茜、生徒会室ってどこだっけ?」


 屋上の鍵は生徒会が所有している。生徒会は月末に屋上の掃除をするので、屋上の鍵を先生たちから預けられているのだ。そのことを、黒は知っていた。以前、親友に教えてもらったのだ。親友……いや、元親友と言うべきか……。


「生徒会室は、ここ本校舎の六階。南端だよ」

 茜は、斜め下を指さしながらそう教えてくれた。


 黒は茜にお礼を言って、駆け出した。

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