ひとつ、分かったことがあるよ
黒はポケットからiPhoneを取り出して、写真フォルダを開く。
「黒木さん……じゃなくて、黒。なんか閃いたの?」
「あたし、昨日の放課後、昇降口で野良猫の写真を撮ったんです」
「猫! 僕も猫大好きだよ~!」
黒は、昨日撮影した野良猫の写真を、一覧の中から選んでタップする。すると画面の上に、写真を撮影した時刻が出てくる。
「あたしがこの猫ちゃんを撮影した直後だったんですよ。雨がやんだのは」
「なるほどね」
灰原は感心した様子で、黒のiPhoneを覗きこんできた。
「15時30分。それが、この猫ちゃんが撮影された時間。で、その後すぐに雨がやんだ。じゃあ雨がやんだ時刻は15時30分ごろと見て問題ないね」
「異議なし」
「青陽くんが、もし本当に屋上から飛び降りたのだとしたら、それは、自殺予告のLINEを送ってきた時間、つまり15時35分より後のはず、だよね?」
「そうですね。死んじゃった後にLINEは送れませんからね」
「矛盾に気づかない?」
「えっと……」
「よく考えてみて。もし青陽くんが屋上から飛び降りたのだとしたら、それはLINEを送った時刻(15時35分)より後でないとならない。で、その段階では、すでに雨はやんでいた」
青陽が飛び降りた(かもしれない)時刻に、すでに雨はやんでいた。黒はその事実を反芻した。
「だけど、飛び降りた際に出たと思われる血は、雨でほとんど洗い流されていた。それっておかしくない? その時、もう雨なんて降ってなかったのに、どうやって洗い流されるのかな?」
たしかに、おかしい……。
「でも、そうなると、えっと……どういうことになるんでしょう……?」
「これは僕の想像だけど、犯人――便宜上、犯人と呼ぶね――は、あらかじめ本校舎の裏に、血糊をまき散らしておいたんだ」
血糊を……?
「それから犯人は屋上に行って、遺書や鍵をセットした。仕上げに、黒にLINEで自殺予告のメッセージを送ったんだ」
それなら、一応の筋は通るな。
「犯人にとって、にわか雨が降るのは想定外の出来事だったんだろう。天気予報でも、昼間は晴れるって言ってたし。結果、本校舎裏に撒いた血糊は、ほとんどが雨で洗い流されてしまった」
「そうなると、一連の出来事は、いったいどういう……?」
「まだ情報が少なすぎるから、断言はできない。でも、こう考えることができる。――すべては、青陽くんの自作自演だった、と」
「青陽くんの自作自演……そうに決まっています! だって、屋上に置いてあった遺書は、間違いなく青陽くんの文字で書かれていたんですから!」
そう。それを忘れてはならない。遺書の文字は、間違いなく青陽のものだ。彼の独特な筆跡は、誰にもまねできない。
昨日白が語った陰謀論なんて、論外だ。学校が青陽を消すなんて、ありえない。すべては青陽の自作自演。ちょっと過激な悪戯に過ぎないのだ。
「灰原先輩。昨日、あたしを盗撮してたとき、言ってましたよね? 怪しい人物を見たって生徒がいたから、インタビューを敢行したって。その怪しい人物こそが、きっと青陽くんなんですよ! 嘘ついて予定より早く早退して、校内でこそこそと悪戯の準備をしていたんですよ!」
「残念だけど、それは違うよ。その生徒が見た怪しい人物は、スーツを着た中年の女性だったそうだからさ。たぶん、先生か誰かを訪ねてきた保護者か、来客だろうね。海高の本校舎はつくりが不親切だから、一見さんが迷ってあたふたしちゃうのはよくあることだよ」
「うーん……そうなんですか」
「ま、調査を進めていけば、必ず全容が明らかになるさ。そのために、今回僕たちはドキュメンタリー映画を制作するんだ。真実を知るためのドキュメンタリー……なんだか、テイルズシリーズのキャッチコピーみたいだ」
灰原はひとりでぶつぶつ言っている。
「ところで、黒木さん……」
「黒」
「ごめん、黒。青陽くんの遺書と、それから同封されていた鍵は持ってきてる?」
「もちろんです」
黒はスクールバッグから封筒を取り出し、さらにその中から遺書と鍵を取り出す。そしてテーブルに並べた。
灰原は黙って、遺書と鍵を真剣に眺めていた。それから封筒を一回だけ裏返した。
「ひとつ、分かったことがあるよ」
「え?」
「犯人は昨日、雨があがるまで屋上に留まっていたのさ」
「雨があがるまで? つまり、15時30分ごろまで、ですね?」
「うん」
「どうしてそう思うんですか? LINEは、べつに屋上からじゃなくても送れますよ? 犯人の心理として、いち早く現場から逃げたいでしょうし」
「そうだね。それに放課後は、廊下が人で賑わう。屋上の階段から下りてくる姿を見られる可能性だって高くなる。立ち入り禁止である屋上に出入りする姿を見られるのは、なるべく避けたいところだ。屋上で遺書一式をセットしたら、下校時間より早くその場を離れるのがベストだよね」
「ええ。でも、犯人は15時30分まで屋上に留まっていた。灰原先輩はそう思うんですよね?」
「そうだよ。そう思った理由は単純」
灰原は封筒をつまみ上げた。
「封筒に、濡れた跡がないからだよ」
「あっ、そうか……」
封筒に濡れた跡がないのは、雨があがった後に置かれた証拠である。もちろん水たまりはあるわけだけど、それはタオルを敷くことで解決できる。
「犯人は、雨があがるのをジッと待っていた、ということでしょうか? 雨が降っていたら、封筒を濡らしちゃいますから」
「いや。そんなのは、ビニール袋にでも入れれば解決できる。それに、屋上にはテントが張ってあったんだよね? 最悪そのテントの中に遺書を置いておけばいい。いつやむか分からない雨をジッと待つなんて、合理的じゃないよ。犯人は、何か、ギリギリまで屋上に留まらないといけない理由があったんだよ」
「理由って、なんでしょう?」
「それをこれから明らかにしていくんだよ。僕と黒と白で」
「白も?」
「うん。白が自ら志願してくれたんだ。昨日、電話で話した時にさ。黒はもちろん知ってるだろうけど、白は頭がキレる。きっと力になってくれる」
「はい。勉強嫌いだからテストの点数はイマイチですけど、たしかに白は賢い子です」
「そういうわけで、白にも探偵をやってもらおうと考えたわけさ。まあ、白はもっぱら安楽椅子探偵に徹したいようだけどね。じっさいに動くのは、僕と黒ってことになる」
白にとって学校は、忌むべき場所だ。そんな場所に、たとえ部活であろうとも、今は足を運びたくないのだろう。
灰原は黒のために紅茶を淹れてくれた。柑橘系の香りが混じった、上品な一杯だ。案外こういうところはシャレている。
「ところで、今回撮影するドキュメンタリー映画って、どこかで発表したりするんですか?」
「いや、しないと思う。少なくとも、いまは発表の予定はないよ」
「発表しないのに、撮影する意味ってあるんですか?」
「撮ることに意味があるんだよ」
「よく分かりませんね」
「世に出なくても、映画を撮るのは楽しいものだよ。映画を作って、部員同士で意見を言い合う。青春でしょ?」
「部員って、灰原先輩と白の二人しかいないじゃないですか」
「人数は関係ないよ」
「活動だって、ふだんはほとんどやってないんですよね? あたし、白が映画部として活動してるところ見たことないですし」
「白はね、編集をメインにやってくれているんだ」
「編集?」
「そう。僕はふだんから、いろいろな映像を撮っている。昨日黒を盗撮したようにね。それらの映像は、白と共有しているんだ。白が不登校になっちゃってからは、動画の共有も止まっていたけど、昨日また再開したよ。実を言うと、白にはなるべく見せたくない動画もあるんだけど、白が『一つ残らず見せてください』なんて言うから、その通りにした」
白になるべく見せたくない動画? もしかして、カップルのあれこれを盗撮した動画でも混ざっているのだろうか。
「白はね、面白みの欠片もない淡白な映像を、作品へと見事に昇華させてくれるんだ。白にはそういう才能があるんだよ。いやあ、白の創作意欲が復活したみたいで、本当によかった。映画部にはやっぱり、白がいなくちゃならない」
灰原はしみじみと、天井を仰ぎながら言った。
灰原と白は、なんだかんだで楽しくやっていたのだ。それが彼らの青春。少し羨ましい気がした。
「ふぅん。ろくでもない盗撮映像が、映画になるんですか? ちょっと信じらんないです」
「すでに一本仕上がっているよ! 不特定多数の生徒の活動を通して、青春とは何かを問うスクールドキュメンタリー『なないろの青』がね。去年の4月に撮り始めて、今年の3月に完成した。白の編集のおかげで、かなり完成度の高い作品に仕上がっているんだ」
「ふぅん」
紅茶を飲み終えると、二人は行動を開始することにした。
灰原は意気揚々と、部室を出て行こうとする。
「灰原先輩」
黒は灰原を引き留めた。
「撮影をするんですよね? いろんな人にインタビューをするんですよね? じゃあ、カメラを持って行かないとダメじゃないですか」
「カメラはここにある」
灰原はポケットからスマホを取り出した。
「iPhone。こいつが僕の相棒だよ」
「スマホで映画撮影ですか?」
「まあまあ、そう胡散臭そうな顔しないで。世の中にはね、スマホで撮影された映画もたくさんあるんだよ。例えば『タンジェリン』。これは、全編iPhone5sで撮影されているんだ。ゴッサム・インディペンデント映画賞、インディペンデント・スピリット賞、サンフランシスコ映画批評家協会賞といった映画賞でも認められた秀作なんだ」
「よく分からないけど、スマホでも映画は撮れるってことなんですね」
「まあ、『タンジェリン』は、iPhoneに専用のアナモフィックレンズをつけて撮影したらしいんだけどね。でも、アナモフィックレンズなしでも十分戦えるよ、大丈夫。スマホの性能は目覚ましい速度で向上しているしね。さあ行こう、最初の戦場へ」
こんな調子で、「青陽くん事件」の謎を追うドキュメンタリー映画撮影は始まったのだった。
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