名探偵みたい
黒と白は体育館を出た。外気にあたって初めて、黒は自分がかなりの量の汗をかいていることに気づいた。
白は、扉のそばの自販機でコーラを二本買って、ひとつを黒に手渡した。
黒はお礼を言って受け取った。それから二人は、体育館の壁に寄り掛かって、少しのあいだ無言でコーラを飲んだ。
「黒。緑川くんのセリフを聞いて、見えてきたでしょ? 『青陽くん事件』の一端がさ」
「分かったような、分からないような……。なんか、頭の中がごちゃごちゃで……」
「思い出してみて。緑川くんがステージで持っていた遺書の小道具。あれはどう見ても、かばんからテキトーに引っ張り出してきたプリントだったよね? 通し稽古なのに、小道具がテキトー過ぎる。そう思わない?」
「うーん……でもさ、演劇部のみんな、体操着姿だったよ? 衣装は本番用じゃなかったわけだよ。衣装はテキトーなんだよ。小道具だって、べつにテキトーでもおかしくはないと思うけど」
「あの暑さの中だ。衣装は妥協してもおかしくはない。あの物語の中の季節設定は冬だ。ステージにクリスマスツリーが置いてあったことや、BGMに『きよしこの夜』が使われていたことからも、それは明白だ。ということは、衣装も冬服に違いない。あの暑さの中、冬服なんて着たら死んじゃうよ」
「なるほど……」
「茜が持っていた包丁の小道具は、本物と見分けがつかないくらいリアルなものだったし、コウサカ役の男子が持っていた酒瓶も、ちゃんと琥珀色の液体が入れられていた。小道具に気をつかっている。緑川くんの小道具だけがテキトーなのはおかしい」
「……となると、つまり?」
「私の考えはこうだ。緑川くんは、遺書の小道具を使えなかった。だから代わりに、テキトーなプリントで代用した」
「どうして使えなかったんだろう?」
「盗まれたんだよ」
「え?」
「演劇部の部室から、遺書の小道具は盗まれた。緑川くんたちは、今日そのことに気づいた。だから急遽、プリントで代用したんだ」
「……」
「もともとは、遺書の小道具はきちんと用意してあったんだよ。さて、ここからが重要だよ、黒」
白はコーラを一口飲む。
「思い出してみて。緑川くんのセリフで、コウサカが小説家だったことが明示されていたよね? そして、書斎の机にこれ見よがしに遺書が置いてあったことと、最初それが遺書だと気づかなかったことも、セリフにあったよね?」
「うん。そうだったね」
「物語の中で、コウサカはきっと、原稿用紙を遺書として使ったんだよ。小説家の書斎の机に、原稿用紙があるのは当然のこと。これ見よがしに置いてあっても、まさかそれが遺書だなんて思うはずがない。遺書の発見が遅くなってしまうのは当然のこと」
「たしかに、そうだね」
「原稿用紙の遺書。黒、見覚えはない?」
「そういうことか……」
黒はスクールバッグから、屋上で見つけた青陽の遺書を取り出した。
「そう」
白は頷いた。
「黒が屋上で見つけた遺書は、演劇の小道具だったんだよ。脚本担当である青陽くんが、自分で作ったんだろうね。だから文字は青陽くんのものになる。青陽くん本人が書いたんだから」
「じゃあ、まさか……」
「お察しのとおり、『青陽くん事件』の犯人は、演劇部の部室から小道具の遺書を盗み出して、それを屋上に置いたんだ。青陽くんが自殺したと思わせるためにね」
黒は驚きのあまり、瞬きすら忘れていた。
「……白、あんたやっぱりすごいよ。名探偵みたい」
「私はもともと、芝居の概要を青陽くんの口から聞いていたんだ。彼がまだ脚本に取り掛かる前に、相談を受けたんだ。そのことを思い出して、今日は黒を演劇部に会わせようとした。つまり私は、答えにたどり着くためのヒントをあらかじめ持っていた。だから、すごくもなんともない」
白は淡々と言う。
「それに、これはまだ仮説でしかない」
「……白と青陽くんって、けっこう二人だけで会ったりしてるの?」
「してるよ。映画とか演劇を語り合える人って案外少ないから、貴重な人材だね、彼は」
「そっか」
「あ。もしかして嫉妬した?」
「し、してないし……」
白の仮説を確かめるため、黒と白は通し稽古が終わるのを待った。芝居を見て時間を潰そうと思ったのだけど、重要なシーンを見逃してしまっていたらしく、まったくストーリーを追うことができなかった。そしてあまりに体育館が暑かった。よって、外で待つことにした。
通し稽古が終わると、黒と白は茜を捕まえた。
茜は白を見て歓声をあげた。「久しぶり!」と叫んで、白の小さな体をぎゅっと抱きしめた。
白は「暑苦しい」と苦情を申し立てた。
「茜。これ」
黒は、屋上で見つけた青陽の遺書を差し出した。
「え」
茜はマジックショーの観客みたいな表情になった。
「どうして、これを黒が持ってるの……?」
「ちょっと説明が難しいんだ……。でも、盗んだわけじゃないよ」
「もちろん分かってるよ。黒がそんなことするはずないし、する理由もないもん」
「これ、返しておくね」
黒は茜に、小道具の遺書を手渡した。
「何も聞かずに受け取っておくね」
「ありがとう」
遺書の返還が終わると、白が茜に尋ねた。
「この遺書、いつ消えたのか分からない?」
「ちょっと分からないなあ……。遺書を使うシーンは序盤だけで、最近はずっと終盤の稽古をしていたから……。だから遺書の出番はぜんぜんなかったの。存在すら忘れてた」
茜は申し訳なさそうに言った。でも直後に、何かを思い出したようで、「関係ないかもだけど」と続けた。
「関係ないかもだけど、遺書のほかに、血糊も消えていたんだよ。やっぱ、誰かが盗んでるってことだよね……?」
血糊。そんなもの盗んで、何に使うというのだろう。
「黒」
白は、黒の耳元に顔を寄せようと背伸びする。でも身長差があり過ぎて届かない。
黒は腰を落として、白が背伸びしないでいいようにしてあげた。
「本校舎裏で黒が見つけた、血みたいな跡だよ」
白は耳元で囁く。
「犯人は、青陽くんが飛び降りたと見せかけるために、盗んだ血糊をばらまいたんだ。けっきょく、ほとんど雨で洗い流されてしまったわけだけど」
またまた名推理である。黒は感心するばかりだった。
そういえば、灰原も、血糊を使った偽装工作である可能性をあげていた。やっぱりあの人も、頭はいいのだ。メンタルが雑魚すぎるのが問題なだけで……。
茜が稽古の後片づけに消えると、黒と白は引き上げることにした。
「あ、ちょっと待って」
正門の前で、白が立ち止まった。
「帰る前に、灰原先輩に挨拶しておきたい」
「あたしは灰原先輩に激おこだから、行かない。ここで待ってるね」
白は頷いて、本校舎へ歩いて行った。
黒は正門で待機する。iPhoneを見ると、時刻は18時を回っていた。空には、ぼんやりとした月が貼り付いている。
「青陽くんは、本当に消されちゃったのかな……」
誰かが遺書の小道具を盗み出したという事実は、第三者の存在を示唆している。青陽の自作自演なら、わざわざ小道具で遺書をでっちあげる必要なんてないのだから。
一人になって、心に空白が生じると、それを埋めるようにネガティブな感情が流れこんでくる。
くだらない陰謀論が、黒の中で存在感を増していく。
「青陽くん……」
目頭が熱くなる。涙を流すまいと、眉間に力をこめる。誰が見ているわけでもない。でも涙は流したくなかった。
ややあって、白が正門に戻ってきた。
「黒。私と一緒にきて」
「え、どこに?」
「灰原先輩のところ」
「やだ」
「わがまま言わないで。きて」
「やなもんはやだ」
「ドキュメンタリー映画撮影、やっぱり続けるってさ」
「……え? ほんと?」
「うん。あと、新事実が判明したみたいだよ」
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