必ず真実を暴いてやる

「あ、黒木さん……」


 黒の姿を見ると、灰原は気まずそうに、目線を床に落とした。


「黒です」

 黒は言った。

「呼び方、黒木さんに戻ってますよ」


「でも、今の僕に、君をあだ名で呼ぶ資格などあるのだろうか……?」


 いったいどういう基準なんだ。


「もう怒ってませんよ」

 黒は言った。

「たぶん」


 灰原は目線を上げて、ホッとしたように表情を緩めた。


「灰原先輩。あれを黒に見せてあげてください」

 白は言った。


 灰原は頷くと、黒に椅子をすすめた。

 黒はそれに座った。


 灰原は、マックブックで、とある動画を再生した。


「黒。昼間の話、覚えてるかな? 僕がドキュメンタリー映画を一本すでに仕上げてるって話」


「ああ、なんでしたっけ。海高のいろんな生徒を撮影して、青春とは何かを問う、とかってやつですよね? タイトルは、えっと……」


「『なないろの青』。部活動をメインに撮影した内容さ。掘り下げていくと、どの部活にも必ずドラマがあるからね。で、その映画というのが、いま再生している、これなんだ」


「このドキュメンタリー映画が、『青陽くん事件』のヒントになるわけですか?」


「まあ、見ていてくれ」


 灰原は、シークバーのスライダーを動かして、動画の時間を進めた。

 画面には、水越が映し出された。彼は廊下を歩きながら、撮影者の質問に答えている。撮影者はもちろん灰原だ。姿は見えないけど、声で分かる。


『――生徒会と言っても、アニメや漫画みたいに、絶大な権限を与えられているわけじゃないよ』

 動画の中の水越は、笑みを浮かべて言った。

『独自の権限と言ったらせいぜい、屋上に自由に出入りできること。そんなもんだね。生徒会は、屋上の鍵を先生たちから預けられているんだ。たまに屋上の掃除をするからね』


 水越は、ピカチュウのキーホルダーを掲げて、カメラに見せた。キーホルダーには、鍵が二本ついている。


 水越は『これが生徒会室の鍵で、こっちが屋上の鍵』と言って、屋上の鍵をカメラに近づけた。それから一度裏返して、また戻した。


 ここで灰原は、動画を一時停止した。マックブックの画面の中では、鍵を掲げた格好で水越が固まっている。動画の画質は良好で、ディンプルキーの凸凹まで鮮明に確認できる。


「黒が持っている屋上の鍵と、画面の中で水越が掲げている屋上の鍵。そのふたつを見比べてみてほしい」


 灰原の言う通り、黒はスクールバッグから屋上の鍵を取り出した。そして、動画の中の鍵と見比べた。


「あ」


 黒は気づいた。

 彼女が持っている鍵と、動画の中で水越が持っている鍵には、決定的な違いがある。


「シール、ですね?」

 黒は言った。


「正解。シールだよ。動画の中で水越が持っている屋上の鍵には、『屋上』と書かれたラベルシールが貼ってある。鍵の頭の部分にぺたりとね。一方、黒が屋上で回収した鍵には、シールが貼られていない」


「すると、えっと……どういうことになるんでしょう?」


「今日の取材で明らかになったことがいくつかある。いま注目してほしいのは、金城くんの件だ。生徒会室から鍵が消えたのは、金城くんが何者かに脅迫された末に、窓から鍵を中庭に放り投げてしまったから。そうだったよね?」


「はい」


「金城くんを脅迫した犯人は、中庭で鍵を拾うと、屋上に向かった。そして遺書をセットした。鍵も封筒に入れておいた。密室をつくるためだ。犯人はマスターキーも持っていたから、金城くんが放り投げてくれた鍵を封筒の中に残したまま、校舎に戻って屋上を施錠することができた。これが僕の考えだった」


「そうでしたね」


 そして、その犯人は綾香だと、灰原は睨んでいたはずだ。


「でも、さっき黒に見てもらった、『なないろの青』のワンシーン。水越が鍵を紹介するシーン。それが、僕の仮説を否定してくれた」


「……?」


「もし、僕の仮説どおりに犯人が行動したのだとしたら、封筒の中に入っていた鍵には、きちんとラベルシールがついているはずなんだ。『屋上』と記されたラベルシールがね。そうでしょ? 屋上の鍵にはラベルシールがついている。動画が証拠だ。でも、いま黒が持っている鍵には、ラベルシールがついていない。これはおかしい」


「たしかに……」


「では、犯人はわざわざシールを剥がしたのだろうか? 黒はどう思う?」


「鍵のラベルシールをわざわざ剥がす意味なんてありません。少なくとも、私は理由を思いつきません」


「僕もだよ。シールを剥がす理由なんてないと思う。白はどう思う?」


「私も二人と同じ意見です」


 白のお墨付きも得た。鍵からシールを剥がす理由なんて存在しない。そう結論づけて差し支えないだろう。


「ただ」

 白は続けた。

「黒がいま持っている鍵が、実はマスターキーという可能性はありませんか? 犯人はマスターキーを封筒に残して、屋上の鍵で扉を施錠した。それなら、黒がいま持っている鍵にシールがついていない理由になります」


「いや、それはないと思う」

 黒が答えた。

「マスターキーにも、ラベルシールは貼ってあるからさ。昨日、水越先輩が職員室から借りてきてくれたとき、ちらっと見たんだよ。『マスターキー』って書かれたラベルシールが貼ってあった」


「へえ、そうなんだ。じゃあ文句はないよ」


「白も納得したところで、推理を先に進めよう」

 灰原は言った。

「どうして黒が屋上で見つけた鍵には、ラベルシールがついていないのか。僕の仮説はふたつある」

 彼は指を二本立てた。

「まず、最初の仮説。黒が見つけた鍵は、じつは屋上の鍵ではなかった。まったく関係ない鍵だった。という仮説」


「それはあり得ません。あたし、ちゃんと確認しましたから。この鍵で、屋上の扉を開けてみたんです。ちゃんと開きました」


 灰原は頷くと、中指を折り畳んだ。そして続けた。


「第二の仮説。いま黒が持っている鍵は、複製された『第三の鍵』である。という仮説」


「第三の、鍵……?」


「そう。オリジナルの屋上の鍵とマスターキーに次ぐ、第三の鍵」


「えっと……」


「犯人はきっと、屋上の鍵のコピーを持っていたんだ。犯人はそれを使って、好きな時に屋上に出入りできる状態だったんだよ」


「……」


「おそらく犯人は、鍵を二本複製した。その一本を封筒の中に入れて、もう片方の鍵で施錠をした。そうして、密室を作り上げた」


「でも、それじゃあ、犯人が金城くんを脅迫した意味がないじゃないですか。犯人は、金城くんを脅迫して、鍵を生徒会室から中庭に放り投げさせたんですよ? 鍵のコピーを二本あらかじめ所有していたなら、生徒会室から鍵を盗む必要なんてありません」


「犯人が金城くんを脅迫して、鍵を中庭に放り投げさせたのは、おそらくフェイクだ」


「フェイク……?」


「そう。あたかも、生徒会室から消えた鍵が犯行に使われたと思わせるための、偽装工作だったんだよ」


 偽装工作……。


「犯行に使った鍵は、複製した二本のみだと思う。金城くんが窓から放り投げた鍵は、一切犯行には使われていないんだよ。生徒会室の窓の外は中庭で、草が生い茂っている。そこに鍵が落ちていたところで誰も気づかない。犯人は、全ての工作が終わったあと、悠々とその鍵を回収したんじゃないかな」


「なるほど……」


「まあ、まだ仮説だけどね」

 灰原は頬を掻いた。

「でも、必ず明らかにしてみせるよ。ドキュメンタリー映画撮影は続行する。必ず真実を暴いてやる」


 灰原がとても頼もしく見えた。この人の株価は本当に安定しない。


「でも、どうして心変わりを? さっきまでは、真相を知るのが怖いって言ってたじゃないですか」


「白に尻を叩かれてね。それで、弱気じゃだめだって思いなおした」


 さすが白だ。


「なにはともあれ」

 灰原は言った。

「犯人は鍵のコピーをあらかじめ持っていた可能性が高い。それはすなわち、容疑者の範囲が広がったことを意味する。あらかじめ鍵のコピーを持っていれば、誰だって犯行が可能だったんだからね。オリジナルの屋上の鍵も、マスターキーも必要ない。相対的に、紺野綾香と学校の犯行の可能性は薄くなった」


 灰原は壁の時計に目線をやった。

 黒もつられて時計を見た。時刻は19時近かった。


「今日はもう遅い。解散しようか」


「はい」

 白が答えた。

「今日の金曜ロードショーでやる、変なスペシャルドラマ観たいですし」


 灰原は部室を施錠して、鍵を職員室に返しに行く。黒と白も付き添った。


 鍵を返し終えると、学校から出た。正門の前の大通りで、灰原とは別れることになった。彼は最寄りのターミナル駅である遠浜とおはま駅から電車に乗って帰宅するそうだ。


「じゃあ、また連絡するね!」


 灰原はそう言って、駅に向かって歩いていった。


 黒と白は、彼とは反対の道を行く。長い坂道を下って、海沿いの道に出た。白はローカル線であるアオデンを使ったほうが早く帰れる。


 海高の周辺は栄えているけど、海に近づくにつれて、同じ市内とは思えないほど閑散としてくる。


 ヘッドライトで闇を切り裂きながら、自動車が二車線道路を行きかっている。砂浜では、大学生っぽい男女が花火をしてはしゃいでいる。広大な海は月明りを幻想的に反射して、どこか異世界じみた雰囲気を醸し出している。遠くに見える小島の展望灯台は、観光客の増える今の期間だけライトアップされている。


「黒の家はこっちじゃなくない?」

 駅を目前にしたとき、白が言った。


「駅まで送るよ。白、小学生みたいだから誘拐されちゃいそうだし」


「頭脳は大人だ」


「見た目は小学生だって認めるんだね?」


「認めない。こんなにグラマラスでセクシーな小学生がいるわけないでしょ?」


「グラマラス……? セクシー……?」


「なんだその反応は」

 白はむっとした表情で、横目で黒を睨み上げる。

「黒だって胸は小学生みたいなもんのくせに」


「こら」


 くだらない会話をしているうちに、駅に到着した。黒はちょっぴり寂しくなった。もう少し、白と一緒に話をしていたかった。


「今日、私の家の近くでお祭りをやってるんだ」

 かばんからPASMOを取り出しながら白は、そう呟いた。

「帰り道、混みそうで嫌だな」


 お祭り、と黒は思った。

 白と一緒に行ったら、きっと楽しいだろう。


「……ねぇ、白。そのお祭り、今から一緒に行かない?」


「ええ……。私、うるさいのは嫌いだ。お祭りは騒音ランキングの割と上位だ」


「まあまあ、そう言わずにさ」


 やっぱり黒は、まだ白とお別れしたくなかった。どんな理由でもいいから、一緒にいたかった。


「金曜ロードショー観たい」


「録画しなよ」


 白はぶつぶつと小言を言ったけど、けっきょくは了解してくれた。二人は電車に乗った。

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