白!? どうしてここに?

 黒は、たとえ一人でも、真相を突き止めてやると心に誓った。誓うことができるようになった。

 そういう意味では、灰原に感謝している。彼が、綾香の暴行の動画を見せてくれたおかげで、黒は青陽の優しさを再認識することができた。

 あの動画は、今月の初めに撮影されたものだと灰原は言っていた。つまり、動画が撮影された時点で、青陽はすでに黒にフラれていたのだ。それにもかかわらず、青陽は黒をかばってくれた。


 真相を突き止めると決意したものの、具体的にどうすればいいのか、さっぱり分からなかった。黒は途方に暮れてしまった。


 黒の足は自然と、本校舎を出て正門を目指していた。無意識に自宅に向かってしまうくらい、彼女は疲れていたのだ。


 橙色の燃えるような空を、夜が東から西へ、藍色に塗り替えていく。美しいグラデーションの空の下を、黒はとぼとぼと歩く。


 正門を踏み出した、そのとき。


「黒、帰るの?」


 とつぜん、背後から声をかけられた。


「え」

 黒は振り返った。


 そこには、制服を着た、ちっちゃい女の子が立っていた。

 白だった。


「白!? どうしてここに?」


「夏休みくらい、学校行ってやろうと思って」


「ええ……」


「というのは冗談で、助太刀にきてあげたんだ。たぶんそろそろ、黒と灰原先輩は喧嘩してるころだろうと思って」


「……白、やっぱりあんたってエスパーかなんか? ニャスパーなの?」


 白が予想したとおり、ついさっき黒と灰原は決別したところだ。


「で、喧嘩の原因は?」


「灰原先輩が、急に陰謀論者になっちゃって……。学校が青陽くんを消したとか言ってさ……」


「まあ、灰原先輩も私と同じで、『月刊ムー』と『やりすぎ都市伝説』好きだからね」


「もう! あたしはムーも都市伝説も嫌い!」

 黒はぷいっとそっぽを向いた。


「私、もう一度じっくりと、『青陽くん事件』について考えてみたんだ」

 白は言った。

「そしたら、ちょっと見えてきたことがある。私なら、事件を解決できるかもしれない。さあ、ねてないで調査再開だ、黒」


 頼もしい助っ人だと、黒は思った。白は勘が鋭い。あるいは、黒も灰原も見つけられなかった「何か」を、探し当てることができるかもしれない。


 よし。気を取り直して、調査再開だ。


「黒、なにニヤニヤしてんの?」


「え? ニヤニヤなんかしてないよ」


 いや、していたな、と黒は自覚する。彼女は嬉しかったのだ。白と一緒に、またこうして行動できることが。


「黒。第二体育館に行くよ」


 海高には、総合体育館、第一体育館、第二体育館と、合計三つの体育館が存在する。第二体育館は、その中では最も小さい。


「第二体育館? なんで?」


「演劇部が活動してるからだ」


「演劇部? 演劇部が、事件解決に役立つわけ?」


「いいから行くよ。つべこべ言わずに、私に従って」


 白は意外とリーダー気質だ。仲良くつるんでいたころも、基本的に白が黒を引っ張っていた。


 グラウンドで活動する野球部を横目に、第二体育館へ向かう。

 だんだんと、男女の怒鳴り声が聞こえてきた。声の発生源は第二体育館の中だ。

 第二体育館の窓は、どこも遮光カーテンがひかれており、中を覗くことができない。


「体育館になんか用か?」


 第二体育館の扉から、男子生徒が顔を出してこっちを見ていた。でっぷりと太った男子生徒だ。同級生の緑川みどりかわ誠一せいいちである。彼は黒縁眼鏡の奥の鋭い目で、黒と白を交互に捉えながら、こっちに歩いてきた。


「緑川くん」

 黒は言った。

「今日も太いねぇ」


「黒」

 緑川は言った。

「今日も高いねぇ」


 それから二人は申し合わせたように白を見て、声を揃えて「今日もちっちゃいねぇ」と言った。


 白は「うっせ」と言って、緑川のお腹を軽く叩いた。


 緑川は、去年は黒と白と同じクラスだった。今はクラスが異なるけど、顔を合わせるとついつい長話をしてしまう。そんな仲だ。


「白、体調はもう大丈夫なのか?」

 緑川は尋ねた。


 白は表向き、体調不良で学校を休んでいるということになっている。むろん、じっさいは、いじめによる不登校だ。緑川はそのことを知っているけど、気を遣って、体調不良ということにしてくれている。


「夏休み限定で回復した」

 白は答えた。

「九月になったらまた悪化する予定」


「せいぜい夏を楽しむんだな」

 緑川は白の背中を軽く叩いた。

「で、話は戻るわけだが、体育館になんか用か?」

 それから彼は黒に目線を移した。

「ダンクシュートの練習にでもきたのか?」


「さすがにダンクできるほど高くないから」

 黒はむくれて見せた。


「まあなんであれ、悪いけど、今は我々演劇部が使用している。絶賛稽古中なんだ」


 緑川は演劇部に所属している。演技の実力はピカイチで、とにかく動ける。肥満体型なのにめちゃくちゃ俊敏なのだ。


「ねぇ」

 白は言った。

「青陽くんが書いた新作の脚本、緑川くん知ってる?」


「知ってるも何も、青陽の新作の稽古をしている真っ最中だ」


「そっか。ナイスタイミングだ。ねえ、稽古を見学してもいいかな?」


 緑川は目を輝かせて「おお、ぜひぜひ!」と言った。

「今回の芝居は、うちらの自信作なんだ。青陽の渾身の脚本と、俺たちの熱い芝居が、混然一体となって観客に襲い掛かるぜ! でさ、今はちょうど、通し稽古をしているところなんだ。もう少ししたら俺の出番もあるからさ、ぜひ見ていってくれよ! まだ始まったばかりだから、ストーリーも追いやすいと思う。白の厳しい目で、芝居の出来をジャッジしてくれ」


 緑川は、黒と白の手を掴むと、強引に体育館の中に引っ張っていく。


 日が沈みかけているにもかかわらず、体育館の中は殺人的に暑かった。窓を全て閉めて、カーテンもひかれているので、熱がこもってヤバい。


 通し稽古は、照明を使った本格的なものなので、体育館の中を暗くする必要があるのだ。音響機器も、本番さながら使用しているようだ。


 黒と白は緑川に連れられて、ステージの前まできた。

 そこには、控えの演劇部員たちが腰を下ろして、真剣なまなざしでステージを見上げている。第二体育館の舞台袖はあまりスペースがないため、しばらく出番のない部員たちは、こうして床に座って待機しているのだ。


 ステージ上では、男子生徒と、包丁(とうぜんレプリカだろう)を持った女子生徒が怒鳴り合っていた。かなり修羅場なシーンだ。ステージの奥には、クリスマスツリーが置いてある。


「茜だ」

 白が囁いた。


 そう。ステージ上で包丁を持っている女子生徒は、茜なのだ。ふだんは穏やかな彼女だけど、今は鬼気迫る形相で相手役の男子をまっすぐ睨みつけている。そして「この飲んだくれ! そこをどいて! どかないなら……!」と叫んで、相手の腕を切りつけた。


「……茜、芝居だと人が変わるね」

 黒は言った。


「変わらないとダメでしょ。それが演技ってもんなんだから」

 白はもっともなことを言う。


 いつの間にか、隣に座っていた緑川は消えていた。彼は動きに音を伴わない。忍者みたいなやつなのだ。


 稽古は続く。

 男は、「どうしても行くというのか、あの男のもとに!?」と叫んだあと、ゆっくりと崩れ落ちた。


 茜はしばらく男を睨んでいたけど、やがて包丁を投げ捨てた。そして舞台袖に姿を消した。


 男は茜が消えた舞台袖に向かって「お願いだ! もう酒はやめる! 約束する! だから、行かないでくれ……! ええい! ちくしょう! 先に裏切ったのはお前のくせに!」と叫んだ。


 彼の悲痛なセリフが終わると同時に、ステージは暗転した。

 

 わずかな間があって、ステージが明転する。明転に合わせて音楽が鳴り始める。『きよしこの夜』だ。

 明転したステージの中央には、紙切れを持った緑川が立っていた。よく見るとその紙切れは、先日学校で配られた、夏休み中の注意事項が記されたプリントだった。『いらすとや』のイラストが透けている。小道具の代用品として使用しているのだろうか。


「彼は若くして、自ら命を絶ちました」

 緑川は話し始めた。観客に向けられた、メタ的なセリフだ。

「将来を嘱望された天才小説家のコウサカは、ある事件を境にアルコールに溺れるようになりました。追い打ちをかけるように、妻の不倫が発覚。しかし彼の苦難は、それだけに留まらず――」


 舞台上だと、緑川がやけにかっこよく見えるなと、黒は感心する。


「――コウサカは遺書を残しました」

 緑川のセリフは続いている。

「それを初めに発見したのは僕でした。コウサカの書斎の机の上に、これ見よがしに遺書は置いてありました。だけど僕は初め、それが遺書だとは気づきませんでした」


 緑川は、紙切れを掲げて軽く振って見せる。どうやらその紙切れは遺書の設定らしい。


 彼は、それが神から与えられた罰であるかのように、悲痛な面持ちで、ゆっくり遺書を読み始めた。

「もう生きてはいけない。自分が弱い人間なのは分かっている。自分が欠点だらけなのは分かっている。それでも、今度の裏切りは堪えた。ひどい裏切りだ。俺は信じた人に裏切られた。完膚なきまでに、俺は傷ついた。この傷が癒えることはもうないだろう。これ以上生きていたくない。この傷を背負って生きていく苦しみに比べれば、今この瞬間自らの命を絶ってしまうほうがよっぽど楽だ。俺は楽なほうの道を選ぶ。君は苦しいほうの道を選べ。選ぶしかないんだ。俺は君を許さない。さようなら」


 黒は愕然とした。


 今の緑川のセリフには、見覚えがあったからだ。聞き覚えではなく、見覚えが……。


「一字一句違わない……」


 黒が昨日、本校舎の屋上で発見した遺書。そこに書かれた内容と、さっきの緑川のセリフが、全く同じなのだ。


 これは、いったいどういうことなんだ……?


 白は黒を横目で眺めていた。そして言った。


「黒。ちょっと外に出よう」

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