僕はそれを知るのが怖いんだ

 黒と灰原は映画部の部室に戻った。


「おやつの時間だ」

 灰原は言った。

 しかし時刻はもう16時だった。


 灰原は二人分の紅茶を淹れた。バタークッキーを皿にあけて、テーブルに置いた。この部屋には、客をもてなすアイテムがきちんと備わっているみたいだ。そういうところは気が利く。


 黒はしばし、おやつを堪能する。

 しかし灰原は一向に、紅茶にもクッキーにも手をつけない。ジッと座って、親指の爪を噛んで黙っている。


 黒は「爪を噛むのやめてください。おこちゃまですか」と注意した。


 灰原は「ああ、うん」と言い、爪を噛み続けた。


 黒はしばらく黙って、灰原が口を開くのを待っていた。しかしどんなに待っても話を始めようとしない。


「灰原先輩」

 黒はしびれを切らした。

「いい加減にしてください。いったいどうしたんですか? 説明してください」


「……桃田の証言によれば」

 灰原はようやく喋り始めた。

「放課後、屋上の階段から、女子の制服を着た人物が下りてきたわけだよね」


「らしいですね」


「それだと非常にまずいんだ。青陽くんの自作自演説を否定する証言だ」


「なんだ、そんなことで悩んでいたんですか。悩みポイントがよく分からない人ですね」

 黒は苦笑した。

「屋上から下りてきたその生徒が、事件に関わっていると決まったわけじゃありませんよ。彼氏を待っていたけど、急にトイレに行きたくなって階段を下りた無関係な女子かもしれませんし」


「うん、まあ。でも……」


 灰原は何かを言いかけて、やめた。陰鬱な視線を床に落とすと、また黙ってしまった。


「もう、なんなんですか! 黙ってないでハッキリ言ってください!」

 黒は灰原にデコピンを食らわせた。


 灰原は「あいてっ……」っとデコを押さえた。そして「ごめん……」と謝った。


「相手の目を見て話す!」

 黒はまたデコピンのポーズをとった。


 灰原は両手で顔面をガードした。

「努力するよ……」

 相変わらず目を見ないで、灰原は言った。

「黒。君に、第二の爆弾を見せたいんだが、いいかな?」


 第二の爆弾。なんだそのジョジョみたいなワードは。


「もうなんでもこいですよ。なんであれ、事件解決に繋がりそうな証拠は隠さず見せてください」


 灰原は緩慢な動きでマックブックを操作し始めた。できることなら操作したくないという雰囲気だ。

 それから彼は、マックブックを黒の前に移動させた。動画がスタンバイされている。あとは再生ボタンをクリックすれば、動画は再生される。


 この動画が、灰原の言う第二の爆弾なのだろう。


 第一の爆弾が、金城がスマホをプールに放り込む動画。そして第二の爆弾がこれってわけだ。


「僕はね、学校の陰謀説なんて信じちゃいなかった……。たしかに面白い説だ。白の想像力には恐れ入る。でも、あくまで、面白いけどありえない仮説だと、僕は考えていた。ドキュメンタリー映画を盛り上げるスパイスにはもってこいだから表向きは否定しなかったけど、心の中では100%ありえないと思っていた……。でもね、ここにきて、学校の陰謀説は現実味を帯びてきてしまった」


「どうしてそうなるんですか? 意味わかんないですよ」


「ひとつ聞いていいかな? 聞くね。昨日、紺野綾香はちゃんと出席してた?」


 なんで綾香の名前が出てくるのだろう?


「昨日は、綾香は学校を休んでいましたよ。あと今日も。夏風邪でもひいたんじゃないですかね」


 灰原はため息をついた。そして用意していた動画を再生した。


 灰原が「第二の爆弾」と称した動画は、二人の男女を映したものだった。


「これは、今月の初めに撮影した動画だよ」


「これって……。青陽くんと、綾香……?」


 動画に映っている二人は、紛れもなく青陽と綾香だった。二人がいるのは本校舎の裏だ。この動画は、倉庫の物陰に隠れて撮影されたもののようだ。



綾香「……断るってこと?」

青陽「ごめんね……ほんと、ごめん」

綾香「ウチより、黒の方がいい。そういうこと?」

青陽「紺野さん。べつに君のことが嫌いとか、そういうんじゃないんだよ。ほんとだよ」

綾香「黒がいいんだ。へぇ……」

青陽「紺野さん、俺はさ……」

綾香「いいよいいよ。言い訳なんてしなくていい。分かってたから。青陽くんが黒のこと好きってことはさ。青陽くんさぁ、スマホのパスワード、さすがに誕生日にするのはやめたほうがいいよ? じゃないと、誰でも見れちゃうから」

青陽「紺野さん、俺のスマホ見たの……?」

綾香「ウチは見てないよ」

   

おそらく、綾香の取り巻きが見たのだろう。綾香に命令されて。


綾香「だから、今日こうやって断られるのは、初めから分かってた。青陽くんは黒のことが大好きなんだもんね? 一緒に写ってる写真、いっぱい持ってるもんねぇ?」

青陽「紺野さん、お願いだから、黒にひどいことはしないであげて」

綾香「ひどいこと? なにそれ? 便器に頭つっこませたり、ぶん殴ったり、服びりびりに破いたりとか、そういうことかな?」

青陽「紺野さん、お願いだ。俺にできることならなんでもする。だから黒には手を……」


 ここで、綾香の手が出た。

 画面が一瞬びくりと揺れた。撮影者の驚愕がそのまま手ぶれに表れていた。

 綾香は、拳で思いっきり青陽の顔面を殴ったのだ。青陽はふらふらとよろけると、地面に崩れ落ちた。綾香は続けて、青陽の頭を蹴とばした。青陽は頭を手で覆って防御する。すると綾香は今度は、青陽の脇腹につま先をねじこんだ。青陽は体を丸めて、うめき声を漏らしている。綾香は止まらない。彼女はまた、蹴りをくり出そうとする――。


「やめろ!」


 ついに撮影者が叫んだ。灰原だ。

 それと同時に、映像が真っ暗になった。カメラ(おそらくiPhone)をポケットに仕舞ったのだろう。

 動画モードは切られていないので、音声は拾い続けている。


綾香の声「……ちょっと喧嘩になっちゃってさー。あんた、いつから見てた?」

灰原の声「ついさっきです。正門への近道になるかなと思ってここを通ったら修羅場だったもんで、ついつい隠れちゃったんです……。それで、いったい何があったんですか……?」

綾香の声「あんたには関係ないでしょ。一発殴ってやっただけだよ」

灰原の声「なるほど……」

綾香の声「あんた、ほんとにさっき来たばかり?」

灰原の声「ええ、はい」

綾香の声「ふぅん。ま、見たことは忘れてよ」

灰原の声「分かりました」



「……」

 黒は手で口を押えて、目に涙を浮かべながら、動画を見ていた。あまりの衝撃に、動画が終わっても、彼女はしばらく声を出すことができなかった。


「さすがに見ていられなくて、途中で声をあげてしまった。あのままでは、紺野綾香は青陽くんを殺しかねなかった」


 青陽の優しさを、黒は痛感した。彼は、自分が綾香に恨まれようとも、黒だけは守りたかったのだ。


「青陽くん、痛かっただろうな……。綾香に殴られて、蹴られて……」


「ごめん。撮影なんてするべきじゃなかった」


「もっと早く、綾香を止めてほしかったです……」


「すまない」


「この映像、先生たちには見せたんですか?」


「もちろん見せたさ」


「それで、先生たちはどう対処してくれたんですか?」


「何もしてくれなかった。むしろ、動画を消せと言われたよ。騒ぎを起こすなと、見たことは忘れろと、そう言われた」


「どうして!?」

 黒はテーブルを叩きつけた。

「これ、立派な暴行ですよ! 犯罪ですよ!」


「……黒は知ってるかな? 紺野綾香は、海高の理事長の孫なんだよ」


 そのことは、昨日、茜から聞いた。


「……先生たちは、綾香の問題行動を知っている。でも、揉み消している。そういう噂があることを、聞いています。でも、本当に……?」


「僕はそうだと思っている。私立の先生は、公立と違って、学校に直接雇われている。学校の運営方針に従わないと生きていけない。運営方針というのはつまり、トップの意向だ。身も蓋もない言い方をすれば、理事長の気分ってことだよ。先生たちは、理事長が右と言えば右に倣って、左と言えば左に倣う。孫を守れと言えば、孫を守る」


「そんな……」


「黒。話を戻すよ」

 灰原は暗い声で言った。

「こうは考えられないかな? 桃田が目撃したという人物は、紺野綾香だった、と」


「綾香……?」


「紺野綾香はフラれた恨みを晴らすため、青陽くん殺害を思いついた。そしてさらに彼女は、金城くんがスマホブレイカーだと感づいていた。彼を脅して、屋上の鍵を窓の外に放り投げさせ、それを手に入れる。マスターキーはあらかじめ、理事長の威光を借りて入手しておいた。こうやって彼女は、二本の鍵を手に入れた」


「……それは、おかしいですよ。どうして屋上の鍵を手に入れるのに、金城くんを脅す必要があるんですか? もし権力を行使してマスターキーを手に入れられたなら、同じ方法で屋上の鍵だって入手できるはずです。わざわざ金城くんに鍵を窓から放り投げさせるなんて、手間のかかる計画を立てるはずありません」


「それは……」

 灰原は言葉に詰まる。

「何か、そうしないといけない理由ができたんだよ」


「何かって何です?」


「……分からない。でも、何かだよ」


 いったい灰原はどうしてしまったのだろう? 今朝のキレッキレッの頭脳はどこへ行ってしまったのだろう? 

 どうして急に、不確定要素を根拠なく恐れて、前に進めない臆病者になってしまったのだろう?


「紺野綾香は、屋上に青陽くんを呼び出して、何らかの方法で転落死させ、密室を作り上げる。しかし何らかの不都合が生じて、死体を隠さなくちゃいけなくなった。そして、その工作を、理事長を通して先生たちに行わせた」


 灰原は、自信なげにそう語った。


 何らかの方法。何らかの不都合……。不確定要素と、それから、不確定要素。


「不確定要素が多すぎます。理論の飛躍です。あたしは信じませんよ。青陽くんにフラれたことで、綾香は怒っていた。それは紛れもない事実でしょう。でも、そこで綾香なら、まずあたしを狙います。綾香はそういう女なんです。青陽くん本人ではなく、まずあたしに危害を加えようとするはずです。でもこのとおり、あたしは無事です。ね? だからそもそも、綾香は青陽くんにフラれたことを、さほど根に持ってはいないんですよ!」


 どうして自分は、こんなに必死になっているのだろう? 高ぶる感情の中に、ぽつんと、そんな疑問が生まれた。


 灰原の仮説は論外だって分かっているのに、どうしてあたしはこんなムキになっているのだろう?

 もしかして、綾香と学校の犯行である可能性を、受け入れかけている……?


 ありえない。あってはならない。

 引くな。押せ。

 叩きつけてやれ!


「それに!」

 黒は叫んだ。彼女には切り札がある。

「遺書です! 遺書のことを忘れてはいけません。遺書に書かれた文字は、なんです。この事実がある以上、事件は青陽くんの自作自演だと考えるのが自然です! もちろん謎はあります。身を挺してあたしを守ろうとしてくれた青陽くんが、どうしてあたしを困らせるような真似をしたのか。それは謎です。でもとにかく、今回に限っては、青陽くんは加害者であり、被害者ではないんです! 彼は無事なんです! 生きているんです!」


 黒の熱弁も空しく、灰原はゆっくりと首を横に振った。


「黒。やっぱり、僕、ドキュメンタリー映画を撮影するのはやめようと思う」


「どうしてですか!?」


「もしかしたら、『青陽くん事件』の真相は、想像以上に残酷なものなのかもしれない。僕はそれを知るのが怖いんだ。紺野綾香を野放しにしてしまっている現状は、僕のせいでもある。先生の裏切りにへこたれないで、意地でも真相を白日の下に晒してやるべきだったんだ、僕は。でもそうしなかった。逃げてしまった。結果として、紺野綾香は懲りもせず、青陽くんにまた危害を加えてしまったのかもしれない。殺してしまったのかもしれない……」


 灰原は、先生の裏切りがよっぽどショックだったのだろう。

 黒の合理的な反論すら受け入れられないほどに、彼は紺野綾香という存在を恐れている。綾香ならどんな非現実的なことだってやってのけてしまうと、本気で思っているのだ。


 灰原のあまりの情けなさに、黒はいよいよ限界だった。


「この意気地なし! 灰原先輩が言い出して始まったんですよ、撮影は! それなのに、こんな中途半端なところで投げ出すなんて信じられない!」


「ごめん……」


「この根暗! オタク! でくの坊! 朝シャン野郎! もういいです! 灰原先輩なんかに頼りませんから!」


 黒はスクールバッグを掴むと、部室を出た。叩きつけるように強く扉を閉めた。校舎全体が震えるくらいすさまじい爆音が鳴り響いた。


 ちょうど廊下を歩いていた二人組の女子生徒が、怯えた表情で黒に道を譲った。

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