制服を着た女だ

 パソコン部の部室の前に到着した。


 ちなみに、パソコン部の部室は、パソコン室ではない。

 じゃあ目の前にある部屋は何なのかというと、「アジト」である。この部屋は、もともと空き教室だった。そこに同志たちがつどって、自前のパソコンを持ち寄り、パソコン部を興したのだ。

 パソコン部のメンバーは、この部室を「アジト」と呼んでいる。


 彼らがパソコン室を使わない理由は単純で、海高のパソコン室は授業以外での利用が固く禁じられており、部室として利用することができないからだ。


 黒は、扉にはめられた窓ガラスから、アジトの中を覗いてみた。

 すると生徒のひとりと目が合ってしまった。


「失礼します」


 黒はノックをして、アジトの中に入った。

 灰原がその後ろに続いた。


 黒はアジトに入ったのはこれが初めてだった。


 部屋の中央には、スチールテーブルが並べられている。その上には、四台のデスクトップパソコンと三台のノートパソコン、それから一台のタブレット端末が無造作に置かれている。


「あら、灰原じゃん。どしたの? 美人さん連れて我がアジトになんの用? ここはパソコン付きラブホテルじゃないぜ」


 さっき目が合ってしまった生徒が椅子から立ち上がり、茶化してくる。


 その生徒は、髪がほんのりと茶色くて、ゆるいパーマがかかっている。「地毛です」と言い張れるギリギリのラインを辛うじて死守している。中性的な顔立ちで、なんだかホストみたいだなと黒は思った。チャラいのだ。パソコン部って雰囲気ではない。


「映画の撮影にきたんだよ。ドキュメンタリー映画」

 灰原は答えた。

「悪いんだけど、ちょっと話を聞かせてくれないかな、桃田」


 桃田。

 その名には聞き覚えがあった。水越が昨日、生徒会室の前で口論した相手だ。なんでも、桃田が水越から借金をして、踏み倒し続けているんだとか。


「またか。確か冬休み明けにも、部活の風景を撮りに来たよな、灰原」


「今回は、また趣旨が異なるんだ」


「まあ、いいとも。ついさっき試合終了したところだし」


「試合?」

 黒は首をかしげた。


「ああ」

 桃田は、椅子に座っている三人の部員を手で示した。


 彼らはみんなスマホを手に持って、どうしてか不機嫌そうな表情をしている。


「俺の大勝利だった」

 桃田は言った。

「そしてそこの三人は敗北者だ。勝者である俺は、三百円儲けたぜ」


「まぐれだ」

 椅子に座っている部員のひとりが言った。


「おいおい、何度でも勝つぜ俺は。いいから、早くひとり百円ずつ出しな」


 どうやらスマホのゲームで対戦していたらしい。そして、敗者は勝者に百円ずつ支払うデスルールのようだ。


「パソコン部なのに、パソコンはやらないんですか?」


「やるさ。俺たちだって、毎日スマホをいじってるわけじゃない。昨日はパソコンでフォートナイトやって盛り上がったよ」


 けっきょくゲームらしい。


「君も入部してよ。女子は君だけだから、望むと望まざるとにかかわらず強制的に紅一点のマドンナポジションに落ち着くよ」


「遠慮しておきます」


「エアコンもあって、けっこう快適なんだぜ、このアジト。Wi-Fiもちゃんとセットアップしてあるしね」


「素敵なアジトだと思います」


「さてと、本題に移ろうか」

 桃田は言った。引き際はわきまえているようだ。

「要件を聞こうじゃないの」


 黒は、ドキュメンタリー映画の趣旨を話した。青陽については話さなかったけど、屋上の鍵が消えたことは話しておいた。


「ほう。青春ミステリードキュメンタリーってわけか」


「そうなんです。そこで、パソコン部の皆様にも、お話を伺いたいんです。撮影の許可を頂けませんでしょうか?」


 パソコン部は、どちらかと言えば内気な生徒が多くて撮影を嫌がるかと思ったけど、意外にも「いいっすよー」とあっさり承諾してもらえた。


 灰原はiPhoneの動画モードを起動し、撮影を始めた。


「では、さっそくですが」

 黒はインタビューモードに入る。

「皆さんの中で、どなたか、昨日の放課後、不審な人物を見た人はいませんか?」


「不審」

 桃田は言った。

「もうちょい具体的にオナシャス。えーと、君は……」


「黒木です。黒木桜といいます」


「黒木桜。いい名前だ。クロキチと呼ばせてもらおう」


「……ええ、ご自由にどうぞ」


「俺は桃田友護ももたゆうご。パソコン部の部長をしてる。よろしくねっ」


 ウィンクされてしまった。ここはホスト部だったっけか?


「さて」

 黒は咳払いをした。

「昨日の放課後、アジトのそばの階段を上がって屋上に向かう人物。または、屋上から下りてくる人物。それらに、心当たりはありませんか?」


「あるよ」

 部員のひとりが、サラッと言ってのけた。

「屋上に駆け上がって行って、そしてすぐに下りてきた人物を見たよ。すごく急いでいたよ。猛ダッシュしてた」


「そ、その人物、誰だか分かりますか!?」

 黒はつい大きな声を出してしまった。


「分かるよ。クロキチさん、あなただよ」


「……へ?」


「クロキチさんが、昨日の放課後、すごい勢いで駆け上がってきた。そして、そこの廊下で誰かと激突しそうになってた」


 彼は扉越しに廊下を示した。そこはちょうど、屋上に上がる階段の前である。


「すぐにクロキチさんは立ち入り禁止エリアに踏み込んで行ったよ。そんで、少ししたら階段を下りてきた。僕はその様子を、アジトの中から見ていたんだ」


 黒はがっかりした。彼が見たという人物は、自殺予告のLINEを見て慌てて屋上へ駆け上がる黒の姿だったのだ。


「俺はクロキチとは別の誰かを見たぜ」

 桃田が言った。

「階段を下りてくるやつを見たんだ。昨日の放課後だ」


「詳しくお願いします!」


「屋上の扉の前のスペースってさ、恥知らずのアホなカップルがいちゃいちゃするのによく使うんだよ。一応立ち入り禁止ってことになってるから、密会には向いているんだよな。だからカップルがそこの階段を上り下りする光景は何度も見てきた。でも昨日のそいつは、一人で下りてきた。一人でそこの階段を使うやつは珍しい。だから『あれ?』って思ったんだ」


 そう。屋上の扉の手前のスペースで秘密の逢瀬をするカップルが存在するのだ。とくに放課後に多い。家でやりやがれと、黒は常々思う。


「それは、正確に何時ごろか分かりますか?」


「悪いけど、そこまでは分からないな。でも、クロキチが駆け上がってくるより前の時間であることは確かだ。俺も疾走するクロキチの姿を見ているから、それは間違いない」


「あたしを目撃する、何分くらい前か分かりますか?」


「正確には分からないけど、ほんの数分前だったと思うな」


 数分前か。すると、あるいはその人物と校舎内ですれ違っている可能性もあるな。


「ちなみに桃田先輩は、何時からアジトにいたんですか?」


「放課後、すぐに職員室に行って鍵を受け取って、アジトへ向かった。だけどその道すがら、水越のやつに捕まっちまってね。借金の催促を受けたんだ。でも返せねぇもんは返せねぇ。その説得に、数分使っちまった」


「水越先輩と別れたあとは、すぐにアジトへ向かったんですね?」


「そうだよ。で、アジトに入って、パソコンの電源をつけて、それから少しして、例の人物を見た。カラーコーンのコーンバーを跨いで、そこの廊下に出てくるのを、俺はチラッと見たわけさ」


「顔は見えませんでしたか?」


「ああ。スクールバッグで顔が隠れていたからね」


「顔を隠していた、ということでしょうか?」


「コーンバーを跨ぐときに邪魔になったから、バッグを持ち上げただけじゃないかな? まあ、隠していたように見えなくもないけど」


「女性か男性か、それもよく分かりませんでしたか?」


「それくらいは分かる。女だったよ。制服を着た女だ」


 女……? 

 すると一連の犯行は、青陽の自作自演ではないということだろうか……?


 犯人が存在して、それは制服を着た女性だった。そういうことになってしまうのか……?


「男性である可能性は、1%もありませんかね……?」


 黒は尋ねた。青陽の自作自演である説を、どうしても捨てきれなかった。


「可能性はふたつにひとつだ。女性か。あるいは女装した男か」


 黒は想像する。青陽が女装する姿を。すごく似合う気がする。彼は華奢な体格だし、髪も長い。顔だって化粧を施せば女の子になるはずだ。


「体格とか髪形とか、そういう細かい特徴は覚えていますか?」


「覚えてないな。俺はべつに、そいつを観察していたわけじゃないんだ。扉の窓をふと見たら、ガラス越しにそいつが見えただけだ。一瞬しか見てない」


 着々とパズルのピースは集まりつつある。だけどどれも規格が異なっている気がしてならない。パズルが完成する予感が全くない。


「こんなもので十分だろう」


 そう言って、灰原は構えていたiPhoneを下ろした。どうしてかその声は、とても弱々しかった。

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