あんたに気があるみたいじゃん

◇7月28日


 ドキュメンタリー映画の撮影を始めてから、一週間が経っていた。進捗は、決して芳しいとは言えなかった。


 青陽は生きている。屋上の密室も彼の自作自演だった。彼は今もどこかで黒のことを監視している。

 それは判明した。


 しかし、彼の目的は未だに謎だ。

 そこのところを突き止めないと、映画は完成とはいかない。乗りかかった船だし、黒はこの先も映画撮影に協力することにした。


 先日、黒と白と灰原は、青陽の家を張りこんだ。犯人は現場に戻るというけれど、それ以前に人間は家に戻るものだ。


 でもけっきょく徒労に終わった。ずっと留守だった。まるで初めから誰も住んでいなかったかのように、青陽の家は沈黙に包まれていた。


 青陽はカナダに行ってなんていない。それは明らかだ。今もなお、この町のどこかに潜んで、黒を困らせる方法を考えているのだ。


 黒は恐怖よりも、憤りを感じていた。必ず青陽を引きずり出してやると鼻息を荒くした。


 さあ今日も張り切って撮影だ――と、いきたいところだったのだが、生憎、今日は別の用事がある。


 黒は今、ひどく憂鬱な気分で、ココスのソファー席に座っている。同じテーブルには、綾香と、それから彼女の取り巻きである津田朱鷺つだとき葛城かつらぎ蜜柑みかんも座っている。


「あんたらに会うのも久しぶりな気がするわ」

 綾香は熱心にスマホをいじりながら言った。


「終業式と、あとその前日も休んでたけど、風邪だったの?」

 黒は尋ねた。


「そ。ずっとへばってた」

 綾香はスマホから目を離さないで答えた。

「てか、ウチにお見舞いLINEくれなかったの、黒だけだよ。冷たいね、黒は」


「……あ、ごめん」


 しくじった。そうだ、綾香にLINEを送っておくべきだった。「今日は学校来てなかったけど、どうしたの?」って、形だけでも気を遣っているフリをしておくべきだった。青陽のことで頭がいっぱいで、そこまで気が回らなかった……。


「ま、べつにいいけど。ところでさ――」

 綾香はスマホをテーブルに置くと、話題を変えた。


 お見舞いLINEについては、さほど気にしていないようだった。命拾いした。黒はほっと胸をなでおろした。


 それから一時間が経過した。そのうち55分は綾香の自慢話に費やされていた。もしかしたら20分くらいかもしれないけど、黒には55分に感じられた。


 黒は上の空だった。ひたすらテキトーな相槌を打った。だからいきなり水を向けられたときは焦った。


「黒はさ、紫崎しざきのことはどう思うわけ?」

 綾香は言った。


「――え? し、紫崎くん?」


「そう。紫崎。あいつ、あんたに気があるみたいじゃん」


「……マジ? なんかの間違いじゃない?」


 紫崎はクラスメイトの男子だ。めっぽう背が高く、そのイメージを裏切らずバスケ部に所属している。イケメンと評判だ。クラスの男子の人気は、ほとんど青陽と紫崎で二分されていると言ってもいい。しかし、それはあくまでルックスのみでの話だ。最近、紫崎の虚言癖が明るみに出てきており、株が下がりつつある。身長も二センチさば読んでいた。


「間違いじゃねぇよ。なあ、朱鷺?」

 綾香は、隣に座る朱鷺に同意を求めた。


「う、うん……」

 朱鷺は申し訳なさそうに、黒を一瞥した。彼女のつぶらな瞳に、うっすらと涙が浮かんでいる。


 黒は朱鷺に微笑みかけ、無言で「気にしないで」と伝える。


 新聞部だからと言うと短絡的かもしれないが、朱鷺はいわゆる情報通だ。紫崎が黒に気があるという情報も、朱鷺が仕入れて綾香に流したのだろう。


 人と話すのが苦手な朱鷺。そんな彼女が身に着けた処世術。それが情報収集だったのだ。

 綾香に見限られないようにするために、朱鷺は朱鷺なりにがんばっている。それを黒は分かっている。だから妙な噂を吹きこまれても、笑って許せてしまう。


 そしてもうひとつ、朱鷺を憎めない理由がある。

 朱鷺はもともと白と仲がよかったのだ。白がいじめを受けるようになる前は、黒と白と朱鷺の三人で、学食でわいわいお昼を食べることも多かった。


 そういえば、『青陽くん事件』発生当日、白の家を訪ねたときも、朱鷺から白に電話がかかってきたな。朱鷺は今でも、白を気にかけてくれているのだろう。


「こんなあたしにも、モテ期到来ってわけか」

 黒はおどけて見せる。

「でも、べつに紫崎くんと付き合いたいとは思ってないよ」


 綾香は疑わしそうな光を目に浮かべ、「ふぅん」と言ってメロンソーダを飲んだ。


 綾香がトイレのために席を外した際、朱鷺が「黒、ほんとごめん!」とめっちゃ激しく頭を下げてきた。その勢いで長い黒髪が前方に寄って、顔をすっかり覆い隠した。貞子さながらのビジュアルだ。


「べつにいいって。ほんと、気にしないで」

 黒は朱鷺の髪を整えてやりながら答えた。


「それにしても、綾香はなんで、紫崎くんのことでムキになってんだろうねぇ?」

 蜜柑が、ベリーショートの髪の寝ぐせを憂鬱そうにいじりながら言った。


 蜜柑。

 彼女は、学校生活を無事に送るために、綾香のグループにぬるりと入り、可もなく不可もなく、時にはいじられ時にはいじり、無難に飄々ひょうひょうとやってきたくちだ。何を考えているのか分からない、ちょっと不気味な娘である。


「紺野さんはね」

 朱鷺は小声で言った。

「紫崎くんのことが好きなの。だから、黒、紫崎くんには関心ないふりをし続けてね」


「ふりもなにも、関心なんてぜんぜんないよ。まあ、たしかにイケメンだとは思うけど」


「イケメンとか、そういうことも言わないほうがいいと思うなあ」

 蜜柑は不敵に笑って、八重歯を覗かせる。

「徹底的に無関心を貫く。じゃないと……おー怖い怖い」


「了解」

 黒は言った。

「でもさ、紫崎くんと綾香って、一年のとき付き合ってたよね? で、すぐ別れたよね? 紫崎くんが三股かけてんのバレてさ。なのに、なんでまた紫崎くんのことを気にしてるのかな?」


「復縁、したいんだって」

 朱鷺は言った。

「でも紫崎くんは黒にちょっと気がある。そういう状況みたいで……」


 青陽にフラれた綾香は、ソッコーで元カレ回収に方針転換したというわけか。彼氏がいないと腹を下してしまう呪いにでもかかっているのだろうか。


 綾香。紫崎。黒。ろくでもない三角関係。


 ほんと、めんどっっっくさっ! 

 黒は心の中で叫んだ。


「私いいこと思いついた」

 蜜柑は言った。

「黒はさ、早いとこ青陽くんと付き合いなよ」


「……なんで青陽くんが出てくるの?」


「すっとぼけんなよー。青陽くんは黒のことが好き。そんなこと、誰だって知ってるぜ」


「はあ。で、青陽くんと付き合うことのどこが、いい考えなわけ?」


「相変わらず黒は乙女心が分かってない」


「乙女に対するセリフじゃないね」


「まあ、聞きなって、モテ女さん」

 蜜柑はにわかに真剣な表情になった。

「綾香は紫崎くんを黒に渡したくない。でも紫崎くんはこれから先、きっと黒にアプローチをかけてくる。そんな様子を綾香が見たら……この先は言わせないでね。気が小さい私はちびっちゃいそうよ……。んで、それを防ぐために、黒は青陽くんと付き合うのよ。私の言ってること分かる? いい? 黒に青陽くんという彼氏ができれば、さすがの紫崎くんだって黒を諦める。そうすれば、綾香が黒をマークする理由がなくなる」


 蜜柑の言うことは、理にかなっている。以前の黒なら、その案を一旦持ち帰らせていただき、脳内で慎重に検討しただろう。

 しかし今は、即座に却下せざるをえない。黒にとって青陽は、すでに倒すべき敵と化してしまっているからだ。付き合うなんて、偽装でも勘弁願いたい。


 綾香がトイレから帰ってきた。汗で多少崩れていたメイクが、ばっちり直っている。

 女子って案外、女同士でいるときのほうがメイクに気をつかうんだよなーと、黒はどうでもいいことをぼんやり思った。当の黒はノーメイクだが。


 くだらない時間を終えて、家についたのが19時半。


 両親は家にいない。父はたぶん残業。母は仕事終わりに友達と飲みに行くと言っていた。今日の黒の夕飯はコンビニ弁当だ。まあ、たまには悪くない。


 黒は夕飯を食べる前に風呂に入った。髪を洗っているとき、そろそろちょっと切ろうかなと思った。


 風呂あがり、下着姿のままでリビングの扇風機の風にあたる。黒は家では下着姿でうろうろするタイプだ。


 原液多めのカルピスをグラス一杯飲んでから、二階の自室で髪を乾かした。


 髪を乾かし終え、ドライヤーのコードを縛っている最中、LINEが着信した。


「え」


 メッセージの送り主は、青陽だった。



黒、そろそろ髪切ったほうがいいんじゃない? 髪乾かすの大変じゃない? 余計なお世話だったかな?



 それがメッセージの内容だった。


 見られている……?


 黒は窓に素早く視線をやった。

 カーテンは開いている。不用心だった。


 窓を勢いよく開けて、外を確認する。とはいえ、ここは二階だ。部屋を覗くなんて、普通できるはずない。


 黒は怖くなって、窓とカーテンを閉めた。

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