なんで謝るの?

◇8月5日


 今日は、ドキュメンタリー映画撮影はお休みだ。


 黒、白、灰原、水越、桃田の五人は、夏祭りに来ていた。某大手自動車メーカーの工場の敷地内で毎年行われるお祭りである。


 五人は出店を回り、和太鼓演奏を鑑賞し、お神輿を見送り、有名アーティストもゲスト出演する芸能ステージを遠巻きに眺めた。


 ステージを眺めている最中、白が「チョコバナナ食べたい」と言い出したので、黒は彼女に付き添って今一度出店へ向かった。男性陣はその場に残った。かわいい五人組アイドルグループのダンスに夢中になっている。


 お目当てのチョコバナナを買って、灰原たちのもとへ戻ろうとしたとき、黒は人ごみの中に不吉なものを感じ取った。そして不吉の正体を悟った瞬間、波間にサメの背びれを見つけてしまったみたいにギョッとした。


 綾香だ。


 綾香が正面から歩いてくる。まさかあいつもお祭りに来ていたとは――。


 綾香はすぐに黒を見つけたようで、人ごみの合間を縫ってやってくる。


 不幸中の幸いというべきか、白は射的の屋台に興味を引かれており、そこのお客さんたちに姿が紛れている。


 綾香は白の存在にまだ気づいていない。


 黒は、白の耳元に顔を寄せて「何も聞かず、ここでジッとしてて!」と言った。それから、自分から綾香に近づいて行った。白のいる場所まで綾香を歩かせないようにするためだ。


「なんだ、黒もきてたんだ」

 綾香は他人の邪魔になることも気にせず、道の真ん中で立ち止まって言った。


「うん。偶然だね」

 黒は仮面の笑顔をこしらえてから、綾香を道の脇に誘導した。


「みんなで来たの?」

 黒は尋ねた。

 みんなとは、もちろん取り巻き連中のことだ。


「いんや。他校の男と。二人で」


「どこにいるの?」


「はぐれちゃってさ。電話しようとしたところで、あんたを見つけたわけよ」


 綾香が男ときたことを知って、黒はホッとした。もし取り巻き連中ときたならば、黒は確実に輪に加えられていた。しかし男とのデートなら、黒を輪に加える理由はない。


「で、黒は誰ときたわけ?」


 やっぱり聞いてくるか……。


「仲のいい先輩たち。んで、あたしもはぐれちゃってさ。ほんと、人ごみヤバいよね」

 黒は肩をすくめた。


「ところでさ、白の件は大丈夫なの、あんた?」


「え?」

 黒は目をぱちくりさせる。

「白? えっと、どういう意味?」


「白の不登校の件に決まってんじゃん。あんただけ、白へのが先生にバレてるんだよ。あ、知らなかった?」


 綾香は、白へのイジメ行為を「悪戯」と称する。まったくもってふざけた話だ。


「ああ、うん。なんか、あたしだけ、バレてるみたいね……」


 いや、待てよ、と黒は思った。

 もしかして、赤坂先生にイジメのことを垂れ込んだのは、綾香なのでは? 綾香は、あたしをスケープゴートにしたのでは? あたしひとりに、すべての罪をかぶせるつもりなのでは?


「それとさ」

 綾香は言った。有無を言わさぬ、強い口調だった。

「何日か前、あんたが白と一緒にいるのを見たやつがいるんだけど、マジなの?」


 黒の心臓は跳ね上がる。


 やばい。綾香は、白を徹底的に嫌っている。その白と仲良くする者のことも、彼女は決して許さない。


「あたしさ、急に不安になっちゃってさ」

 黒は言った。

「ほら、あたしって成績いいでしょ? 先生からの評判もいいし。だから汚名返上しないとって気になったの。そのためには、白を不登校から復帰させるのがいちばんって思ったの。白がまた学校にくるようになれば、不登校の件は有耶無耶になる。あたしにかけられた容疑も、なかったことにしてもらえるかもしれない」


 綾香はうんうんと頷きながら聞いている。


「でね、不登校から脱出させるために、ちょいとセラピーというか、カウンセリングというか――とにかくそういうのをするために、白を外に連れ出したわけ」


 さすがに嘘がバレたか……?


「あー、うん」

 綾香は言った。

「あんたも大変だ」


 騙せたようだ。黒は胸をなで下ろした。


「今日は、白は一緒じゃないわけ?」


「……今日は、一緒じゃないよ」


「ふぅん。まあ、とにかく安心したわ。てっきりウチは、あんたがまた白と仲良くし始めたのかと思ったよ。疑ってわりぃね」


「あはは……仕方なく関わってるだけだよ」


「よかったよかった。仕方なくなんだもんね。ね? 黒?」


「あはは……そうそう、仕方なく」


 綾香は口元をゆるめているけど、目はまったく笑っていない。「くれぐれも情が移らないように気をつけろよ?」と、暗に警告しているのだ。


「お」

 綾香はスマホを取り出し、耳に当てた。着信があったようだ。

「うん、うん、はいはい。は? なんでそんなとこにいるわけ? うん、うん、はいはい」


 彼女はスマホを耳に当てたまま歩き去り、人ごみの中に溶けていった。


「終わった?」


「わ!」


 いきなり背後から声をかけられ、黒は飛び上がって驚いた。なんか驚いてばっかりだ。


 声の主は白だった。


「あ、うん。終わったよ……」


「さっきの人、紺野さんだよね? 何を話してたの?」


「……くだらないことだよ。白には関係ないこと」


 黒は白の手を掴んで歩き出した。無意識に手をとっていた。


 二人の間には沈黙が詰まっていた。


 ふだんは、白と共有する沈黙は心地よく感じる。でも今はひどく息苦しい。


「仕方なくなんだ」

 とつぜん、白がポツリと言った。


 黒はピタリと足を止めて、白を見た。


「白、あんた、まさか、聞いてた……?」


「うい」

 白は頷いた。


「……どこから聞いてたの?」


「最初から、最後まで。まあ、ガヤガヤしてるから、聞き取れないところも多かったけど」


「白、あれはね、その……」


 なんて言えばいいだろうか?

 ぜんぶ嘘だよ、って言う? いや、幼稚すぎる。

 綾香を怒らせないようにするために話を合わせていただけだよ、って言う? それは情けない気がする。


「……ごめん」


 迷った挙句に出た言葉がそれだった。ごめん。


「なんで謝るの?」


「……え?」


 白の言葉の意味が分からなかった。なんで謝るの、だって?


「黒は私を不登校から脱出させるために、私と行動を共にしている。黒はいま学校で微妙な立場で、私が不登校のままだと不利益が生じる」

 白は報告書を読み上げるみたいに、淡々と言う。

「黒の立場は、さっきの会話でよく分かった。それを考えると、黒がしていることは正しい。何を謝ることがあるの? 黒はちゃんとした目的のために、私と行動している。理にかなっている。何も悪いことじゃない」


 黒は目頭が熱くなった。涙が湧き上がってくる。


「灰原先輩たちのところに戻ろう、白」


 黒は足早に歩き始めた。


 白は少し遅れて、後ろからついてくる。


 やっぱり、と黒は思う。白は、あたしのことを友達だなんて思っていないんだ。だからこそ、綾香との会話を聞いても、何とも感じないんだ。ショックを受けないんだ。


 あたしのことなんて、どうでもいいんだ。あたしが敵だろうと味方だろうと、そんなことは、白にとってどうでもいいことなんだ。


 黒はぐっと呼吸を止めて、込み上げてくる涙を必死で押さえつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る