久しぶりだね

◇8月9日


「風邪は治りました」


 電話で、黒は灰原にそう伝えた。


 彼女は、もう面倒なことを考えるのはやめようと決意した。仮病を使って家に閉じこもる必要もなくなった。


 もう綾香には従わない。付き合いたい友達とだけ付き合う。


 あとはもう、どうにでもなれ。


「ナイスタイミングだ!」

 電話口で、灰原は歓声をあげた。

「ちょうどさっき、青陽くんが自宅に出入りする姿をキャッチしたんだよ!」


「ええ!?」

 黒は仰天して、iPhoneを手から落としそうになった。

「ど、どどどどういうことですか!?」


「今日も今日とて、本校舎の屋上から青陽くんの家を観察してみたのさ。いやあ、なんかもう秘密基地みたいな感じで、気軽に足を運んじゃうんだよね、屋上に。そのついでに青陽くんの家をチェックするわけだ。そしたらびっくり! 今日は家に入っていく青陽くんとお母さんの姿をキャッチ! これは大スクープですよ編集長!」


 灰原は浮かれて、やけにテンションが高い。


「見間違いではないんですか?」


「その可能性もある。だからこれから確かめに行こうと思う。黒も行くよね?」


「もちろんです!」


 というわけで、黒と灰原、それから白の三人は、午後三時に海高の近くの児童公園で待ち合わせた。そこから青陽の家までは徒歩15分程度だ。


 白は、頬にガーゼを貼っていた。綾香に殴られた傷を隠すためだろう。


 黒は、こみ上げてくる涙をこらえて、「白、どうしたの、その顔? 転んだの?」と笑った。


「うん。転んでしまった」


「そっか……」


 まもなくして、青陽の家に到着した。相変わらず外壁は白亜に輝いており、来客を無自覚に威圧している。


「あ、誰かいるみたいだよ! やっぱり見間違いじゃなかった。青陽くんは帰宅してるんだよ!」


 灰原の言うとおり、青陽家の中からは生活音が聞こえる。


「どう攻めようか?」

 白が言った。

「チャイム鳴らして正面から突撃しても、逃げられる可能性がある」


「そうだね」

 灰原は頷く。

「でも大丈夫! 青陽くんをおびき出す作戦は、きちんと用意してある――」


「俺がどうかしましたか?」


 突然、背後から声がした。


 振り返ると、そこには――。


「あ、ああ……ああ、ああ、あお、あお……」


 衝撃のあまり、黒はまともに言葉を紡げない。


「青陽くん……。久しぶりだね」


 代わりに、白がセリフを引き継いだ。


 そう。背後から突然現れたのは、『青陽くん事件』の犯人だったのだ。


「うん。久しぶり」


 青陽はにっこりと、美しく整った顔に笑みを浮かべた。

 彼はエコバッグを肩にかけており、それは食料品でいっぱいだった。長ネギが一本ぴょんと飛び出ており、浮世離れした美男子に適度な現実感を添えている。


 青陽の笑顔はだんだんと、困惑の色に塗り替えられていく。彼は首を傾げ、それから三人を視線で結ぶように、順番に見た。


「……どうしたの? 三人とも……? なんていうか、幽霊にでも会っちゃったような顔してるけど……」


 黒はわけが分からなかった。飛び降り自殺を偽装し、それがバレたら今度は黒にさんざん悪質な嫌がらせをして、ずっと逃げ回っていた男が、いきなり平然と現れたのだ。


 待ち望んだ、青陽との対面だった。


 待ち望んだ……。


 青陽は何か企んでいるに違いない。

 でないと、こんな堂々と姿を現すはずがないのだ。


 やる気なのか……?

 なら、相手になってやるぞ!


 黒は闘争精神を高揚させつつ、しかし体はじりじりと後ずさりする。一応ファイティングポーズをとっておく。


「バンクーバーは……」

 白が恐る恐る尋ねる。

「楽しかった?」


「うん。最高だったよ! なんてったって……」


「青陽くん!」

 青陽の言葉を遮るように、黒は叫んだ。

「嘘はやめて! 本当はどこにいたの?」


「え? だからバンクーバー……」


 黒の怒りは頂点に達した。なんだか最近怒ってばっかりだ。


「青陽! あんた、よくも!」


 黒は青陽の胸倉をつかんで、自分と位置を入れ替えるように回転させると、そのまま門柱に押し付けた。


「く、黒……? いったいどうしたんだい?」


「しらばっくれようっていうの? そういう作戦なの? あたしがどんな気持ちだったか分かる? どんなに心配して、どんなに怖かったか分かる?」


「黒、君が何を言っているのか分からないよ……」


「このサイコ野郎! 正義の鉄拳を受けろ!」


 黒は手を振り上げた。


「黒」

 灰原が黒の手を掴んで止めた。


「離してください! 一発ぶん殴ったってバチは当たらないはずです!」


「なんだか様子が変だよ。青陽くん、本当に何も知らないみたいだ」


「よく分からないけど」

 青陽は言った。

「ひとまず、ゆっくり話をしないかい?」

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