僕は三年の灰原光です
黒はさっきから、何者かに尾行されていた。
いや、尾行なんて上等なものではない。その人物はまるで存在を隠そうとせず、ずうずうしく黒の後ろをついてきていた。
「あ、えっと……」
その人物は、黒の鋭いまなざしを受けると、あからさまに狼狽した。
黒をつけていたのは、ひょろりと背の高い男子生徒だった。180センチ以上ある。奥二重の切れ長の目をしているが、どこか頼りなさそうな印象を受ける。全体的に色白で、ちょっと不健康そうな感じ。
いわゆる「塩顔」ってやつだな、と黒は思った。
もう少し堂々としていれば、割とモテそうな感じはする。
「あなたは誰ですか?」
「怪しい者ではないんです。そんなに身構えないでください、黒木さん」
……あたしの名前を知っている?
全く身構えていなかった黒は、今度こそ身構えた。
「僕は三年の
「灰原先輩は、どうしてあたしをつけていたんですか?」
黒は灰原の要望を全て無視して言った。
「癖なんです」
そう言って灰原は、手に持っていたスマホを掲げて見せた。
「は?」
「気になる光景に出くわすと、どうしても撮影したくなってしまうんです」
「ちょっと待ってください。撮影ってまさか……」
「ええ。ずっと黒木さんを撮影していたんです。背後から」
「それ、盗撮ですよ」
「僕、映画部なんです。部長やってます」
「……それがなにか?」
「将来は映画監督になりたいんです。ドキュメンタリーが撮りたいんですよ。ドキュメンタリーはいいものです。どうしても現実に根差した内容になるから、誰だって無関係ではいられないものになるんです。それはすばらしいことなんです」
そんなことは聞いていない。ほんと、マイペースを煮詰めて抽出したような男だ。
「そのためには、どんな努力を重ねればいいのか。黒木さん、分かりますか?」
「……ドキュメンタリー映画をたくさん観る、とか?」
「そのとおりです。でも観るだけじゃダメなんです」
「じっさいに映画を撮ってみる、とか?」
「そのとおりです!」
灰原は満足そうにうなずいた。そしてスマホを構えて、また黒の姿を撮影し始めた。
「それこそが、僕が黒木さんを撮影する理由なんですよ!」
「つまり、いまは映画を撮影している最中、そういうことですか?」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えます。いまは撮影中であり、取材の段階でもあるんです」
「あたしにも分かるように説明してください」
「映画作りのネタは、日常に転がっています。いま僕は、それを集めている最中なんです。ニュートンは木から林檎が落ちるのを見て、万有引力の法則にたどり着いたって有名なエピソードがありますよね? 僕はその林檎を探しているんです、いま」
分かるような分からないような……。
「黒木さんは、見つけたんですよね?」
「え……。何を、ですか?」
「林檎です」
「……」
「黒木さんはいま、何か重大な悩みを抱えていますよね? そしてそれは、本校舎の裏を調べることで、解決できるかもしれなかった」
「いや、それは……」
「そんなに警戒しないでください。ちょっとしたインタビューですよ」
「無茶言わないでください。警戒するに決まってるじゃないですか。こんな強引なインタビュー、快く受けてくれる人なんていないですよ普通」
「そんなことないですよ! 今日だって、黒木さんのほかにもう一人、インタビューを敢行しました。動画も撮らせてくれましたよ。その人は、今日、本校舎内で不審な人物を見たらしいんです。その人物の特徴について、快く話してくれましたよ」
たしかに、それが普通の対応なのかもしれないなと、黒は思った。同校の生徒相手に、こんなに警戒するほうがおかしいのだ。
警戒してしまうのは、むろん、自分にやましいところがあるからだ。青陽が自分のせいで飛び降りてしまったかもしれなくて、それを暴かれるのが怖いのだ。……いや、もちろん、青陽が飛び降りたなんて本気では思っていないけど……。
「ところで」
灰原は声のトーンを落として言った。
「生徒会室から、屋上の鍵が消えたらしいですね?」
……この男、どこまで知っている?
「これは僕の勘ですが」
そう灰原は前置きしてから、語り始めた。
「鍵の消失。このたわいもない小さな事件の裏には、センセーショナルな人間ドラマがある。愛情があって、友情があって、憎悪があって、陰謀がある。そう感じるんです」
なんとなく灰原の目的が分かってきた。
「灰原先輩は、その謎を解き明かす過程を、ドキュメンタリー映画にしようとしている。そういうことですか?」
「そのとおりです! そして、あらすじはこうです!」
灰原は表情を輝かせる。
「今回の映画の主人公は、『黒』の愛称でおなじみ、黒木桜さん。彼女には二人の大切な友人がいた。しかし、ある理由から、一人とは気まずい関係になってしまった。そして間もなくして、もう一人の大切な友人が不登校になってしまった。短い間に、二人の友人が失われてしまった――」
やめて、と黒は思った。
でも灰原はしゃべり続けた。
「そして、2022年7月20日――つまり今日――黒が通う『私立
灰原が言葉を発するたびに、扉が次々に閉められていくのを、黒は感じた。やがて明かりも消されてしまうだろう。そして彼女は、閉ざされた暗い部屋に独りぼっちになるのだ。
「黙ってください!」
黒は灰原に掴みかかった。
いけしゃあしゃあとしゃべり続けていた灰原だけど、まさか黒が掴みかかってくるとは思っていなかったようだ。驚愕の表情を浮かべ、一瞬で言葉を失ってしまった。
そばを歩いていた生徒たちが、何事かとざわつき始める。
黒は目に涙を浮かべ、灰原を睨みつける。長身の黒でも、灰原を前にすると見上げる形になった。
「ごめん……」
灰原はしゅんとなって、素直に謝罪した。
「つい、熱くなってしまって……」
黒は灰原から手を放し、涙をぬぐった。それから踵を返し、帰路についた。
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