なにしてんの?

 帰路についた。はずだった。

 

 しかし黒は、自宅とは反対方向に15分ほど歩いて、自宅とは似ても似つかない西洋風の住宅の前に来ていた。際立って大きい建物ではないが、眩しい白亜の外壁がエレガントに輝き、実際以上の存在感を放っている。


 青陽の家である。


 黒はチャイムを鳴らした。インターフォンがつながって「黒? どうしたの?」って青陽が答えてくれるのを期待して……。


 しかし、一向に反応はない。


 やや気が咎めたが、黒は門を開けて、庭に立ち入った。玄関アプローチを歩いて玄関扉の前までくると、こんこんとノックしてみた。間を置きながら、1分以上ノックを繰り返したが、やはり反応はない。


 少し考えた後、黒は庭をぐるりと一周してみた。もちろん庭の散策が目的ではない。家の窓から中を覗いて、本当に誰もいないのかを確かめたのだ。

 とはいえ、どの窓にもカーテンが引かれており、中を覗き見ることは不可能だった。


 黒は諦めて、帰路についた。


 今度こそ帰路についた。はずだった。

 しかし黒は今、海辺のローカル線・青野島あおのしま電鉄――通称『アオデン』――に揺られていた。


 黒は、帰宅するために電車を使う必要はない。私立海星館学院高等学校――通称『海高うみこう』――から徒歩10分の距離に、自宅があるからだ。ふだん彼女は、徒歩で通学している。青陽と同じように。


 アオデンは海沿いを走っていく。車窓から外を眺めると、砂浜には大勢のサーファーや海水浴客の姿がある。

 

 藤條ふじしの駅で電車を降りると、黒はターミナルでバスに乗り換えた。目的地までは歩いて行ける距離なのだが、今はどうしても歩く気分にはなれなかった。


 不意に、灰原の言葉がリフレインする――


 ――そして間もなくして、もう一人の大切な友人が不登校になってしまった――


 そうだ、と黒は思う。あたしの大切な親友は、今は不登校の状態だ。原因はシンプルにしてポピュラー。不登校の原因の王様。いじめである。


 そして、そのいじめに、黒も関わっていたのだ。


 親友のことに思いを馳せていたら、危うく乗り過ごすところだった。黒は慌てて降車ボタンを押した。

 閑静な住宅街に、親友の家はある。二階建ての、ごくふつうの一軒家だ。門柱についた表札には、「白江」と記されている。


 門を開けて庭に入る。決して広い庭ではないけど、スペースを有効に活用してさまざまな花が植えられている。


 黒は玄関扉のそばのチャイムに手を伸ばした。そして直後にひっこめた。

 どのツラ下げて、彼女に会えばいいのか分からなかった。自分は加害者で、彼女は被害者だ。


 会いに来たのは間違いだった。黒はそう思った。衝動的な感情で、彼女に会うべきではないのだ。

 

 黒は学校で、灰原の言葉に激高した。つい一時間半ほど前の出来事だ。そのとき覚えた怒りは、スケッチブックに転写できるくらい鮮明に覚えている。

 そしてその怒りは、灰原に向けられてはいなかった。今なら分かる。あの激しい怒りの矛先は、自分自身に向いていたのだ。

 

 帰ろう。

 黒は玄関に背を向けた。


 その瞬間だった。


「なにしてんの?」


 黒の心臓は一瞬だけ「!」の形になった。彼女は弾かれたように、声のしたほうへ目線をやった。


 庭に面した縁側。そこの引き違い窓から、女の子がひょっこりと顔を出している。黒をジッと見つめている。


「あ、ああ……」

 黒はとっさに言葉が出てこなかった。しばらく間を置いてから、「あ、あの、その、いい天気だねっ!」と取り繕うように叫んだ。


 黒の言葉を受けて、女の子は空を見た。

 でもすぐに目線を黒に戻し、口を開いた。


「恐ろしく曇ってる。黒の感性には疑問を抱かずにはいられないな」


 一ヶ月ぶりに会った親友は、最後に会ったときと何も変わってはいなかった。 


 黒の親友の、「しろ」――。

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