だって、逆かもしれないから……
けっきょく雨は降らなかった。雷もいつの間にか聞こえなくなった。
白の母親が仕事から帰ってくると、黒は挨拶をしてから、入れ替わるように家を後にした。
黒はバスを使わず、駅まで歩くことにした。
その途中、iPhoneがぶるぶる震え出した。画面を見ると、LINEの電話が着信していた。茜からだ。
黒は通話に応じた。
「茜、どした?」
「黒、いま外?」
「うん。ちょっと出かけててさ。今はその帰り。でも、電話ぜんぜん大丈夫だよ。駅まで暇だからさ。どうしたの?」
「ちょっと聞きたいことがあって」
茜の声は、どこか不安そうだった。
「うん、なに?」
「噂で聞いたんだけど、その、紺野さんが青陽くんのこと好きって、ほんと?」
紺野さん。つまり綾香だ。彼女は青陽に好意を抱いている。それは確かだ。黒が青陽の告白を断ったのも、それが原因だったわけだし。
茜の不安を、黒はハッキリ感じ取ることができた。
「やっぱり茜、青陽くんのことが好きなんだね?」
「うん……」
「そっか……。ねぇ、茜。悪いことは言わないから、青陽くんはやめておきな」
青陽に好意を抱く者は、綾香の敵になる。それが何を意味するのか、茜だって分からないはずはない。
一年生のときは、黒と白だけでなく、茜も綾香とクラスが一緒だった。綾香の暴君ぶりを、間近で見ていたはずだ。
「噂、ほんとだったんだね……」
黒は、去年の段階で、茜の気持ちに感づいていた。
茜は演劇部に所属している。そして青陽も、同じく演劇部に籍を置いている。だから茜はふだんから、青陽と関わる機会が多い。
青陽は、演技の才能はゼロだ。ド下手だ。しかし彼は、そのことにいち早く気づくことができた。彼は脚本を書く担当に素早く転身し、頭角を現した。彼には脚本の才能があった。去年の演劇大会では、彼が書いた脚本が採用され、わが校の演劇部は全国大会へと駒を進めることができたのだ。
一年生が書いた脚本が採用されるのは、わが校においては異例の出来事だったと聞いている。
そんな青陽に、茜が好意を抱くのは、とうぜんと言えばとうぜんかもしれなかった。いいホンを書ける脚本家は、演者の目にさぞかし魅力的に映るだろうし。
「茜、元気出して。卒業した後に、告白すればいいんだよ。卒業後なら、綾香のことを気にすることなく、堂々と告白ができる。でも、高校生のうちは、まずいよ……」
「うん……」
それから茜は、綾香の魔の手にかかった白のことを思い出したようで、「白、元気にしてるかな……」と呟いた。
「実を言うと、あたし、さっきまで白と会ってたんだよ」
「え、ほんと? どんな様子だった?」
「相変わらず」
「よかった。また学校に来てくれるよね、きっと」
「綾香さえ消えれば、ね」
「それな」
「ちょっとでも気にくわない相手は容赦なく潰す。根性の腐った女だよ、綾香のやつは」
怒りがふつふつとわき上がってくる。みっともないと自覚しながらも、黒は悪態をつかずにはいられない。
「いろんな問題を起こしてるのに、今まで一度もお咎めを食らってない。のうのうと女王様の身分をキープしてる。綾香のやつ、頭はいいから始末に負えないよ。先生の前では優等生ぶってるし……。さんざんひどいことやってるのに、停学どころか注意ひとつ受けてない。世の中不公平過ぎるよ」
「これは、噂なんだけどさ……。紺野さんの問題行動を、実は先生たちは把握してるかもしれないんだってさ」
「え? 何それ? じゃあ、なんで綾香に注意しないの?」
「紺野さんのおじいさんの影響って噂だよ」
「綾香のおじいさん、どっかのお偉いさんなの? 国会議員とか?」
「……黒、知らないの?」
「知らないよ、綾香の家族事情なんて」
「海高の理事長だよ」
「……へ?」
「紺野さんのおじいさんは、私たちの学校の理事長なんだよ」
茜は教科書にアンダーラインを引くように、丁寧に言った。
「でも、苗字がぜんぜん違うじゃん……?」
言った直後に気づいた。血が繋がっていても、苗字が同じとは限らないのだ。自分だって、母方の祖父とは苗字が異なる。
「あー……。うん、分かった、うん。綾香のおじいちゃんは、理事長先生。うん、理解……」
「黒ってさ、やっぱり非常識だよね。スマホちゃんとネットに繋がってる?」
白だけでなく、茜にも馬鹿にされてしまった……。
「ねぇねぇ、じゃあさ、こういうこと? 綾香は権力者の孫だから、何をしても許されてるっていう……」
「そういう噂だよ」
「世界って汚い! 滅びちゃえばいいんだ!」
「あくまで、噂だよ。先生たちは本当に、紺野さんの悪事を知らないだけかもしれないし」
黒と茜は、しばらく愚痴を言いあった。
「ところで」
茜は話題を変えた。
「黒は最近、青陽くんと仲が悪いって聞いたけど、どうしたの?」
「えっと……。ちょっと、喧嘩してさ……」
「喧嘩か……。だから、青陽くんは最近すごく落ち込んでたんだね」
「落ち込んでたの?」
「うん。ため息ばかりついてたよ」
「マジかあ……」
「ねぇ、黒。私ね、ひとつ黒に謝りたいことがあるの」
「え?」
「私ね、黒が青陽くんと険悪だって噂を聞いたとき、ちょっと喜んじゃった。もしかしたら私にも、青陽くんに振り向いてもらえるチャンスが巡ってくるかもしれない。そう思っちゃった……」
「茜……。あのね、そんなことでいちいち気に病むことはないんだよ。その気持ちはごくナチュラル。茜はちょっと優しすぎるよ。何でもかんでもフェアであろうとしすぎ」
「ごめん……」
「謝るな。間違ったタイミングで謝ると幸せが逃げるって、どっかの偉い人が言ってたぞ。いや、べつに偉くない人だったかも。偉いか偉くないか、そのどっちかの人が言ってた」
「人類の誰かってことだね」
「そうそう」
二人は笑いあった。話題はだんだんと軟化していった。
「ねえ、夏休みのどこかでさ、一緒にディズニー行かない?」
茜はそう提案した。
「お、いいねぇ!」
「白も誘ってさ、三人で行こうよ。それか、またサマーランドに行くのもいいかもね! 黒、またナンパされちゃうかもよ?」
「あはは、そうだね」
黒は自然と、近くにあったベンチに腰を下ろしていた。
「ねぇ、茜。もう駅は目の前なんだけど、もう少し話してもいい?」
「もちろん、私は構わないけど」
「また、白の話になるんだけどね」
「うん」
「白ね、不登校になる前と何も変わってなかった」
「うん。さっき言ってたね」
茜は怪訝そうに言った。黒の声に、どこか深刻な空気が含まれていたからだろう。
「白さ、あたしに対する態度も、ぜんぜん変わってなかったんだよ。仲良くつるんでたころと、なんも変わってなかった。あたしは今、白をいじめるグループにいる。白はいじめで不登校になった。つまり、あたしは正真正銘の加害者なんだよ。なのに、白ったら、あたしに対する態度がぜんぜん変わってなかったんだよ」
「それって、いいことじゃないの? 昔も今も変わらず、白にとって黒は友達ってことを意味するんだから。どうしてそんなに落ちこんでるの?」
「だって、逆かもしれないから……」
「逆?」
「白にとってあたしは、どうでもいい存在なのかもしれない……」
「どうして、そういう考えになるの?」
「ふつうさ、大切な友達に裏切られたら、ショックだよね? 相手が大切なら大切なほど、ショックは大きいはず」
「つまり、白は黒のことを初めから友達だなんて思っていなかった。だから裏切られても平気でいられる。態度が変わらない。そういうこと?」
「うん……」
「黒って、よく分からないところでネガティブだよね」
「ごめん」
「間違ったタイミングで謝ると幸せが逃げる。さっき黒が言ったことだよ」
「ぐはっ。語るに落ちるってやつだ」
「それ、なんか違う」
喋ったら、すこし気が楽になった。
黒は茜にお礼を言ってから、電話を切ろうとした。
「あ、ちょっと待って黒。一つお願いが」
「うん。何?」
「LINEの昔のアルバムの写真、今のアカウントと共有してもらっていい? アカウント新しくしたとき、保存しておくの忘れちゃってさ」
茜は最近、スマホの電話番号を変えた。彼女のことを好きな他校の男子が本格的にストーカー化して、鬼電してくるようになったからだ。LINEも同様で、愛と狂気に溢れたポエムが毎日送られてくる有様だった。
ストーカーから逃れるべく、茜は電話番号を変え、LINEも新しいアカウントを作った(LINEは一つの電話番号に対して、一つのアカウントしか作れない)。すると、古い電話番号と紐づいていた旧アカウントは、とうぜん使えなくなる。
茜の旧アカウントは、今でも黒のトーク画面上には表示されている。共有した写真も残っている。引き継ぎ作業を行わずに電話番号を変えると、それまで使っていたアカウントが浮いた状態になるのだ。
誰も使っていない、だけど存在する、まるで空き家のようなアカウントがぽつんと残るのである。
「りょ。後でやっておくね」
「ありがとう」
黒はベンチから立ち上がり、駅へ向かった。
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