仕返しをしてやるんです

 黒が本校舎の屋上に出ると、中央にテントが張ってあった。『青陽くん事件』発生日に黒が発見し、たたんでペントハウスの屋根に隠しておいた、あの水色のテントである。

 白と灰原が取り出して、張ったのだろうか?


「私と灰原先輩が来たときには、もうテントは張ってあったんだ」

 

 上から声がした。


 黒は見上げた。


 白がペントハウスの屋根に腰かけて、脚をぶらぶらさせていた。


「中を見てみなよ」


 言われたとおり、黒はテントの中を見てみることにした。四つん這いの恰好で中に入ると、手と膝に弾力を感じた。テントマットが敷いてあるのだ。黒が最初にテントを発見したときは、マットなんて敷いてなかったのに。

 さらに、隅っこには、電池で動く小型扇風機まで置いてある。生きた人間の痕跡だ。


 青陽は、ペントハウスの屋根からテントを見つけて、また張り直したのだろう。そして私物を持ち込んで、悠々とくつろいでいたのだ。


 黒はテントを出た。


 白は相変わらずペントハウスの屋根に腰かけていた。双眼鏡で、眼下に広がる町並みを眺めている。屋上からは、町を一望できるのだ。


「白、その双眼鏡どうしたの?」


「テントの中に置いてあったんだ。青陽くんが置いていったんだね。それを拝借した」


 黒と灰原も、梯子を上ってペントハウスの屋根に腰かけた。


 白は黒に双眼鏡を手渡した。そして「あそこらへんが黒の家」と言って、遠近法でミニチュアと化した町並みを指さした。


 ここは高台の上に建つ七階建て校舎の屋上だ。そして黒の家は、ここと比べてずいぶんと標高の低い位置にある。


 白が指さした先を双眼鏡で見てみると、たしかに黒の家が見えた。二階の部屋もしっかり見える。


「青陽の野郎、ここからあたしの裸を見ていたのか」


「え」

 灰原が声を漏らした。

「黒って、裸族……?」


「下着は着てましたよ」


 家々の向こうには海が見える。海はどこまでも青く、水平線は自然な態度で青空に溶け込んでいる。絵になる風景だ。


 黒は、双眼鏡の視界をゆっくりと横にずらして、戯れに町を観察した。けっこうたくさんの家の中が見える。プライバシーの侵害のような気がして、だんだんと罪悪感が芽生えてきた。


「……ん? おやおや?」


「どうしたの、黒?」

 灰原が尋ねる。

「何か見つけたの?」


「青陽くんの家です」


「え?」


「ここから、青陽くんの家が見えるんですよ」


「どれどれ」


 黒の手から双眼鏡が横取りされた。白が奪い取ったのだ。


「ああ、ほんとだ」

 奪い取った双眼鏡を覗きながら白は言った。

「それにしても青陽くんの家、やっぱり目立つね。あそこだけヨーロッパだ」


「ここからなら、青陽くんの家を監視できるってことだね」

 灰原は言った。

「今後、学校に来たときは、こまめに屋上に足を運んで、青陽くんの家を確認することにしよう。もしかしたら彼は油断して、ふつうに帰宅するかもしれないし」


「そうですね、そうしましょう。部屋を覗かれた仕返しをしてやるんです」

 黒は鼻息を荒くする。

「青陽くんめ、墓穴を掘ったな。あたしを監視するはずが、むしろ自分が監視されるようになるなんて夢にも思わないでしょうね。これぞ、ミイラ取りがミイラになるってやつですね!」


「それ、なんか違う気が」

 灰原は苦笑して首を傾げた。


 少し雑談して、三人は引き上げることにした。

 ペントハウスから下りて、テントを片づけようとした、その時――。


「どういうことか説明してもらえるかな?」


 突然、背後から何者かの声がした。


 黒たちは驚いて、弾かれたように振り返った。


 声の正体は、生徒会長の水越だった。彼はペントハウスの外壁に寄りかかって、腕を組んだ格好で黒たちを睨みつけている。


 黒たちは唖然とするほかなかった。


 やがて水越は、黒たちの目の前までゆっくり歩み出た。


 黒たちは思わず後ずさりする。


「灰原先輩、鍵、閉め忘れちゃったんですか?」

 白が灰原に非難の視線を送る。


「うっかりしてたなあ」

 灰原は苦笑しながら、人差し指で頬を掻いた。


「黒も」

 白は今度は、黒を睨み上げる。

「最後に屋上に入ったのは黒だ。鍵の閉め忘れは黒の責任でもある」


「人のせいにしないでよ。こういうのは、連帯責任でしょ?」


「連帯責任って言葉は昭和の遺物だ。今は令和だ」


「ふん。白は温故知新って言葉知らないの?」


「それ、意味が違う。温故知新っていうのは、昔の教訓を生かして新しい知識を得ることであって、決して古い習慣を尊重しろって意味では……」


「はい、ストップストップ」

 耐えかねた水越が、手をぱんぱんと叩きながら遮った。

「鍵の閉め忘れが誰の責任かは知らない。でも、屋上に入った責任は君たち三人に平等にある」


「どうしてバレたんだろう?」

 灰原が尋ねた。


「アジトで桃田たちとゲームしてたら、たまたま黒木さんが階段を上がって行くのが見えてね。もしかしたら彼氏さんと密会でもするのかと思って、見て見ぬふりをしてあげようとしたのさ。でも、いつまで経っても戻ってこないもんでね。不審に思って見に来たのさ」


 見られていたのか……。

 黒はしゅんとなって、身を縮めた。


「そしたらびっくり。映画部の二人と一緒に、屋上で何やら楽しんでいるではないか。テントまで張って……。屋上でキャンプとは、なかなか斬新な試みだ」


「仕方ない……」

 灰原は観念した様子。

「黒。白。ここは正直に、全て話してしまおう」


「そう願いたいね。灰原、君がいちばん先輩なんだ。君が責任もって説明してくれ。ほんと君は問題ばかり起こすな。やはり映画部は解体させるべきかもしれん」


 灰原が代表して、事の顛末を水越に話した。


 水越は言葉を挟まず、黙って話に耳を傾けていた。


「信じられない……」

 話を聞き終えた水越は、絞り出すように言った。

「僕も青陽くんのことは知っている。関わる機会はあまり多くないけど、一応友達だと思う。悪い噂も全く聞かない。彼がそんな卑劣なことをしているなんて、僕にはどうしても……」


「でも事実なんです!」

 黒は悲痛な声で言った。

「あたしだって、できたら勘違いであってほしいと思っていますけど……」


 しばらく水越は黙っていた。何かを考えているのだろう。


「ねぇ、水越。ひとつお願いがある」

 灰原は言った。

「屋上を、僕たちに貸してくれないだろうか?」


「なんだって?」


「今度は僕たちが、青陽くんをここから監視してやりたいんだ。彼が油断して家に帰る瞬間を、ここからならばっちり察知できる」


「……」


「……ダメかな?」

 灰原が自信なげに尋ねた。


 黒と白も「お願いします」と頭を下げた。


「生徒会長的に、およそ許可できない案件だ。でも、いいよ。自由に使ってくれ」


「ほ、ほんとに?」

 灰原はちょっと肩透かしを食らったようだ。


 黒と白も顔を見合わせ、目をぱちくりさせた。


「なんてったって、今は夏休みだ。ケチなことは言わないでおく。それに、金城くんを脅して利用したのも、青陽くんなのだろう? 僕としても、彼をいち早く取っ捕まえて懲罰を与えたい」


「利害の一致」

 白は言った。


「そのとおり。でも、くれぐれも、先生たちには見つからないようにね。そうなったら、さすがに庇えないから」


「気をつけます」

 黒は答えた。


「ところで」

 白が小声で言った。

「さっきから、扉の向こうでこちらの様子をうかがっている人がいる」


「え」

 一同の視線はペントハウスの扉に集まる。たしかに、扉にはめられたすりガラスの向こうに、人影がある。


「先生だったらまずいな」

 水越は言った。


「いや、先生だったら、堂々と出てきて僕たちを注意するはずだ」

 灰原は言った。

「あるいは、青陽くん、という可能性はないかな?」


 青陽くん……?

 黒の心臓が鼓動を早める。


「君たちは、このまま気づかないふりをして、話を続けていてくれ」

 水越は言った。

「僕がこっそり近づいて、扉を開ける。そこにいるのが青陽くんだったら、確保する」


 水越は回り込むようにして、じりじりと扉に近づいていく。


「灰原先輩も、水越先輩を見習ったらどうです? 水越先輩、勇敢で素敵です」

 黒は緊張を紛らわすために、軽口を叩いた。


「ぼ、僕だって、やろうと思えば……」


「灰原先輩は頭脳派だから」

 白がフォローした。

「だからフィジカル面がポンコツなのは許してあげて」


 30秒ほどかけて、水越は扉の前に到達した。そして勢いよく扉を開けた。


「うわあ!」


 扉の向こうにいた人物は絶叫し、しりもちをついた。


 黒と白と灰原は、すかさず水越のそばに駆け寄った。


「……桃田先輩?」

 黒は間の抜けた声を出した。


 扉の向こうにいたのは、桃田だった。パソコン部の部長の、チャラ男だ。


「水越、てめぇ、脅かすんじゃねーよ!」

 桃田はしりもちをついたまま怒鳴る。


「わるい」

 水越は言った。

「で、そんなところで何をしていたんだ?」


「それはこっちのセリフだ」

 桃田はお尻を押さえながら立ち上がった。

「立ち入り禁止区域で何をしてる? お前、トイレに行くって言ったきり帰ってこないから、心配して探してやったんだぞ、俺は」


「わるい」

 水越は言った。

「このことは、他言無用で頼む」


「屋上という閉鎖空間で、ダブルデートかましてたことをかぁ?」


「そんなんじゃありません」

 黒はむくれた。


「冗談だよ、クロキチ。ま、よく分かんねーけどさ、俺も仲間に入れてくれよ。屋上、一回出てみたかったんだよなあ」

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