第四章 『決意と幸運のお守り』
ルティは脳裏に三年前の光景を思い浮かべる。
あの日、竜というたった一匹の魔物のせいで、大勢の人生が変わってしまった。
誰もが口を閉ざす中、アキルスが呟く。
「竜って、あの時計塔の文字盤よりも大きかったんだよね」
しばらくして、レイスが「ああ、そうだな」と頷いた。
「あんなに大きな竜に立ち向かうだなんて、レイス君はすごいよ」
「……俺には祖父の短剣があったから」
「ドラゴンライトの鉱石で造られた剣のことだろう? たとえ魔物を弱らせる性質の剣を持っていたとしても、大人たちが苦戦している中で行動できるのは本当にすごい」
「そう、なのかな」
――でもすべては守れなかったし街も壊れてしまった。
レイスは苦しそうにボソッと言葉を吐き出した。その声を聞きとれたのは風下にいたルティくらいだろう。
彼が魔導士たちの加護を受け、瘴気をものともせずに竜の右目に短剣を突き刺したあと、竜は一度街に倒れ込んだ。
そのときに下敷きになって怪我を負った人や、瘴気が舞い散ったことで魔症になった人がいる。
彼の行動で多くの者が救われたが、守れなかった者もいたのだ。
ルティはゆっくりと目を閉じる。
瞼には未だ真っ赤な炎に包まれた街並みが映し出されるが、目を開けると整備された真新しい街並みが広がっている。
竜が顕現する前の面影すら残っていない。
(でも)
風はからっとしていて、青空にはヴェールのように透き通る雲がかかっている。
そして今回の街歩きで、人々の活気をこの目で見てきた。
「あの日と変わらないものが確かにあるんですね」
思わず声に出してしまうほど、胸には懐かしさとせつなさが込み上げた。
「ルティ、もしかしてあの日この場所にいたの?」
シェリルの強張った声に、ルティは頷く。
「姉と兄と街歩きをしていたときに巻き込まれて」
するとハーウェイが緊張した面持ちで息を呑む。
「……どうして怖い思いをしたのに、街歩きに誘ってくれたの?」
言われてみれば、どうしてだったのだろう。
考えて、考えて、胸の中にしまっていた答えを見つける。
「怖い思いをしたからこそ、でしょうか」
レイスが竜を退けたあと、ルティは気絶してしまい、次に目を覚ましたときには病院のベッドの上だった。
目の前には包帯を巻いた姉と兄がいて、ルティは二人に飛びかかるように抱きついた。二人は「はぐれちゃってごめんね」「お前が生きていてくれてよかった」と抱きしめかえしてくれたが、その声は震えていた。
もしも宮廷白魔導士の到着が間に合わなければ二人は命を失っていて、もしもレイスが立ち上がらなければルティも生きていなかったかもしれない。
(だから、たまにこう思う。あのときすでに死んでいて、いまは幸せな夢を見ているだけだって)
そう思うと怖くて、身動きができないときもあるが、あの日を再現するわけにはいかないから、ルティは前に進む。
竜は数百年に一度、人前に姿を見せて暴れているが、今回は右目に怪我を負い、さらに卵まで盗まれ、竜にとって予測できないことが起きている。
次に竜が現れるのはいつなのか、どんな動きを見せるのか、なにがあっても対処できるよう備えなければならない。
「わたしはあの日、家族を救ってくれた宮廷白魔導士憧れて、ロシュフォード王立魔法学校に入学しました」
ルティは静かに微笑みながら、みんなに向き合う。
「なりたい自分になるために、足を止めてはいられない。この場所はそう決意した場所でもあるんです」
そしてピンクトルマリンの瞳を細め、レイスを見つめる。
「それに憧れの人に追いつきたいから」
◆
ゆらり、ゆらりと馬車の動きに合わせてルティの体が揺れる。まるでふわふわの雲の上を歩いているような感覚だ。
「……ぃ」
なにかが聞こえて「ふぁい」と返事をすると、クスッという笑い声が聞こえてきた。
「ルティ」
「なんですか?」
あくびをしながら目を開けると、レイスがいた。しかも膝をついて、ルティと視線を合わせている。
「えっ⁉」
ルティの頭が一気に覚醒する。辺りを見回すと学校の校門があった。
(あれ、たしかみんなで馬車に乗って帰ってきて……まさかわたしだけ途中で寝ていた⁉)
頭を抱えていると、レイスが苦笑する。日が沈んできたのか、黄色みのある光が彼の顔を照らしていた。
「気持ちよさそうに寝ていたな」
「乙女の寝顔を見ていたんですか⁉」
「大丈夫、可愛かった」
「……嘘でしょ」
「本当だって。一応、他の人に見られないように、俺のほうに君の体を寄せていたから安心してくれ」
綺麗につくったような笑みで言われ、ルティは「うっ」と口をつぐむ。
(まさか遊び疲れて気が緩んじゃうなんて)
頬にじわじわと熱が帯びていく。うつむきながら「みんなはどこにいますか?」と問うと、「すでに寮へ向かった」と言われた。
ルティは何度かうなってから、レイスを見上げる。
「あれ? 眼鏡は外したんですね?」
「ああ、もう必要ないから」
髪色は魔法薬によって染められているようで黒髪のままだったが、あのエメラルドの瞳がよく見える。
(そうだ)
ルティも眼鏡を外し、鞄からある物を取り出す。
「レイス、手を出してください」
そう告げると、彼は素直に従ってくれる。まるで子どもみたいと思いながらネクタイピンを手に乗せる。
「……これは?」
「幸運のお守りです」
柔らかな声で告げると、レイスは信じられないものを見るように眉を寄せる。
「どうして俺に?」
「いつも守ってくれるから。そのお礼です」
寝起きなのもあって気が抜けたようにふにゃっと微笑むと、レイスは顔を歪めたあと、うつむいた。
「君は、お人よし過ぎる」
「そうですか?」
小首を傾げると、レイスは深々と頷く。
「俺は君が思うほどできた人ではない。なにも返せない上に、俺のわがままのせいで長いあいだ迷惑をかけ続けている」
彼は整った眉をこれでもかと寄せ、おもむろに告げる。
「だからこれは返すよ……むにゅ」
ルティがレイスの両頬を押さえると、「にゃにするんだ」とにらまれる。
「後悔するくらいなら、どうしてわたしがあなたの呪いに気づいたときに巻き込んだの?」
「それは」
「わたしなら信用できる。少しでもいいからそう思ってくれたってことでしょう?」
レイスは目を見開き、唇を震わせたあと、「……悪い」と言葉を吐き出した。
(どうか、彼に幸運が訪れますように)
ルティは「これはあなたが持っていて」と告げながら、ネクタイピンごとレイスの手を握り締めた。
◆
その日の夜。
ルティは夜着に着替え、寝室の窓の前に立つ。
真っ黒な夜の帳には月が控えめに輝いていた。
(竜の卵の孵化が予測された時期って、ちょうど満月だ……)
来るべき危機に対し、自分になにができるのだろう。
両手を握り締めると、扉が開く音がする。シェリルが入って来たのだ。
「今日はみんなのことをたくさん知れて楽しかったですね。なんだか寝るのが惜しくなっちゃいました」
ルティはそう告げてから、ぎょっとする。
シェリルが扉の前に立ち尽くしている。しかも菫色の瞳から涙がこぼれ落ちた。
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