第五章 『宿命・前編』

 レイスはダルク王国の最東端に位置する都市プロメルの農村地帯で生まれた。


 生家であるエイン農園は山のふもとにあり、マナが豊富な地質に加え、水の精霊の加護を受けた湧水が流れ、それはもう最高に美味しい作物ができた。


 有難いことに、一般家庭から王都の高級レストランまでエイン農園の野菜を求める声があり、大人も子どもも関係なく、一族総出で朝から晩まで働いた。


「レイス! 猪の魔物がいるよ! 容赦なく魔法を叩き込んでやりなァ‼」


 たくましい祖母の声に、まだ七歳のレイスが弾かれたように畑の脇道を駆ける。


「うん! 『水の玉よ、あいつらを追い払え』!」


 呪文を唱えると、右の手のひらに水の玉がいくつかできた。魔法で魔物を払うのがレイスの主な仕事だった。


 広大な畑はすべて私有地であるため、派手に魔法が使える。ただ作物に当てるとめちゃくちゃ怒られるので、細心の注意を払わなければならない。


 レイスが放った水の玉は猪の魔物に命中し、猪は急いで山に逃げていく。


「よくやったレイス! 次は西側の警備を頼むよ!」

「任せて、エリシャばあちゃん!」


 レイスが手を振ると、エリシャは持っていた杖をぶんぶん振ってくれる。

 ふくよかな体に三つ編みのおさげが特徴的で、一見すると可愛らしいおばあさんだが、額には痛々しい傷跡があった。


 それは魔物に顔を引っかかれてできた傷らしい。そのときの具体的な話を、大人たちからは聞いたことはない。誰もが沈んだ顔で口を閉ざすのだ。


(おれが大人になったら話してくれるかな?)

 そう思いつつも、レイスは侵入者を追い払うことに日々専念していった。


 そのうち弟と妹が生まれて、エイン家はさらに賑やかになっていく。思えばこのときから大切な人が多ければ多いほど、頑張れると知ったのかもしれない。


 そして十歳のときに、ひとつの転機が訪れる。


 冒険家のアルベルト・エインの日誌と彼の短剣を屋根裏部屋から見つけたのだ。


 そこには亡くなったと聞かされていた祖父が冒険者だとつづられていて、レイスは興奮気味に日誌を掲げながら、「じいちゃんってすごい人だったんだね!」と家族のもとに向かった。


 次の瞬間、祖母に日誌を取られ、魔法によって燃やされた。


「あいつは私たちを捨てた! 家族でもなんでもないんだよ!」


 エイン家でアルベルトの名前は禁句だったようで、彼の妻であったエリシャは日誌が残っていたことに激怒し、しばらくレイスと日誌を隠し持っていたレイスの父親と口を利かなかった。


 あとで父親から聞かされたが、祖父と祖母はかなり遺恨ある別れ方をしたらしい。というのも、エイン農園の地質はマナが豊富なため、数十年に一度の頻度で魔物の大侵攻がある。

 

 前回の大侵攻ときに、祖父は王国に富をもたらすという大義のために冒険にでかけてしまい、農園で大きな損失を出していた。

 だからアルベルトはエイン一族から嫌われ、赤の他人として扱われるようになっていた。


 それを聞いたとき、家族を蔑ろにするような大人にはなりたくないと思った。


 しかもアルベルトはドラゴンライトの採掘中に行方不明になっている。深い洞窟に一人取り残される最期など絶対に迎えたくない。


 だけど日誌に書かれていた彼の冒険譚はどれも心がくすぐるものばかりで、記憶が風化しないよう何度も何度も脳裏に再生させた。


「おれはアルベルトのことをきらいにはなれないかも」

「父さんも同じ気持ちだ。短剣のことは二人だけの内緒にしよう」

「うん。わかった」


 そういって二人は屋根裏部屋に残された短剣を見つめる。

 鞘に装飾はほとんどされていない。だが、ひとたび鞘から引き抜けば、この世のものとは思えないほど美しい刃があった。


 これは名もなき剣であり、祖父が自分の娘、つまりレイスの母親に贈った物だった。だが彼女も祖父を嫌っていたため、父親が捨てられないよう隠し持っていたのだ。


「なんとなく、この剣はレイスが持っていたほうがいいと思うんだ」


 父親の言葉によって、レイスが管理するようになった。父親と一緒に街へ野菜を卸しにいくときは必ず持ち歩き、お守りとして腰のベルトに下げた。


 そして、十一歳の秋に最大の転機が訪れる。


 レイスは父親と一緒に王都を訪れた。市場に野菜を卸したあと、地元の人しか知らないような路地裏の食堂でご飯を食べた。


 ふわふわの卵に、香草と野菜をじっくり煮込んだトマトソースがかけられたオムライスが美味しくって、口いっぱいに頬張った。


 食事を終えて、ああ今日も楽しかったな、また来たいな、と父親に話しかけようとしたとき――轟音と共に建物が横に揺れた。


 いや、揺れなんかでは表せないような衝撃だった。咄嗟に父親がレイスを庇うように覆いかぶさる。


(なんだよ、これ……‼)

 耳をつんざくような音に顔をしかめる。


 やがて揺れが収まった。天井からパラパラと木くずが落ちてくる。食堂にいた人々は慌てて外に駆け出した。

 レイスも大通りに出たとき、絶句した。


 街が燃えているのだ。


 時計塔のほうで大きな黒煙が上がっていた。あそこが被害の中心地なのだろう。


「レイス、こっちへ来い‼ 逃げるぞ‼」


 父親がレイスの肩を掴んだ。彼は額から血を流していた。その姿を見て、ああこれは夢ではない、現実なのだと実感する。


(逃げる……そうだよな。逃げないと)


 頷こうとしたとき、腰のベルトに固定してあった短剣が熱を帯びた。

 まるで時計塔のほうへ行けと言っているように。


 気づいたら、レイスは一人で駆け出していた。


(足が止まらない、この先でなにが待ち構えているんだ)


 砂埃によって視界が悪い。目をぬぐったとき、目の前に影が見えた。


「え?」

「あ?」


 ゴンッと胸元に衝撃が走る。肋骨が痛いが、普段から弟と妹の体当たりを受け止めているため、ぐっと歯を食いしばって痛みに耐える。


「……! ぶつかってごめんなさい」

「いや。こちらこそ悪かった」


 見下ろすと、そこには亜麻色の髪の少年がいた。互いに目を見開いて、三秒後。

 彼がレイスに向けて「子ども?」と呟いた。


「お前も子どもだろう。さっさと逃げろよ」

「はあ⁉ こっちの台詞なんですけど!」


 なんなのだこの喧嘩腰のちっこい少年は、と思っていると、風向きが変わった。頭上を巨大な体が通り抜け、咆哮を上げた。


 レイスは思わず見入る。

 岩すら簡単に砕いてしまう鉤爪と角に、炎をものともしない銀色のうろこに覆われた皮膚。

 街の時計塔と同じ大きさの胴体に、風の向きさえ変えてしまうほどの強靭な羽。

 そして金色の目と、額の埋め込まれた黒い石。


(じいちゃんの日誌に書いてあった通りだ。あれが――竜)


 まるで短剣を持つレイスを見定めに来たかのように、竜はニッと目を細めると、箒の乗った人々の攻撃をよけ、ついでとばかりに街を壊していく。


 やがて竜は、上空で動きを止め、わずかに背を逸らした。その目は、真下にいた魔法騎士をとらえていた。


(……こいつ‼)

 レイスがなにもできないことを見透かしてように嘲笑うと、息吹ブレスを吐く。


(やめろっ‼)


 そのとき、宮廷白魔導士の最上級の『盾の魔法』が展開される。さらに宮廷魔物討伐隊も到着し、反撃を仕掛ける。


 しかしまだ足りない。竜を倒すことができなくても、せめて退けるためには、あと一手が必要だった。





 レイスは目を据える。


「ねえ、なにをしているの?」


 隣に立つ少年に声をかけられて、自嘲するように口角を上げる。自分でも、なにをやっているのかわからない。


 思い過ごしだとはわかっている。正義感に取り憑かれている自覚もある。だけど「この場に必要な一手は自分だ」という確信が、なぜかレイスの中にあった。


「これなら竜に勝てるかもしれない」


 レイスは鞘から短剣を引き抜く。

 玉鋼とは違い、鏡のようになにもかも鮮明に映し出すほど澄んだ銀色の刃こそ、ドラゴンライトを鍛えた証拠だった。


 日誌には、ドラゴンライトには魔物の動きを弱らせると書かれていた。


(皮膚は固くて刺さらないだろうな。狙うなら目か)


 そう思っていると、たまたま居合わせた少年が泣きそうな顔で懇願した。


「危険だよ! いかないで!」


 レイスは竜を見上げる。


「子どもだろうと竜の前では関係ない。ここでやらなきゃ誰がやるんだ!」


 自分を奮い立たせるように声を出し、一歩踏み出す。少年には悪いが、立ち止まれないのだ。


 ややあって、その覚悟を受け取ってくれたのか、少年の小さな手がレイスの背中を押した。


(……ありがとう。行ってくる)

 レイスは目を細め、ふっと微笑んだ。


 誰かが自分を応援してくれることが、こんなにも心強いことを初めて知った。

 改めて気を引き締め、駆け出す。


(そうだよな。一人では無理だ。誰かに竜の気を引いてもらわないと)


 少年の後押しのおかげで冷静になれたが、ただの田舎者の頼みに耳を傾ける大人などいない。


(それでもやるしかない)


 レイスは瓦礫の山を登り、ドラゴンライトの短剣を空にかざした。


「俺はアルベルト・エインの孫だ。ここに祖父から受け継いだ対魔物用の剣がある。竜を討つために――どうか力を貸してほしい!」


 誰もが正気だったら、子どもの叫び声に見聞きもしなかっただろう。


 ドラゴンライトの銀の刃がレイスの意志に応えるように光を帯びる。神々しい光景を見て、無謀な行為を止める者などいなかった。


 レイスは白魔導士と黒魔導士から加護を受け、瘴気の中でも動けるようにしてもらった。そのあいだ、竜はレイスに向けて巨大な羽を動かし、熱風を打ち付けてくるが、周囲にいた人々が『盾の魔法』で守ってくれる。


 しかし、攻撃を受けるたび、ピキッ、ピキッと盾がひび割れていく。


 このままでは圧死してしまう。


 レイスは短剣に魔力を込めて一振りすると、風の流れが変わった。いや、跳ね返したといってもいい。


(これがドラゴンライトの効果なのか……⁉)


 意を決し、追い風の中を駆ける。そのとき、箒に乗った大人が近づいてきて「少年、手を伸ばせ!」と引っ張り上げ、後ろに乗せてくれる。


 よく見ると彼はブルスタの緑のユニフォームを着ていた。上昇する中で、赤、青、オレンジといったブルスタのユニフォームを着た人が合流する。彼らはそれぞれ違うチームのブルスタのプロ選手なのだろう。それがいまは一丸となって戦っている。


 旋回しながら竜と距離をつめ、レイスに視線がいかないよう、並走していた人たちだけが竜に立ち向かっていく。

 彼らの後ろには魔物討伐隊の隊員が乗っていて、次々と激しい魔法を繰り出す。


 やがて、竜の体の動きがピタリと止まった。


 誰もが「いまだ!」と思った。


 レイスは竜の真上にいた。箒から飛び降りて、竜の右目にめがけて短剣を振り下ろす。

 だが、竜も一筋縄ではいかない。

 大量の瘴気がレイスを襲い、視界が真っ黒になる。


『邪魔だ!』


 呪文でもなんでもなく声を張り上げると、霧が晴れるように瘴気がパンッとはじけ飛ぶ。

 レイスのエメラルドの瞳は未だ竜の金の目をとらえていた。


「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお‼」


 少しでも深く刺さるように体重をかけ、竜の右目の近くに着地し、その勢いを逃がさぬまま眼球を狙う。


 短剣を突き立てた瞬間、衝撃波と共に銀の光がまばゆく。


 一拍置いて竜が痛みに気づいたのか、咆哮をあげて胴体と羽を激しく揺らす。そのまま地面に倒れ、もがき苦しんだ。


「うわっ!」


 一方でレイスは空中に放り出され、重力に引っ張られるように落ちていく。


「捕まれ!」


 そういって手を差し伸べてくれたのは、箒に乗った魔物討伐隊の鎧を着た金髪の青年だった。


「無事か?」

「……なんとか」


 レイスが苦笑しながら頷くと、彼はほっとしたように笑みを浮かべた。


 そのとき、バサッバサッとなにかが音を立てて通り過ぎた。

 竜だ。竜はレイスを一瞥したあと、上昇していき、雲の向こう側へ姿を消した。


 空に青空が戻り、光が差し込む。地上では迅速な消火活動が行われはじめ、徐々に黒煙が減っていく。


 レイスが地面に足をつけると、割れんばかりの拍手が沸き上がった。


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