第五章 『負い目』

 時は少し遡り。

 ルティは空を駆けていくハーウェイの後ろ姿を見上げ、目を細める。


「すごい」


 レイスも口角を上げ、大きく頷く。


「ああ。これが『神速のハーウェイ』か」


 ジェラルドの言う通り、惚れ惚れするほどの飛び方だった。ふとジェラルドに視線を向けると、口元を両手で押さえ歓喜の表情を浮かべている。


 あっという間にハーウェイの姿が見えなくなったが、彼ならシェリルを助けてくれるだろう。


「あいつ、飛べたのか」


 アキルスが眩しいものを見つめるように呟くと、ジェラルドが頷く。


「シェリルはハーウェイに任せておけば大丈夫だ。あとは」


 みんなで振り返ると、そこには縄によって拘束されたポルティコがいた。

暴れても抜け出せないことを悟ったのか、いまはおとなしくしているが、目が合うと威嚇される。


 レイスは静かな声でジェラルドに問う。


「契約魔法が上書きされたのか?」

「いや、魔法による契約は絶対だ。学校の記録によると、ポルティコが契約を結んだのはかなり前。最初の契約者はすでに亡くなっているが、校長が代々が引き継いでいるはずだが……」


 ジェラルドは険しい顔をして顎に手を添える。


「もしも契約が揺らぐことがあるとすれば、校長の身になにかあったか、もしくはなにかしらの妨害を受けてポルティコ自身が契約のことを忘れたか、だな」

「……」


 沈黙が流れる。ルティも思考を廻らせようとするが、頭がズキンと痛んだ。思わず顔をしかめると、レイスがそれに気づいて顔をのぞき込んでくる。


「ルティ、少し座ろう」


 レイスは片手だけて器用に運動着の上着を脱ぎ、地面に置いた。その上にルティを座らせてくれる。ルティが小さな声で「ごめん」と告げると、レイスは「いいから」と背中をさすってくれる。


「見て! シェリルとハーウェイだ! 二人は無事だよ!」


 アキルスが指さした先に、箒に乗ってはるか上空を飛ぶ二人の姿が見えた。

 ただその後を追うように、少し時間が経ってから大鷲も通り過ぎた。


 そのときだった。大鷲の体が白く発光する。


 そして巨大な魔法陣が展開され、大鷲は動きを止めて、ゆっくりと地面に降りてくる。地上にいたポルティコにも同じ魔法陣が浮かび上がり、彼らは眠りについたように動かなくなった。


「みんな! 無事か!」


 上空から箒に乗ったセシルが現れた。彼は左手で箒の柄を持ち、右手には枝木でつくられた杖を持っていた。その先端にはポルティコたちを包み込んだものと同じ模様の小さな魔法陣が浮かんでいる。


 先ほどの魔法陣は彼のものだろう。セシルはルティたちの顔を見て眉を寄せたあと、無駄のない動きで地面に飛び降りる。


「魔物はすべて魔法で眠らせて拘束した。怪我人はいないか?」


 多少の擦り傷はあっても、大きな怪我をした人はいなかった。大丈夫、という意味を込めて首を横に振ると、セシルは一瞬だけほっと胸を撫でおろす。


「今回の被害は」


 真っ先に口を開いたのはジェラルドだった。彼は毅然とした態度でセシルに詰め寄る。


「他のみんなは俺とマファー先生で守り切った。拘束した魔物を含めて死人と重傷者は出ていない。もちろん魔症を発症した子もいないが、魔物が暴れた原因はまだわかっていない。みんなを校舎に避難させたら調査を行う」


「うむ。しかし今回のことはただ事ではない。外部から厳しく監督責任を問われるぞ」


「承知の上だ。俺はポルとグルファーを収容する。君たちは校舎に戻って手当てを受けてくれ」


 ルティが立ち上がろうとしたとき、視界が揺れた。


「ルティ‼」


 レイスが抱きしめるように受け止めてくれるが、体に力が入らない。

 アキルスが驚いた顔をしている。彼を心配させないためにも早く起き上がらなければならないのに。


「悪い、俺のせいだ」

「……レイスのせいじゃないよ。あなただって怪我をしている」


 これはルティの力不足や、予期せぬことに対して力の配分を間違えた判断ミスが招いた結果だ。


(だから気にしないで)


 だけど、もう言葉を発することもできなくて。


「おいルティ‼」


 ルティはゆっくりと目を閉じる。ああ、また三年前と同じだ。


(今度こそ最後までレイスと共に立っていたかったんだけどな)





 レイスはルティを背負って医務室まで送り届ける。

 ゆっくりとベッドに寝かせると、彼女はわずかに身じろぎをした。


 ここにいるのはレイスとルティだけだ。保健師は外に待機する生徒たちの手当をしている。

 保健師からルティは心労と判断され、寝かせるためにここに連れてきたのだ。


 いまはよく眠っているが、目の下には薄い隈がある。その部分に触れようと手を伸ばし、寸前のところでとどまった。


(俺のせいだ)


 優しい彼女を利用してここまで追い込んだのは、まぎれもなくレイスだった。

 拳をぐっと握り締めて、ベッドに背を向ける。医務室を出ると、廊下の壁に寄りかかっているアキルスがいた。


「どうしてここに?」

「おれたちの班の事情聴取がはじまってね。ジェド君に頼まれてレイス君を呼びにきたんだ」

「そうか、ありがとう」

「ううん、いいんだよ」


 レイスとアキルスは黙ったまま廊下を歩く。まだ授業中なので、ほかの生徒は出歩いていない。

 なぜか二人のあいだに気まずいともいえない、変な空気が流れる。思えばレイスの祖父とアキルスの父親が仕事仲間だった。


 不思議な縁があるものだと考えていると、アキルスが沈黙を破る。


「……ハーウェイ、すごかったよね。あんなふうに飛べるなんて知らなかったよ」

 レイスは「ああ」と頷く。


「それにルティも。小さな体でよくやっているよ」

「……本当にな」


 相手がアキルスだからか、不思議と言葉を続ける。


「俺はいつも彼女の勇気と優しさに助けられてきたけど」

「けど?」


 アキルスが不思議そうに聞き返してきたが、レイスは言葉につまって口を閉ざした。

 すると彼はその複雑な心境を察してくれたのか、前を向いたまま告げる。


「レイス君にとってルティは本当に大切な存在なんだね」

「ああ……そうだな」


 自分に言い聞かせるように告げると、アキルスは静かな声で言う。


「じゃあレイス君が苦しそうな顔をしているのは、ルティのことが大切だからこそ、彼女と距離を置きたいと思っているからだろうね」


 レイスは思わず足を止めた。

 どうしてわかったのだろう。彼の言う通りだった。

 

 ゆっくりと振り返ると、アキルスの澄んだ湖畔のような青い瞳がレイスをとらえていた。


「おれが君になにかを言える立場ではないのはわかっている。でも、時には自分自身の大義のために、大切な人を遠ざけてでも前に進まなければいけないときがあるはずだ」


 その言葉が、レイスの中にあったルティへの負い目を増長させる。

 エメラルドの瞳を閉ざし、小さく頷く。


「そうかもしれないな」





 ルティは真っ白な世界の中にいた。


(ここは……?)


 周囲を見回していると、目の前でなにかが動いた。

 黒曜石の結晶に包まれた竜の卵が顕現したのだ。


『こんにちは、ルティ』


 竜の卵から子どものような無邪気な声が聞こえてきた。

 ルティは戸惑いながら答える。


「……こんにちは」


 軽率に返事をしてしまったが、これは夢の中なのか。


「あなたはどこにいるの?」

『ナイショ』


「この学校にいるの?」

『それもナイショ!』


「一匹でいるの?」

『ううん、違うよ』


 ルティは目を見張る。竜の卵に近付こうとするが、距離をつめたぶん、また距離が遠ざかる。


「待ってよ、どうしてわたしに会いに来てくれたの?」


 竜の卵はかすかに笑う。


『だって君に――てほしいから』




 ルティがハッと目を開けると、見慣れない天井があった。

(あ……消毒液の匂いがする。ここは医務室かな)


 上半身を起こし、辺りを見回す。ベッドを取り囲むように間仕切りが並んでいて、背後の窓からは深いオレンジ色の光が差し込んでいる。


 ベッドから立ち上がると、その物音によってルティが起きたことに気づいたのか、間仕切りの向こう側からレイスが現れた。


「よかった、目を覚ましたのか」

「おかげさまで」


 そういって苦笑すると、レイスはルティの体を支え、ベッドに座らせてくれる。

 そしてレイスもまたルティの隣に座り、沈黙が流れた。


 ルティは頭の中で聞きたいことを整理してから口を開く。


「……ポルたちはどうなるの?」


「先ほどマファー先生たちによる事情聴取を受けてきた。ポルティコたちの処遇は暴れた原因がわかってから判断されると聞いた」


 もし自発的に人を襲ったことが証明されれば、処罰されてしまうかもしれない。ルティが目を伏せると、レイスが肩を抱いてくれる。


「マファー先生もセシル先生も最悪の状況を回避させるために動いてくれている。それは俺たち一年生も同じ気持ちだ。犯人を捕まえれば、きっとポルティコたちは解放される」


 力強い声だった。ルティはぐっと唇を噛みしめ「そうだよね」と呟く。


「立ち止まってなんかいられないよね。わたしたちもできることをしないと」


 そうレイスに頷きかけると、彼は優しく微笑む。


「ああ。そうだな。そのためにもルティ」

「なあに?」


 エメラルドの瞳がピンクトルマリンの瞳を射抜く。


「俺の昔話を聞いてくれないか。少し長くなってしまうかもしれないが」


 ルティは口を何度か開閉してから、唇を震わせる。


「…………わかった。いいよ」


 どうしてこの機会なのだろう。でも、これを逃せば彼の過去は聞けない気がして。頷くしかなかった。

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