第五章 『宿命・後編』

 レイスが竜を退けてから、身の回りの生活が一変した。


 たくさんの大人に称賛され、若き英雄として力を認められた。

 さらに豪華な服を着て、きらびやかな宮廷の廊下を堂々と歩き、国王と謁見した。


「王国を守ってくれてありがとう。これからも多くの人を救ってほしい」


 国王からの一言と共に、レイスが一生働いても稼げないほどの報酬と勲章を授かった。


 星が瞬いているような、星型正九角形の勲章を見て、誇らしい気持ちを抱いたと同時に、身に余る評価を受けて少し怖くなった。


 だから宮廷魔物討伐隊の指南役であるライナス・リーデロウェルから養子にならないかという話を受けたとき、返事を渋ってしまった。


 多くの人に必要とされるのは嬉しい。でも、アルベルト・エインのように家族を蔑ろにだけはしたくなかった。

 

 それを正直に告げると、ライナスはレイスが養子になったあかつきには、エイン農園を襲う魔物を減らすために地質学の専門家や魔導士を呼び、魔物を減らす対策をしてくれると言った。


「レイス君、そういう守り方もあるのだよ」


 ライナスはレイスの両肩に手を乗せ、力強く告げた。


 あまりにも大掛かりな話に最初は戸惑ったが、次の魔物の大侵攻で家族に傷ついてほしくない想いのほうが強かったため、養子になる話を受けた。


 こうしてレイスはライナスだけではなく、専門家や魔導士と共にエイン農園に帰ることとなった。


 護衛付きの馬車が列を作り、移動をするたびに注目を集める。騒ぎが大きくなって道の妨げにならないよう、レイスの名前は出さず、宮廷の使者が領地の視察のためにやってきたと民に告げた。


 そんな中、レイスは馬車の窓から一番後ろの小さな馬車に目を向ける。そこには父親がいた。ライナスからは、父親はひどい怪我を負っているため、療養に専念するためにもレイスとは一緒の馬車に乗れないと説明されていた。


「故郷に戻れば君の父親は回復するだろう。安心しなさい」


 ライナスの言葉に、レイスは頷くしかなかった。

 彼は優しい笑みを浮かべる好々爺だったが、どことなく有無を言わせない圧力があって、いまはそれを信じるしかなかった。


 エイン農園に着くと、誰もが驚いてくれた。たくさんの馬車に、たくさんの人に、そして積み荷にはこれまたたくさんの報酬が乗っていたからだ。


 母親と祖母は困惑した顔でレイスを見つめていた。


 レイスは二人を安心させるために、両手を広げて王都で起きたことを話す。

 すると母親は涙を浮かべて口元を押さえたあと、こちらに駆け寄ってきた。


(ねえ、母さん。俺、頑張ったんだよ!)


 いまになって竜と対峙したときの恐怖がせり上がって来た。生きていることを実感するためにも、母親に抱きしめてもらいたかった。


「母さん!」


 レイスも駆け出して、母親に抱きつこうとしたとき、彼女が通り過ぎた。


(――え)


 目を見開きながらゆっくりと振り返る。母親は人混みの中をかきわけると、父親の姿を見つけるやいなや胸倉を掴んだ。


「あなた! これはどういうことなの⁉」


 悲痛な叫びが周囲に響く。父親はいまにも泣きそうな顔で「すまない、すまない」とうなだれるだけだった。


(え? どういうことなんだよ)

 レイスは眉を寄せたあと、母親に近付いて声をかける。


「どうして父さんを責めるの?」

「……」


 母親は父親の胸倉から手を離すと、顔をしかめた。


「ねえ、俺はたくさんの人を救ったんだよ。なにか言ってよ」

「……それは立派なことね。でもあなたはエイン家の跡継ぎなのよ」

「うん、わかっているよ。でも、俺は多くの人を守るのためにも、王都でいろんなことを学びたいんだ――だって、それが俺の宿命なのかもしれないから」


 母親はギリッと歯を噛みしめ、レイスの両肩を掴む。


「あなたはレイス・エイン。英雄でもなんでもない」


 上から踏みつぶしてくるような声だった。レイスは呆然とし、目元を震わせたあと、わずかにうつむく。


 母親はそんなレイスの姿を見て、目を伏せたあと、レイスの背後にいたライナスたちに向き合う。


「こんな辺境地までご足労いただきありがとうございます。レイスは私たちの息子であり、このエイン農園の跡継ぎなのです。彼を渡すわけにはいきません」


 そういってレイスの体を隠すように抱きしめる。やっと待ち望んだ温もりは、予想していた以上に冷たかった。

 どうしてだろう。レイスの気持ちが冷めきっているからなのか。


「もういいよ。わかってくれなくていい」


「レイス……?」

 母親が怪訝な顔を向ける。レイスは彼女を見上げ、低い声で告げる。


「俺、ライナスさまの養子になる契約をしたんだ」


 両親の顔が引きつった。父親が震える声で問う。


「待ってくれ、そんな話は聞いていないぞ」

「こちらが話すべきではないと判断したので」


 口を挟んだのはライナスだった。彼は従者から書簡を受け取り、レイスの署名を見せる。


「レイス君が養子となったあかつきには、魔物被害を減らすために、エイン農園の周辺に結界を張ると私たちが約束しました」

「!」

「定期的な張り替えが必須ですが、この先、五十年の張り替えを約束します。もちろん、結界によって魔物が別の農場へ行かないよう対策を施します」


 両親だけでなく、見守っていた祖母の顔まで凍りつく。歳の離れた弟と妹も異変を感じ取ったのか、祖母の後ろから黙って様子をうかがっていた。


 レイスはみんなを安心させるために、声を張る。


「すごいだろう。俺がそばにいなくても、みんなを守るすべを手に入れたんだ」


「そんなのすごくないわよ」


 母親がその場で泣き崩れた。すぐに父親が駆け寄って、彼女を抱きしめる。レイスは唐突な疎外感に、笑みを浮かべて首を傾げることしかできない。


「どうして父さんもあなたも私たちに相談しないで勝手に決めるの? 残された私たちの気持ちをちゃんと考えてよ‼」


 レイスは服の裾を掴む。


「……ちゃんと考えたよ。自分のやるべきことをやるために、その上で家族を守れるように、こうして交渉だってしてもらって――」


「違う違う‼ そうじゃない‼」

 母親の渾身の叫びに、レイスは肩をビクっと揺らす。


「私たちはただ、あなたのそばにいたいだけ! それだけなのに」

「……母さん」


「知らない人じゃなくて、私たちを守ってよ!」


 母親は泣きじゃくってこれ以上はなにも言わなかった。


 レイスは両親のもとへ駆け寄ろうとして、足を止めた。両親と自分のあいだに明らかな線引きができたからだ。

 言葉をつむげずにいると、ライナスがレイスの肩に手を乗せる。


「我々はレイス君と契約しました。彼の意志に沿って契約を執行します」




 その日から家族とは会っていないし、手紙のやり取りもしていない。家族を危険にさらさないために、表向きではエイン家との関係を絶ち切った。

 それにレイスがあの家から離れても、エイン農園の跡継ぎには弟がいるため、なにも問題ないと思っていた。


 だが、リーデロウェル邸で暮らす中で、大人たちの会話を盗み聞きしてしまう。

 それはエイン農園と周辺地域に魔物対策の一環として、敷地内にいくつかの研究所が建てられた、ということだ。


 契約書には研究所の数まで書かれていなかった。なぜだろう。土地を侵害されたという感覚がぬぐえない。


(……俺の純粋な気持ちが誰かに利用されている?)


 とにかく嫌な感じがした。それは見事に当たった。


 レイスの知らないところで、大人たちの思惑がどんどん動いていく。止めたくても、監視付きの屋敷の中でレイスにできることなんてない。


 さらにレイスは人の上に立つ者としての振舞いを求められ、話し方、仕草、姿勢などを矯正される。


 自分が自分ではなくなっていく感覚に恐怖を覚える。


(誰の言うことを信じればいいのだろう。また誰かに利用されたら?)


 いろんな祭事や式典に参加し、たくさんの人と出会っていくが、誰を信じていいのかわからない。だから上辺だけの関係を築くしかない。

 そうしないと自分の心が守れない。


 やがてひとりで自室に戻って、豪華な服を脱いだとき、初めて母が泣いていた理由に気づく。


(寂しい)


 エイン家に帰りたいが、帰れない。

 だったら、一人で生きていくしかない。





 レイスは医務室のベッドに腰掛けるルティに向き合い、いびつな笑みを浮かべる。


「そういった経緯から俺は大人を信じられなくなり、手紙の差出人のことも君に話せなかった……本当に愚かなことをした。でも」


 両手を見つめ、小さく息を吐く。


「エイン家から手紙が来たとき、涙が出るほど嬉しくて」


 するとルティは唇を噛みしめ「うん」と頷いた。


「同時に簡単に呪われてしまった自分のふがいなさに苦しめられて、最初のうち、君に嫌な態度を取ってしまった」

「そっか」

「本当にごめん」

「謝ってくれたからいいよ」


 ルティに言葉に、レイスは肩に力をストンと抜く。

 ただ、ルティは膝上で拳を握り締めたままだった。


「レイス」

「なんだ」

「どうして話してくれたの?」


 ルティのピンクトルマリンの瞳がレイスを射抜く。彼女の表情にはこれ以上なにも言わないで、と懇願するような不安がにじんでいた。


 ここでレイスはあることに思い至る。


(似ている、三年前に出会った少年に)


 そういえばルティは数年前まで魔法騎士を目指していたと言っていた。短い髪に男物の服を着ていても不思議ではない。


 レイスは震える声で告げる。


「君にだけは知ってほしかったから」


 三年前も、いまも、レイスの背中を押してくれるのがルティだった。


 本当に心強かった。彼女とこの学校でまた出会えたから、ジェラルドと絆を深め、『闇鍋班』のみんなと結束力を高めて、困難を乗り越えてきた。


(だからもう大丈夫、俺は自分の過去と向き合うよ。そしてごめん。君のことを守るにはこれしかない)


 彼女はきっと怒るだろう。だが、レイスはそれ以外の方法を知らないのだ。


 レイスは立ち上がると、ルティに向けて心からの笑みを浮かべる。


「ルティ、君の役目はここまでだ――契約魔法を解消しよう」

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