第六章 『誰かの特別』
ルティの視界が暗転し、次の瞬間、薄暗い室内に出る。
(……ここは⁉)
驚きのあまり足の力が抜け、その場に尻もちをついた。
目の前に本棚があった。本が乱雑に差し込まれ、床にも落ちている。よく目を凝らすと、円塔になっているのか、壁の曲線に沿うように本棚があった。しかも階段のように段差をつけて並んでいる。
それを追うように見上げると、二階があるのか、天井の一部が吹き抜けとなっていて、そこから西日が差し込んでいた。
(もうすぐ日が暮れる……)
そのとき、パリンッとなにかが割れる音がした。
振り向くと、キャラメル色の髪をハーフアップにした男が立っていた。彼の手にはひび割れた青白い水晶があった。
「この転移装置、あと一回で限度だったんだよね。潮時だったから、間に合ってよかったよ」
アキルスは安堵の表情を浮かべていた。ルティは彼と距離を取るように、制服のスカートを床にすりながら後退する。
出入口の扉はアキルスの背後にあった。なんとか立ち上がって駆け抜ければ、逃げることができるのか。
(でもおそらくここに竜の卵がある……)
アキルスは砕けた水晶の破片をパラパラと床に落としながら告げる。
「ここはね、校舎を囲む森の中にいくつかある天文学の観測塔の跡地なんだ。二階からの景色が良くてさ。ポルがいる中庭を見つけることができたのもこの観測塔のおかげなんだ」
どうして彼はこんなにも落ち着いて言葉を紡げるのだろう。
相変わらず心地のいい声色なのに、制服の上からでも感じるこの場の冷気と、よどんだ雰囲気もあって、余計に不気味に感じる。
「君にもぜひ二階からの景色を見てもらいたかったけど。ごめんな、いまは時間がないから」
そういってアキルスは背中を向けると、壁側のくぼんだ空間に手を伸ばす。本来、そのくぼみは燭台を置く場所だが、いまは黒い塊があった。
「おっと、よく見えないよな。明かりをつけよう」
アキルスが呪文を唱えると、塔にあった燭台やランプに明かりが灯る。
ルティは引きつった顔で、アキルスの腕に抱きかかえられた黒曜石のような塊を見つめる。
「……それが竜の卵だとわかっているんですよね?」
「うん、そうだよ。綺麗だろう」
アキルスはほくそ笑みながらうつむき、いままでの経緯を思い出す。
◆
アキルスは昔から出来の悪い子どもだった。
鉱物に例えてでしか会話ができない父親と、彼と対等にやり取りができる秀才の兄の背中を、いつも遠巻きに見ていた。
なんとかして二人の会話に入りたいのに、なかなかうまくいかなくて、父親に見向きもされないことが悔しかった。
(仕方がないなのはわかっている。おれは兄貴とは違って泥水の石が名前の由来だし)
アキルスと兄のエディの名前は宝石に関連づけて名づけられた。
兄のエディは『エディファーン』という透明の水晶に真っ赤な稲妻なような模様が走る綺麗な宝石なのに、アキルスは『アキルライト』という泥で濁ったような赤茶色の水を固め、いくつもの気泡が入った鉱石だった。
(アキルライトは見た目の悪さから市場に出回ることが少ない。まるでおれみたいに出来損ないみたいだ)
日々落ち込むアキルスを見かね、母親が外に連れ出してくれるようになった。
いろんな人と交流を深めるようになり、会話術がどんどん磨かれていくが、父親には通用しない。
それなのに。
「もう、あなた。床に本を置かないでください」
「……ごめん。すぐに片付けるから」
そういって両親は仲睦まじく身を寄せ合う。そう、父親は母親の声には普通に反応するのだ。
(まるでおれだけが一人取り残されていく)
疎外感に何度も苦しめられてきたが、あるとき、竜という魔物の存在を知った。
竜は圧倒的な力で街を焼き尽くした。その話を聞いたとき、こんなふうになにもかも自分の思い通りになればいいのにと思った。
だけどアキルスの周りは竜の被害によって苦しんでいる者ばかりで。
母親と一緒に被災地へ炊き出しを行っている際に、彼らの絶望に染まる姿を見て、ああなんでそんなひどいことを思ってしまったのだろうと自分自身を責めた。
食事を配るとき、いろんな人からお礼を言われた。「ありがとう」という言葉が、一本一本の剣となってアキルスに突き刺さる。
身体が裂けるくらいに痛かったが、仕方のないことだ。だって、最低なことを思ってしまった自分が悪いのだから。これは自分が受けるべき罰なのである。
そしてロシュフォード王立魔法の入学式の半年前、同じ痛みを知る人と再会した。
彼は兄のエディの友人であり、彼が学生のときはよくルーエン家に泊まりに来ていた。その人の誘いによって、アキルスは王都のとある一画の墓地を訪れた。そこの端には聖堂があり、地下には迷路のような空間が広がっていた。
アキルスは意を決して足を踏み入れた。階段を降り、光が届かないような深層の広間に着くと、中央に祭壇がぽつりとあった。
その周りは蝋燭によって囲まれ、祭壇の上には黒曜石のような塊があった。
一目見て、それが魔物の卵だとわかった。
「綺麗だろう?」
「はい」
アキルスは兄の友人に背中を押されて卵に近づく。表面の黒い結晶は本当に綺麗だった。石の艶もいい。これが魔物の卵だなんて信じられない。
「これはね、特別な卵なんだ」
「特別、ですか?」
「そうだよ。竜の卵なんだ」
え、とアキルスは言葉を失う。
「……魔物の形は環境によって決まるとは言われていますよね? 具体的な形は生まれてみないとわからないのでは?」
「それは竜の巣から持ち帰ったから、と答えましょう」
その声は広間の影から聞こえてきた。やがて広間の物陰から真っ黒な祭服を着た男性が現れる。
「えっと、あなたは……?」
「申し遅れました。わたくし『竜の黙示録』の代表でございます」
黙示録とは神が人々の危機の際に予言や警告を記した文書のことだ。彼らは竜から神託を受けているということなのか。
話を聞いていくと、彼らは王都を襲った竜の言いつけで、かの竜の傷が癒えるまで竜の卵の成長に寄り添い、守ってほしいとお告げがあったらしい。
(うわ、うさんくせえ)
ダルク王国では魔物の卵の観察、もしくは研究するためには宮廷の許可がいる。
(この人たち、絶対に許可なんか取っていないだろう)
でも、この際なんだっていいのかもしれない。
この出会いこそ、たぶん自分が求めていたものだから。
祭服の男性はその想いを悟ったのか、アキルスの手を取る。
「卵はいくつかありまして。そのうちのひとつの観察をあなたに任せたいのです」
アキルスはおそるおそる兄の友人のほうを見上げると「アキルスなら任せられると思ったから連れて来たんだ」告げた。
(本当におれでいいのかな)
孵化が始まれば瘴気が飛び散り、魔症になる可能性があると父親から聞いたことがある。不安が邪魔をしてなかなか言葉を紡げずにいると、祭服の男が「難しそうですか? では、ほかの子に任せましょうか」と口に出した。
「待ってください!」
自分でも思った以上に大きな声が出た。
アキルスは深呼吸をしてから拳を握り締める。
「おれにやらせてください」
断われば、この場で彼らに始末される可能性が高い。彼らからは法を犯してでも竜の卵を孵化させる、という強い意志を感じた。
(おれは、おれのなけなしの可能性に賭けたい)
竜の卵があれば、自分は誰かの特別になれるかもしれない。その期待がアキルスを突き動かす。
こうして卵を手に入れ、ロシュフォード王立魔法学校で観察することになった。
この場所が選ばれたのは、兄の友人――協力者が教師として働いていたからであり、アキルスも親の顔を立てるために受験し、入学が決まっていたからだ。
そして、竜を退けたレイス・リーデロウェルも同じ一年生として入学する。
アキルスは竜の卵を受け取った時点で、どう転んでも身の破滅しかないとわかっていた。だからこそ、悪名だろうがなんだろうが、竜の卵を観察し、孵化する条件を見つけることで、レイスを超えたいと思った。
竜の卵は「親父からこんなでっかい石を持たされちゃってさ」と困ったように言えば簡単に持ち込めた。
だがここでいくつかの問題が発生する。
協力者の手筈で一人部屋になるはずだったが、今年はレイスと第三王子のジェラルドが入学するということで、どうにかして彼らとお近づきになりたい貴族や名家が、こぞって寮の部屋割りに文句を出した。そのせいでアキルスは二人部屋になってしまったのだ。
しかも入学式があった日、魔法式路面電車の停留所で一人で並んでいたところ、いままでの支援活動で出会った人たちに取り囲まれてしまい、いつの間にか集団で行動することになってしまった。
(一人になれないじゃん‼)
もともと竜の卵は、学校の敷地内にある使われなくなった天文学の観察塔で行われることになっていたが、寮の部屋に転移装置を置くわけにはいかない。
そこで集団をそそのかして、部屋の中で爆発騒ぎを引き起こした。
必死に言葉を選んでみんなを誘導したあと、見事、屋根裏部屋の一人生活を勝ち取った。
さらに集団と距離を置くために、ルティやハーウェイといった一人ぼっちで行動をする生徒に声をかけた。
集団の面子はとにかく世話焼きだった。
ルティたちに押しつけて、自分は徐々に距離を置おうと思っていたが、ルティはシェリルと一緒にいることを選び、ハーウェイは「集団」という単語に怯えて逃げてしまった。ほかにも何人か声をかけて集団に引き入れることに成功したが……。
(え、おれを慕ってくるんだけど、なんで?)
なかなか集団から抜け出すことができず、まあそのほうが周囲の目をあざむくことができると思って諦めた。
(防衛術でレイスとジェド君と同じ班になったときはなんでだよ――――‼ と叫びそうになったし、おれのキャラ的に街歩きの話が出たときに、真っ先に賛成しないと怪しまれると思ったから自ら率先したわけだけど)
まあなんとか乗り越えてきた。
魔物の卵は満月の日に孵化しやすいと聞いたことがあるため、夜になると屋根裏部屋を抜け出して、観察塔の二階に向かい、卵をできるだけ月光に当てた。
『竜の黙示録』からはただ見守っているだけでいいと言われていたが、アキルスは竜の子に会えるのを楽しみにしていた。
(こいつがいるから、眠ることも怖くはない)
昔から眠るという行為が苦手だった。闇に包まれて身動きができなくなってしまうようで、怖かったからだ。だけど竜の卵と過ごすうちに、竜の卵を抱くと、よく眠れるようになった。
表面の黒い石はひんやりとしているが、ずっと抱いているとアキルスの体温がなじんだように熱を帯びる。それが本当に嬉しかった。
◆
アキルスは顔を上げ、ルティを見つめる。
「おれさ、つい最近までレイス君が呪われていることを知らなかったんだ」
「え?」
ルティの戸惑った声を気にせず、アキルスは言葉を続ける。
「俺の協力者が、おれに黙って勝手にやっていてさ。君たちも平然というか、輝かしい青春というやつを全力で楽しんでいたし、あんなイチャイチャを見せられたら呪われているなんて思わないって」
レイスが呪われていることを隠し通したのもすごいが、アキルスにとってルティのほうが手ごわくて危険な存在に見えた。
ほら、いまもピンクトルマリンの瞳からは凛とした力強さを感じさせる。
「ねえ、ルティ。レイス君と一緒にいたのは呪いを緩和するためだったんだね」
「……いつ、呪いに気づいたんですか?」
「防衛術の実技試験のときかな。だってあのレイス・リーデロウェルが魔物に襲われたくらいで箒から落ちるわけがない。それに君は彼を守るために身を挺して駆け出した。そんな姿を目にすれば疑いたくなってしまうだろう」
そういいつつ、アキルスは目を伏せる。
あのとき、魔物が暴れ出したことはアキルスにとっても想定外だった。だから授業終わりに、すぐに協力者のもとへ向かって問い詰めた。
――なぜこんなひどいことをするんだよ、と。
すると協力者は『大義のために犠牲を払うのは仕方のないことだ』とあっけらかんと言った。
アキルスはさすがに人殺しをする勇気はなかった。呆然としながら『なぜレイス君に呪いをかけたんですか?』と口に出すと、協力者はうっとりと微笑む。
『だって天才が嫌いだから。アキルスならわかってくれるだろう?』
そのときはじめて『違う。おれはそうじゃない』と思った。だけど協力者はアキルスの顎を掴み、顔をのぞきこんでくる。
『この醜い感情を知らないとは言わせない』
人間は、経験したことのない感情に対しては鈍感だ。だけどアキルスの中には妬みや嫉妬による黒い炎が渦巻いている。だからこそ、協力者の行為を否定することはできなかった。
「そしてルティ、君が医務室で寝ているとき、おれはレイス君に声をかけたんだ。君と離れるべきだと進言したのはおれだよ」
アキルスは片膝を床に付けると、ルティの頬に触れる。
「二人の仲を引き裂いたと思ったのに、なんで君たちはまだ一緒にいるわけ?」
自分の顔を見なくても、どんな表情をしているのか手に取るようにわかる。
この世でもっとも醜い感情がにじんでいるだろう。
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