第六章 『届かない想い』

 校舎の廊下にカツン、カツンと靴音が響く。

 セシルは真っ黒なコートに身を包み、無表情のまま足を進める。


 日はすっかり沈み、窓からは柔らかな月の光が廊下を照らす。

 この時間帯に生徒たちの姿はない。明日は休日ということもあり、みな寮で夕食を取っている頃だろう。


 教師たちも試験期間中ということで、研究室にこもって筆記試験の採点をしている。


 セシルは校舎の中でもっとも大きい階段教室の、二階の扉の前で止まった。


 両手で扉を開き、一番高いところから教室を見下ろす。一階のステージ状に広がる教壇には、白衣を着たヨシュアが立っていた。


「おい、セシル。こんな時間に呼び出すなよ。こっちは錬金術の筆記試験の採点がたまりにたまっているんだからな!」


 ヨシュアの声に、セシルは口元に笑みをたたえながら語りかける。


「じゃあ、地質学の授業時間を利用して採点すればいい」


 彼はむっと眉間にしわを寄せて、大きなため息をつく。


「あのなあ、簡単に言ってくれるなよ」

「実際は簡単だろう? ポルが暴れた日も、君は地質学の授業を自習にして、教室を抜け出していたじゃないか」


 一段と冷ややかな声で告げると、ヨシュアは肩をすくめる。


「なんだよ、オレを疑っているのか?」

「白を切るな。すでに証拠は掴んでいる。『いたずら卵』の誤発注もお前の仕業だ」


「ふ、ふはは!」


 ヨシュアは急に腹を抱えて笑い出した。セシルが怪訝な顔をすると、彼は歯を見せてあざ笑う。


「さすが国王陛下直属の諜報員さまだ。発言に重みがあるなあ」


「へえ、俺の正体を見抜いていたのか」


 セシルは表向きの理由では、防衛術の人手が足りないために急遽教師になったとされているが、国王直属の諜報員、通称『王の目』の一員でもある。


 竜の卵を回収するために、レイスとジェラルドと共に密命を受け、教師として潜入していたのだ。


「王子さま気取りのお前が、国王陛下の部下になっているとはなあ」


「自分でもびっくりしているよ。でも俺としては、君がこんなにもダセェ真似をしていることのほうが信じられないな」


 セシルは前髪をぐしゃりとかき上げたあと、ヨシュアと距離を詰めるために、教室の右側の階段を降りる。


「見損なったよ、ヨシュア。君は誰かをおとしめるような奴ではなかったはずだ」


「いいや、オレの本質はお前たちと出会ったときから変わっていないぜ? ほら、よくこう言うだろう? 距離が近すぎると見えないものがあるって」


 ヨシュアはその場で肩をすくめる。


「わかるか? その疎外感を」

「……」

「わかるわけがないよな。というか、わかってもらっては困る。この気持ちはオレだけのものだ」


「……だから同じように孤独を感じている生徒たちのために教師になったのか?」


 セシルが静かに問うと、ヨシュアは目を鋭くさせる。


「違う‼ オレは他人なんかどうだっていい‼」


 その激昂に、彼は外見だけではなく、内面すら変わってしまったことを、ようやく実感した。


 おそらく変化のきっかけは、ロシュフォード王立魔法学校を卒業したすぐのことだろう。

 ヨシュアは役人として宮廷勤めが決まっていたが、初出勤の日に体調を崩し、そのまま病院送りとなった。


 診断結果は心臓に異常があるということだった。すぐに魔法によって治療が行われるが、ずっと無理をして勉強をしていたせいもあって、体調がなかなか回復せず、退院できたのは二か月後だった。


 そのときには薬を手放せない体となっていたが、入院中も復帰に向けて準備を進めており、いざ念願の職場に意気揚々と向かう。


 だが、すでにヨシュアの席は残されていなかった。


 途方に暮れたヨシュアは、当時の地質学の先生に誘われ、この学校に研究室を持ち、やがて錬金術を任されるほどの教師となっていた。


 彼は高すぎる自尊心から、この経歴を恥じだと思っていた。だからセシルたちはいままでその話題に触れることはなかった。


(それがあだになっていたとはな)


 セシルが足を止めてうつむくと、ヨシュアが左側の階段を上りはじめた。


「この学校の閉鎖的な環境は体を癒すのにちょうどよかったよ。論文に没頭していれば、お前たちのことを考えずに済むからな。だけど、周りの先生方はお前たちの活躍を平気で話題を出す。そのとき初めてこう思ったんだ。お前たちと縁を切りたいってな」


「……」


「そう願い続けてよかったよ。オレはついに『竜の黙示録』と出会い、それができる力を手に入れた」


 セシルは小さな声で「やめてくれ」と吐き出す。だが、ヨシュアは言葉を止めない。


「彼らは数百年に一度しか人前に姿を見せない竜を崇拝していてな。オレと出会ったとき、あと一年で王都に竜が顕現すると予言した。当時のオレは馬鹿馬鹿しいと一蹴したが、結果はどうだ? 見事当たった」


 ヨシュアがセシルの視線の高さに徐々に近づいてくる。


「オレは予言や占いといった不確定要素があるものが嫌いだったが、『竜の黙示録』は違う。あいつらには資金も、飽くなき探求心もある。そして己の理想を現実にしてしまう力があるんだ」


 だけど、とヨシュアは吐き捨てる。その先は聞かなくてもわかる。レイスが竜を退けてしまったのだ。


 セシルはそのときの光景をあの場で見ていた。


 レイスが竜の右目に怪我を負わせたあと、空中に放り出された。重力に引っ張られていく彼の腕を掴んだのがセシルだった。


(あまりにも腕が細くて驚いたよ)


 もとはただ正義感が強いだけの少年だったが、彼はドラゴンライトの短剣の力によって潜在能力が開花し、若き英雄とまで謳われた。


「オレさ、あいつのわがままのために、生家について行ったことがあるんだ」


 いつの間にか、ヨシュアとセシルの目線の高さが同じになっていた。


「あのときのレイスの顔は最高に面白かったな。両親たちが冷めきっているのに、一人だけ熱くなっちゃって。自分は最強だと勘違いしてさ。なにが『俺がそばにいなくても、みんなを守るすべを手に入れたんだ』だよ。大人の理想を押しつけられただけのガキのくせに」


 その言葉に、セシルは歯を食いしばり、黒いコートの内ポケットから杖を取り出す。


「要はたくさんの人に認められたレイスが羨ましかっただけだろう?」


 ヨシュアは「ああ、そうさ」と自身も杖を取り出す。そして目を見開きながら呪文を唱える。


『切り裂け!』


 竜の鉤爪のような風の刃がセシルに迫りくるが、瞬きもせずに『盾よスクート』と呪文を唱えて受け止める。


 ヨシュアは舌打ちをすると、階段を上って、真上から叩きつけるように魔法を繰り出す。


「なあ、セシル! 竜の卵がいくつかあると言われているのは知っているよな⁉」


「ああ」


「魔物の卵の孵化の条件はほとんどわかっていない! 前例がほとんどないからな! だから実験のためにこのロシュフォード王立魔法学校を選んだ!」


 魔法がどんどんと激しくなっていく。セシルは徐々に力を押され、階段を降りていく。


「それにこの学校には竜を退けた者の象徴のレイス・リーデロウェルがいる! オレはあいつの苦い過去を知っていた! だからおとしめるために、催眠魔法を仕込んだ手紙を送った!」


 そしてヨシュアはうっとりと微笑む。


「メッセージは消えるインクでこう書いたよ。『お前は誰も守れない』って」


 セシルの中で怒りが沸騰する。


「貴様、それでも教師か‼」


 杖を振るいながらネジの形をした水の塊をつくり、ヨシュアに放つ。彼は『盾の魔法』を展開させるが、すべてを防ぐことができず、白衣の裾に穴が空いた。


「さすがだな。お前も、レイスも。呪われていたことを隠し通すなんてすげーよ。呪われているかを確かめるために、上級生をそそのかして『いたずら卵』を持たせたのに、その危機を助けた女子生徒に惚れこんでイチャイチャし始めたときは目を疑ったな」


 ヨシュアはへらへらと笑ったまま、頬についた擦り傷を親指でぬぐう。


「『竜の黙示録』に判断を仰いで、様子を見ることになったが……レイスが平気な顔で魔法を使っていたのは、ルティリエール・エルトナーのおかげだったとはな!」


 彼は再び力任せに魔法を連発し、どんどんとセシルを追い込んでいく。


「上の命令でさ、ポルたち魔物を使ってレイスとルティリエールの様子を報告しろ、と言われたときは耳を疑ったけど、あいつらはなんなんだ⁉ どうして触れ合うと呪いが緩和されるんだ⁉」


「――くっ」


 ついにセシルは教壇のふもとにたどり着いた。一方で、ヨシュアは教室の一番後ろの机の上に立った。

 肩が揺れるほど息が上がっているのに、不気味に微笑んでいる。


「最後に教えてやるよ。ポルは自らオレに身を差し出し、生徒を襲った」


「は?」


 セシルはアメジストの瞳を見開き、絶句する。


「そんなわけがない……!」


「そんなわけがあるんだよ。あいつが人間の味方をするようになった経緯をオレは知らない。だが、オレと同じような疎外感を抱いていたことは間違いない。あいつだけは、オレがお前たちに対して苦しさを感じていたことを見抜いていたんだ。あいつだけがオレの友だちだった!」


 それを聞き、セシルは拳を握り締める。


「じゃあ、なんで利用したんだよ! 友だちだからって、なんでも利用するのは間違っているだろう⁉」


「――友だちだから、共犯者になって堕ちるところまで堕ちてくれるんだろう?」


 互いの想いがすれ違い、なにもかも届かない。


「まあ、ポルには協力する代わりにほかの魔物には手を出すなと言われていたけど。約束はできなかったな」


 ああ、こいつは越えてはならない一線を越えてしまったのか。


 セシルの脳裏には、学生時代のヨシュアの姿が浮かぶ。


 あどけなさが残った顔で、屈託のない笑みでこちらを見ていたが、その表情は徐々に黒い炎によって焼き尽くされていく。


 もう、引き返せない。あの頃に戻ることもできない。

 ならば、進むしかない。


 セシルは杖をヨシュアに向けて構える。


「ヨシュア・ギーンス! 王の勅命により、貴様を拘束する」

 そういってから机を駆け上っていく。


「セシル・レヴァン! 『竜の黙示録』の使徒として、貴様に打ち勝つ」

 ヨシュアも机を飛び跳ねるように下っていく。


 そして光が衝突する。





 気づけば、二人ともステージ上の教壇にいた。


「君は俺には勝てない」

「……そういういけ好かない態度が嫌いだったよ」


 セシルは堂々とした立ち姿で床を見下ろす。


 そこには拘束魔法によって教壇に縫い付けられているヨシュアの姿があった。だが、彼の表情は未だ余裕の笑みが浮かんでいた。


「オレを拘束したところで、『竜の黙示録』の計画は止まらない」

「……どういうことだ」

「先ほどオレの手下がルティリエールを人質に、森の観測塔の跡地に立てこもったという報告を受けた」


「!」

 セシルは顔をしかめる。


「そんなことをすればレイスが黙っていない」

「あいつの心の傷は根深い。どうせ魔法は使えない」

「その傷をルティリエールが癒したとしたら?」


 ハハッという乾いた笑い声が響く。


「そいつは手ごわいな。だが『竜の黙示録』が生み出した竜の卵の前では誰もが無力だ」


 その言葉に、セシルは眉をピクリと動かす。


「生み出しただと?」

「そうさ。この学校にある竜の卵は人の手を加えた偽物だ」


 ヨシュアはゲホッとせき込みながら告げる。


「本物の卵を孵化させるためにはいろんなことを試して、情報を集めないといけないからな。だから竜の巣を覆っていた鉱石の壁を砕いて卵の形にして、宮廷がどんな動きをするのかを確認するために、偽物を各地にばらまくことにした」


 セシルは顔をしかめ「なんておろかなことを……」と吐き出す。


「魔物の巣を覆っている鉱石には瘴気に似た毒素が含まれている。それを加工したってことは、犠牲はまぬがれない。何人死んだ⁉ これは大罪だぞ!」


「それは必要な犠牲だし、その辺の鉱石をいじっただけで大罪にはならねーだろう。ただ、人の血を感知すると黒い炎を上げて、その場いる人々を襲うよう呪詛を込めたから、その罪は問われるかもしれないな」


 ヨシュアはにんまりと口角を上げ「ほら、早く助けに行かないと、大切な教え子たちが死んじまうぞ?」と告げる。


 セシルはそれを鼻で笑って一蹴した。


「なぜ笑う」


 ここではじめてヨシュアが真顔になる。セシルは彼の白衣の襟を掴んで、体ごと持ち上げる。


「誰も死なないよ」

「……なんだと」


「あの場には竜を止められる者たち、、、、、、、、、、がいるからだ」

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