第六章 『ダリアトルムの鍵』

 ルティたちの目の前で、竜の卵が黒い炎を噴出して燃え上がった。


(待って、様子がおかしい)


 孵化がはじまったのかと思ったが、こんなにもまがまがしく、なにもかも焼き尽くしてしまいそうな黒い炎は見たことがない。


 触れてもいないのに肌がひりひりと痛んだ。辺りに刺激臭が充満して、ルティは思わずせき込む。


 炎の勢いは増していき、人を感知しているのか、ルティたちや床に転がっている暗殺者をめがけてゆっくりと迫りくる。


「レイス!」

「わかっている!」


 レイスは魔法を使って暗殺者たちを宙に浮かすと、円塔の上部にある吹き抜けから外へ移動させていく。


 一階の出入口の扉はすでに黒い炎に邪魔され、近づけない。逃げ道は上にしかなかった。


「アキルス、行きますよ!」


 ルティはアキルスの右腕を掴むが、彼はその場に立ち尽くして動かない。しまいにはへたり込んでしまった。


「アキルス! なにをやっているんだ!」


 暗殺者を避難させたレイスが駆け寄ってきて、彼を立たせようと左腕を引っ張る。


「おれさ、アストラが偽物の卵だって知っていたんだ」

「!」


 ルティとレイスは表情を凍り付かせる。

 偽物ということは、本物は別にあるというのか。


(……そんな)


 ルティはいま一度、黒い炎の中心にいる竜の卵を見つめる。表面の結晶が剥がれ、赤いひび割れがどんどん広がっていく。


(あの子が偽物なら、わたしが夢の中で見た竜の卵はどこにいるの?)


 竜の卵はなにかを伝えようとしていた。

 最後の言葉はまどろみから目覚めてしまったため、薄っすらとしか覚えていないが、切実な願いを聞いていた。


 ルティが言葉を紡げずにいると、アキルスが自嘲する。


「おれは自分自身に自信はないけど、人の感情の機微くらいはわかる。『竜の黙示録』の人たちはおれを騙そうとしている目をしていたから」


 レイスはおそるおそる問う。


「知っていた上で、竜の卵を大切に扱っていたのか」

「うん、ほかにやりたいことがなかったからね」


 アキルスは苦笑してから、黒い炎をまとう竜の卵を見つめる。


「いま思うと、レイスみたいに使命が欲しかったんだと思う。だから『竜の黙示録』からアストラを受け取って、偽物だと知りながらも、おれはおれのできることをしようとしたんだ。それがおれの選んだ道だから、最期はどうなってもかまわないと思っていたんだけど」


 駄目だな、と彼は両手で顔を覆う。その体は震えていた。


「いざ最期に直面するとさ、まだなにかできるんじゃないかって、あがきたくなっちゃうのはなんでかな」

「……その答えなら、たぶん知っているぞ」


 レイスはアキルスの左肩に触れ、その場にしゃがんだ。アキルスは教えてくれと懇願するように顔を上げる。


「俺たちがアキルスのそばにいるからだと思う」

「え?」

「だよな、ルティ」


「はい。アキルスがわたしたちのことを大切に思ってくれているから、わたしたちのためにあがこうとしてくれている。違いますか?」


 アキルスは目を見開き、一瞬だけ湖畔のように青い瞳を輝かすと、うつむいた。


「……なんで、わかっちゃうのかなあ」

 弱々しい声と共に、アキルスの制服のズボンの上に涙が落ちる。


「なあ、せめてこの黒い炎を止めることはできないかな」


 ややあって、彼はぐちゃぐちゃになった顔のまま、ルティとレイスに向き合う。


「苦しそうで、これ以上見ていられない。頼む、力を貸してほしい」


 この通りだ、と彼は頭を下げる。


「もちろんです!」

「ああ、任された!」


 ルティとレイスは顔を見合わせると、力強く頷く。


「早速ですが、レイス、なにかいい案はありますか?」

降竜剣リュカルフトのドラゴンライトの力で火力を弱めることができるかもしれない」


 アキルスは勢いよく身を乗り出す。


「本当か?」

「ああ。だがあれが本物の竜の卵でないなら、ドラゴンライトの力ですべてを無力化し、最悪の場合、形が保てなくなる」


「だったら、わたしが治癒魔法をかけ続けます。まだ初級の魔法しか使えないけど、ないよりマシでしょう」

「そうだな。頼む」

「……じゃあ、おれが『盾の魔法』で黒い炎が広がらないように押さえるよ」


 アキルスはルティとレイスの手に触れ、そっと握る。


「ありがとう、二人とも――やろう」


 ルティたちは即興の作戦通りに動き、まずはアキルスが『盾の魔法』で竜の卵の周囲を囲む。レイスが降竜剣リュカルフトで黒い炎を斬って竜の卵に近づき、刃をかざす。


 だがドラゴンライトの光を浴びた途端、


 ギュイイン――――


 生き物の声とはいえない、耳をつんざくような悲鳴が上がる。そして黒い炎が一段と激しくなった。


「アストラ! ごめん、苦しいよな! でもおれは、おれたちは、お前を助けたいだけなんだ!」


 もう生き物とは言えないかもしれない石に向け、アキルスは必死に声をかけ続ける。


 ルティは歯を噛みしめ、レイスの隣に立つと、石に治癒魔法を浴びせる。しかし、石の表面の劣化が止まらない。


(考えろ、考えろ、なにかほかにもっといい方法があるはず)


 魔物と人は古から対立してきた。

 ルティたちがいま行っていることは、多くの人から批難されることかもしれない。


 本来なら、竜の卵など捨て置いて逃げるか、破壊するべきなのだ。

 だけど、例えこの石が何者だろうと、見捨てることはできない。


(いまの自分に方法が思いつかないなら、わたしの尊敬する人たちなら、なにを思うのかを考えろ)


 ルティの頭の中に、両親や兄弟の姿だけではなく、純白のローブをたなびかせた宮廷白魔導士の女性の姿が浮かんでいく。


(あとは過去の経験にヒントがあるはず‼)


 最上級の『盾の魔法』はルティにはまだ使えない。憧れの宮廷白魔導士様のような立派な杖も持っていない。


 ほかになにかないだろうか。この危機的な状況を打開できるものが。


(あっ、――鍵)


 いつか露店で見た、人差し指と同じくらいの大きさで、鍵の持ち手部分にダリアの花の模様がある銀色の鍵が、はっきりと映し出された。


 ふと、シェリルの声が頭の中でこだまする。


『――竜は探しているのよ、世界中の魔力を自由自在に『解放』し、そして悪しき力を『封印』することができる鍵を持つ女性のことを』


 ルティは治癒魔法を使うのをやめ、自分の両手を見つめる。


(……)


 どうしてレイスと触れあうことで、彼の呪いを緩和することができたのだろう。


 ジェラルドからは魔力の相性のおかげと言われていたが、本当はもっと別の理由があるのではないか。


(もしも、わたしがレイスの魔力を『解放』していたとしたら)


 ダリアトルムの鍵は、ルティ自身の中にあるのではないか。


(一か八かだ)

 ルティは両手を合わせ、固く目を閉じる。


 ゆっくりと呼吸をし、自分の心音と、体の中の魔力の巡りを感じる。


(三年前にレイスは奇跡を起こした。今度はわたしが奇跡を起こす)


 暗闇の視界の中で、なにかがちらついた。同時に、ハープのような音色が頭の中に響く。

 ルティは薄い唇を動かし、呪文を復唱する。


 ――怨恨えんこん彼方かなたと、慈愛じあい此方こなたに、我はなにを見る。

 ――艱苦かんくの朝焼けと、歓喜かんきの夜空に、我はなにを問う。

 ――愁傷しゅうしょうの大地と、綽々しゃくしゃくの海に、我はなにを願う。


『――世界の扉へ導く鍵よ、いまここに顕現せよ!』


 亜麻色の髪が舞い上がり、両手から眩いほどの光が生み出される。


 ルティはゆっくりと手のひらを開く。

 そこにはなにもなかった。いや、ずっしりとした重みはある。

 透明の鍵があったのだ。


 ルティは鍵の持ち手を掴むと、レイスに向かって叫ぶ。


「竜の卵の暴走を止める! そのために、道を切り開いて!」


 レイスは息を呑んだあと、降竜剣リュカルフトを身構えた。


『光の大精霊ルクスよ! その綺羅星たる光よ、我が剣にまとい、彼女を導け!』


 呪文を唱えると、天井から一筋の光が差し込み、降竜剣リュカルフトの刃を包む。

 レイスは剣を振りかぶると、黒い炎を吹き飛ばす勢いで真横を一線する。


 わずかに黒い炎の勢いが弱まり、石がむき出しになった。


 ルティは鍵を持ったまま駆け出し、鍵の先を石のすぐ目の前に突き出した。

 その瞬間、巨大な魔法陣が展開され、中央に鍵穴があらわれた。


 ゆっくりと時計回りに鍵を回すと、黒い炎が鍵穴に吸い込まれていく。だが、石がその勢いに耐えきれず、ガタガタと揺れた。


 ルティはピンクトルマリンの瞳を据える。


『憎しみの黒き炎をここに封印する!』


 ガチャンッと鍵穴が音を立て、黒い炎をすべて収束させた。


 魔法陣がふわっと消え、同時にその風圧によってついに石が宙に浮いた。

 ルティは力尽きてその場に膝をつくが、精一杯叫ぶ。


「アキルス‼」





 アキルスは両手を伸ばして駆け出す。


 石の表面はどんどん剥がれ、朽ちていく。

 これ以上、壊れないように受け止めるためにはどうすればいいのだろう。


 刹那の中で、考えて、考えて、足を床に擦るようにして、上半身で包み込むように抱きとめる。


「はあ、はあ」


 荒い呼吸をしながら、おそるおそる腕の中を見る。

 二回りも小さくなってしまったが、卵の形をした石があった。


「アストラ……」

 優しく声をかけ、抱きしめるように頬にすり寄せると、表面は陶器のようになめらかになっていた。


「ごめん、ごめんな。苦しかったよな」


『だいじょうぶだよ。しんじていたから』


 アキルスはハッと目を見開き、周囲を見回す。そこにはルティとレイスしかいなかったが、二人とも驚いた表情をしていた。


 まさか、とアキルスは石を見つめる。


「アストラの声、なのか?」


 石はなにも答えない。先ほどまで炎をまとっていたからか、じんわりと熱を帯びていたのに、段々と眠りにつくように冷えていく。


(なにが大丈夫だよ。なんでこんなおれを信じていたんだよ。答えてくれよ)


 戸惑いの表情を浮かべると、ルティが近づいてきた。


「やっぱりこの子だったんですね」

「え?」

「以前、夢の中で竜の卵と会話をしたことがあって。そのときに言われた言葉をようやく思い出したんです」


 そういって、ルティは優しい眼差しで竜の卵を見つめる。

 アキルスは唇を震わせながら口を開く。


「なんて言っていたの……?」


「だって君に、アキルスを守ってほしいから。確かにそう言っていました」


 それを聞いた途端、喉奥がツンと痛んだ。顔をしかめたと同時に、目頭が熱くなる。


「じゃあ、アストラは」

「間違いなく、竜の卵です」


 どんな因果だよ、と小さく吐き出す。

 まさか、偽物が本物に成って、、、、、、しまったというのか。


(こんなことがあっていいわけがない)


 竜の卵は世界に災いを呼ぶ可能性が高い。少しだけ冷静になったいま、竜の力に恐怖さえ覚えた。


(このまま、おれの手でアストラを朽ち果てさせたほうがいいのか)




『――鉱石には未知の可能性がある。アキルライトもそうだ』


 ふと、脳裏に父親の言葉が思い浮かぶ。

 それは子どもの頃に、たまたま父親と会話がかみ合ったときに言われていた。


『アキルライトは一見すると、泥水のような赤茶色の石だが、オイルインクォーツとも呼ばれている。この気泡の中に石油が入っていてね。特殊な光を当てると――』


 父親は背中を丸めながら杖を取り出し、アキルライトの塊に向けて青紫色の光を照らす。


 すると石全体が青紫色に染まったが、気泡の部分だけが月のように青白く発光した。


『ほら、まるでお前みたいだね』




 あのときは「はあ⁉ そりゃ光を当てればなんだって光るだろうが! あとおれみたいってなんだよ‼」とキレたが、いまだからこそわかることがある。


(たぶんおれは、おれ一人だけでは輝けない。だけど)


 ルティたちだけじゃない。いつも一緒につるんでくれている仲間たちがいるから、自分は輝くことができる。


(だからこそ、アストラがいればもっと強い光になる)


 その気持ちを込めて、いま一度抱きしめる。


「アストラ。いまはゆっくり休んでくれ。おれがきっとお前とみんなを繋ぐ架け橋になるから。信じて待っていてくれ」


 それは不可能に近い挑戦だ。今回のことで退学になるかもしれないし、二度と日の目を見ることができなくなってしまうかもしれないけど。


(やっぱりおれは、おれのなけなしの可能性に賭けたい)


 すると『ピイ』と返事をするような音が聞こえ、アキルスは思わず笑ってしまった。



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