第五章 『閉じ込めてみました』

 レイスは校舎の螺旋階段を一人で降りる。

 その際、すれ違う生徒に挨拶され笑みを浮かべていくが、内心はすさんでいた。


(ハーウェイの弟が魔症になっていたとはな)


 窓から差し込む日の光が顔に当たり、感情をあらわにさせるよう顔をしかめた。


 竜と対峙したとき、もっと時間を溜めてから攻撃をしていれば、ハーウェイの弟は魔症にならなくて済んだのか。

 でもそうしていたら、多くの人が亡くなっていたかもしれない。


 あのとき、どうすればよかったのだろう。


(いや、そもそも俺はなぜ竜に立ち向かうことができたのか)


 毎年、時計塔のある広場を訪れて献花を捧げているが、そのたびに竜の大きさと圧倒的な力を再確認させられる。


(弱気になるな。問題はまだ解決してない)

 レイスは堂々とした立ち振る舞いのまま廊下を進み続ける。普段ならこの時間はジェラルドと行動を共にしているが、ここ最近は別行動をしていた。


(……そろそろ新しい報告が欲しいな)


 竜の卵の孵化に向けて、宮廷からの使者が業者に扮して魔法学校内に入校しようとしているが、目ざとい権力者や敵対する組織の息がかかっている者が目を光らせているようで「学校の中でなにが起きているの?」「大切な我が子を危険にさらすつもりか?」と疑い、なかなか実行できないらしい。


(大人って面倒だな)

 心の中でうんざりとしていると、古びた廊下に差し掛かった。


 久々にルティとジェラルドと三人で集まり、報告会をすることになっていた。

 気まずさを胸に抱きつつ、オイルランプと埃が混じったような匂いを感じながら角を曲がると、その先の廊下で亜麻色の髪を持つ女子生徒が立っていた。


(ルティ、もう来ていたのか)


 彼女は塗装が剥げた窓枠から外の景色を見ている。その横顔はあどけなさが残っていて、ピンクトルマリンの瞳を彩るまつ毛の長さがよくわかる。


 レイスは足を止め、つい彼女に見入ってしまう。


(君を見ていると、懐かしさが込み上げてくるのはなぜだろう)


 目の端になにかの残像をとらえた。

 片手で額を押さえたとき、彼女がレイスの姿に気づいた。


「あ、待っていましたよ。レイス」

 彼女は気遣ってくれているのか、いつもと変わらない陽だまりのような笑みを浮かべる。


「悪い、待たせたな。ジェドは来ているか?」

「はい。いま扉を開けますね」

 彼女は桃色の薄い唇を動かして呪文を唱えると、壁に黄金の扉が現れる。


 レイスが扉を開けると、ソファに座っていたジェドがにこやかに片手を上げた。


(ルティもジェドも優しいな)


 自分だけが大人になれずにいることを突き付けられ、心が沈む。

 人から見ればレイスも十分大人びていると言われるかもしれない。だが、精一杯そう振舞っているだけで、自分ではまだまだ納得できずにいた。


(このあいだのことを謝りたい。いや、それよりもっと前のルティに対する不当な態度についても謝るべきだよな)


 いまさらどの口が言っているのだと、自分でも呆れてしまう。


 なかなか言葉をつむげずにいると、扉がわざとらしく音を立てて閉まった。

 振り返るとルティの姿がなかった。


「ん⁉」


 レイスは唇を引き結び、眉を寄せる。レイスとジェラルドだけが部屋に取り残されたのだ。ジェラルドもこの展開を予想していなかったようで、慌ててソファから立ち上がった。


「ルティリエール、これはどういうことだ」


 ジェラルドはドアノブを掴んで開けようとしたが、扉の向こう側でルティが魔法を使ったようで、施錠されてしまう。


「やるではないか」

 彼は挑発的な笑みを深め、今度は解錠の呪文を使った。しかし結果は同じだった。


 それを見て、レイスはため息をつく。


「らちがあかないな。悪いがジェド、もう一度呪文を唱えてくれ。ルティが魔法を使うよりも早く俺が扉を押す」

「……」

「おい、ジェド?」


 ジェラルドに呼びかけるが、彼は思いつめた表情をしたまま動かない。レイスはしびれを切らして、扉を叩く。


「ルティ! 聞こえているんだろう? なぜこんなことをする!」

「そりゃあ、あなたたちが一人一人でなんとかしようとして、いつも会話が足りていないからですよ‼」


 返って来た言葉に、レイスは苦々しい表情を浮かべる。

「っ、それは」


「お互いのことが大切なのに、変に気遣ってぶつかろうとしない。大切な人と喧嘩をしたり、なにかを失うことがそんなに怖いんですか⁉ 間違った行いをしたと思うなら反省して、その経験を次にいかせばいいじゃないですか‼」


 レイスは歯を噛みしめる。それができたら最初からこんな苦労はしていない。


「でも俺は!」

「――時には素直に心に従って、自分のやりたいことをやってもいいんだよ‼ 現にわたしだってそうしているし‼」


 最後のほうはやけくそ感がある叫びとなっていたが、レイスは何度か口を開閉させてから、扉に頭を付けた。それから深い息を吐き、扉越しの彼女の表情を想像する。


 きっといまにも泣きそうな顔で、背中を押そうとしてくれているのだろう。


「……はは」


 なぜか笑いが込み上げてきた。肩の力が抜け、そのまま振り返ってみると、ジェラルドもまた困ったように笑っていた。


「レイス、しばらくこのままでいるか?」

「そうだな」


 レイスとジェラルドは頷き合って、テーブル越しにソファに座ろうとする。そのとき、飾り棚のほうに派手な塗装がされた缶が置かれていることに気づいた。

 怪しみながら缶を手に取ってみると、メモ書きがあった。


『毒見が不必要そうなお菓子』


 この丸みのある文字はルティの筆跡だろう。いつかみんなで食べようと思って用意していたのか。


(ふっ、確かにこのお菓子を食べているジェラルドは見てみたい)

 思わず笑みをたたえていると、ジェラルドがレイスの肩口からのぞき込んできた。


「なんだそれは」

「これは『カメレオンわたあめ』だ」


 レイスは缶の側面についていた専用の缶切で蓋を開けると、赤、青、緑といった一口サイズの綿菓子がふわふわと宙に舞った。


「ふむ。届かないな。飛び跳ねて食べるものなのか?」

「いや、これを使う」


 レイスは缶の中から吹き戻しと呼ばれる、カメレオンの舌のように先端が丸まっている白い笛を取り出す。


「片方を口にくわえて息を吹き込むと……」

 丸まっていた笛の先端がピロッと音を立ててまっすぐに伸び、緑色の綿菓子をキャッチして戻ってくる。


「面白い音が鳴る上に、笛の色が緑色に変わったぞ」

「取った綿菓子の色に染まるんだ。ほら、もう一本笛があるぞ」


 ジェラルドは目を輝かせて受け取ると、意気揚々に笛を口に含んだ。

 ピロッ! と軽快な音を立てて、青色の綿菓子を取る。


「うむ! ブドウの味がする!」

「緑がメロンで、赤がイチゴかな」

「あっはっは! これ楽しいな!」


 ジェラルドは大はしゃぎで笛を吹いていく。


 ピロッ、ピロッ、ピロッ、ピロッ、ピロッ、ピロッ、ピロッ、ピロッ。


 いつの間にかジェラルドはソファに横になりながら笛を吹き、終いにはげんなりした顔で告げる。


「……飽きたぞ」

「ははっ! たいていの人は最後にそう言うんだよ」


 思い通りの反応が得られ、レイスは満足げな表情を浮かべる。そのあとに缶を片付けていると、ジェラルドは寝転んだまま感嘆を漏らす。


「ずいぶんと手馴れているな」

「……エイン家にいたときに弟と妹とよくやっていたんだよ」

「仲がよかったんだな」

「まあな。二人とも生意気なところもあったんだけど、兄ちゃん、兄ちゃんって言って近寄ってくるところが可愛かったよ」


 もう三年も会っていない。元気にしているだろうかと思いを馳せていると、ジェラルドは上半身を起こす。


「会おうと思えば会えるだろう?」

 金色の瞳がまっすぐとレイスを射抜く。ややあって、レイスは視線を逸らした。


「俺はアルベルト・エインと同じ道をたどってしまった。いまさら生家に戻ることなんてできない」

「……それはお前のせいではないだろう?」


 レイスはジェラルドに過去の話をしたことはないが、彼は独自の情報網を持っているのか、だいたいの事情は知っているようだ。


(……いや、俺の無知ゆえのせいなんだよ)


 いつもだったら何度も自分を責めるが、いまはルティの言葉が胸にある。失敗したと思うなら、その経験を次にいかせばいい。


 レイスが向き合うべきは過去ではなく、現在だ。


「ジェド、その、いろいろとすまなかった」


 そういって頭を深々と下げると、ジェラルドから「頭を上げてくれ」と言われる。


「私のほうこそ悪かった。だがルティリエールは必ず先の展開の鍵となる。だから竜の卵を話した。それはわかってほしい」


 彼は意味ありげな表情を浮かべた。レイスは眉をひそめ、目を据える。


(ジェドだけの判断ではなくて、宮廷の総意なのか?)


 ルティリエールにはなにかの力が備わっているのは間違いない。なんの力なのかはレイスには計り知れないが。


(そもそも魔力の相性による呪いの緩和効果など、どの文献にも記載はなかった)


 ジェラルドは初めて出会ったときから、マイペースで掴みどころのない王子だった。しかし、レイスたちのために裏で行動していることは知っている。


「わかっているよ。ただこれだけは教えてほしい。どうして俺が呪いにかかったことを宮廷に伏せて報告したんだ?」


 するとジェラルドは目を見開き、顎に手を添える。


「ふむ。それはだな」


 レイスはごくりと息を呑む。なにを言われても受け止めるつもりだった。


「お前と私がよく似ていたからだ。どうも他人事ではなくてな」


 あまりにも穏やかに微笑むため、レイスは目を見張った。


「お前、ずいぶんと雰囲気が変わったな。誰に対しても容赦のない物騒な王子だと思ったのに」

「あっはっは! そういうお前こそ、出会ったときは人を寄せ付けないほどの研ぎ澄まされた威圧を放っていたではないか」


 実はレイスとジェラルドが出会ったのは入学式の三週間ほど前だった。もともと知り合いではなく、竜の卵の調査のために引き合わされた。


 ジェドという愛称で呼んでいたのは、ある程度の親密感があったほうが周囲に怪しまれないと思ったから。


 それが学校生活を送るにつれ、互いにかけがえのない存在になっていた。


(それに気づけたのはルティのおかげだな)

 きっとジェラルドも同じことを思っている。だからこそある決意をする。


(俺は変わる。ルティとジェドが俺のことを信じてくれているかぎり)


 その一歩として、レイスはジェラルドに向けて心からの笑みを浮かべる。


「ジェド、これからも手を貸してくれ」

「あたりまえだ、相棒」

 そういって、どちらからともなく互いに拳を突き合わせた。


「あ、なんかこれカッコいいな」

「うむ。では毎回やるか」





 ルティは廊下に座り込み、膝上で頬杖をつく。


(仲直り、できたかな)


 ハーウェイとアーヴィンの関係性がレイスとジェラルドの姿に重なって、つい二人を隠し部屋に閉じ込めてしまった。


(余計なお世話だとはわかっているけど……はあ)


 もやもやしていると、背後に黄金の扉が現れる。

 ハッとして振り返ったときには、隠し部屋の中に体ごと引っ張られていた。


「さて、ルティ」

「申し開きがあるなら聞くぞ?」


 しかも気づいたら、右腕をレイス、左腕をジェラルドにからめとられていた。


「えええ⁉」

 身長差もあって二人に体を包み込まれてしまい、身動きができない。


 ルティは顔を真っ赤にして叫ぶ。


「ち、近いです!」

「こうでもしないと君は逃げるだろう?」


 レイスにじっと見つめられ、ルティは耳まで赤く染める。さらに追い打ちをかけるように、ジェラルドが甘ったるい声でささやく。


「さて、どうしてくれようか」

「……レイス、ジェド、二人とも勘弁してください」


 ふにゃっと体の力を抜き、指先を天井に向けて降参のポーズをする。一拍置いて、二人は悪戯が成功したように笑い声を出した。

 ルティは涙目でにらみつける。


「もう‼ 謀りましたね⁉」

「先にやったのはルティのほうだ」

「それはそうですけど!」


 はあ、と深々と息を吐いたあと「……あの、話はまとまりましたか?」と問う。


「ああ。君のおかげでな」


 レイスが頷くと、ジェラルドが真面目な声色で告げる。


「宮廷から追加の報告があった。いま伝えてもいいか?」

 ルティは二人の拘束を抜け出したあと「もちろんです」と姿勢を正す。


「このあいだ街歩きをした日、敵の動きがあった」

「本当ですか?」

「やけに『いたずら卵』を見かけると思って調べてみたら、一部に火力の強い魔法道具が仕込まれていた。誤発注として処理されていたが、犯人がかすかに残した形跡を追っている。じきに特定されるだろう」


「! そうですか」

 ひとまず胸を撫でおろすと、ジェラルドはさらに言葉を続ける。


「あとはルティリエール。そなたの助力があることを私の協力者に告げた。それについて答えを貰っている」

「えっ」

「まずは目の前の学業に向き合え、とな」

「……あ」


 そうだ。もうすぐ中間試験が迫っていた。その一環で、三日後には防衛術の実技試験である『宝探し』が行われる。


 ルティはレイスとジェラルドと顔を見合わせ、肩をすくめる。


「それは二人にも言えることでは?」

「そうだな」

「では見せてやろう、私たちの本気を」

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