第五章 『いつだって飛行日和』

 あの日、ハーウェイたちブルスタの選手たちは、空に異変が起きたことにすぐに気づいた。肌にまとわりつく風が重く、空気が冷え切っていたからだ。


 そして王都を覆うような大量の瘴気が空を覆い、竜が顕現した。


 大会は中止となり、人々が逃げまどう中、箒にまたがって空を飛んでいたハーウェイとアーヴィンは頷き合う。


「アーヴィン、みんなを避難させよう!」

「そうだね、兄さん」


 息の合った動きで観客席の真上を飛び、どこかから飛んできた瓦礫やガラス片から観客を守り、避難させていく。


 だが、竜がいた方向で光が輝いた直後、大量の瘴気が競技場の方向へなだれ込んできた。


 あのとき、ハーウェイは必死過ぎてそれに気づいていなかった。あともう少しで瓦礫の下敷きになりそうな子どもだけを見て、一直線に降下していて。


「――兄さん、危ない‼」


 アーヴィンがハーウェイをかばって瘴気を浴びてしまった。


 彼はすぐに救助班によって安全な場所に連れ出されたが、魔力を失い、二度と空を飛ぶことができなくなった。


 そして故郷に戻ると、アーヴィンは部屋に閉じこもるようになり、魔症のせいで体調を崩しやすくなった。

 両親は彼のためにいろんな薬を取り寄せ、なんとしてでも空へ戻そうとしたが、ハーウェイはアーヴィンの部屋の扉の前で立ち尽くすことしかできなかった。


(僕がしっかり周りを見て行動していれば、アーヴィンが魔症になることはなかった)


 アーヴィンがいなければ空を飛ぶ意味はない。だからブルスタを辞めた。

 当然、コーチやチームメイトに引き留められたけど、決心は揺らがなかった。


 それなのに数週間後。


「兄さん! おれもう一度空を飛ぶよ」


 アーヴィンはそういって目を輝かしながら部屋から出てきたのだ。


「……えっ」

 ハーウェイは思わず絶句してしまった。我に返ると、言葉をどもらせる。


「ままま魔力が戻ったの?」

「ううん。まったく戻っていないよ」

「じゃあなんで」

「魔力を失ったのなら、魔力を必要としない飛び方を見つければいいだけなんだよ」


 そう言われ、あることを思い出した。

 自分の弟はとんでもなく前向きなやつだということを。


「……それはわかるんだけど。え、なんかテンション高いね、大丈夫?」

「そうかな? じゃあ今日の薬と相性がよかったのかも!」


 屈託のない笑みを見せるアーヴィンに、ハーウェイは戸惑うことしかできなかったが。

(たぶん、アーヴィンなら有言実行でやりきるだろうな)

 そう思ったから、ハーウェイは「協力するよ」と彼の頭を撫でた。


 これには両親も賛成してくれ、みんなで空を飛ぶ装置をつくるための情報を集めた。そこでハーウェイは大陸最大の知識が集まるロシュフォード王立魔法学校に目を付け、猛勉強の末に入学した。


 図書館で羽のある動物や竜のことを調べていたのは、空を飛ぶための装置の参考にするためだった。

 そう、すべてはアーヴィンのために日々頑張っているのだ。





 それをルティに話すと、彼女は言葉を選んでいるのか何度か口を開閉したあと、意を決したように目を据える。


「ハーウェイ自身は、もう一度空を飛びたいとは思わないんですか?」


「……」

 ハーウェイは思わず顔をしかめる。彼女はなぜそれを聞いてきたのだろう。

 ちょっと嫌な質問だな、と心の中で思う。


「僕はあのとき油断した自分自身を許さない。だから飛ばないよ」


 ゆえに飛行術も専攻しなかったし、防衛術の授業でも箒に乗ることを選ばなかった。


「でもハーウェイ。それは許す、許さないの問題にとどまりません」


 その言葉に、頭に血が上る感覚がした。


「……どうして?」

 少し怒ったような口調で問うと、ルティは無風の青空のように静かな声で告げる。


「弟さんの気持ちを無視していませんか? 話を聞くかぎり、弟さんは一度もあなたを責めてはいない」

「――!」


 ハーウェイは目を見開いてから、背中を丸める。それから大きく息を吐き出して、両手で顔を覆う。


「あいつは優しいから、僕を責めない。だから自分で戒めるしかないんだよ」

「……ハーウェイは罰が欲しいんですか?」


「そうだよ!」

 指の隙間から赤い瞳を鋭くさせ、ルティをにらみつける。


(やめてくれ。これ以上、僕をかき乱さないでくれ)


 だけど彼女は見つけてしまうのだろう。ハーウェイが目をそらしてきた本心を。


「罰は、いずれ清算するときが訪れます。少なくとも、わたしはそう思っています」


 ああほら、その言葉が胸にまっすぐと突き刺さる。

 鈍い痛みが全身に走り、思わずうめき声を上げてしまう。


(僕だって本当はわかっているんだ。僕がひねくれた考え方をしているって)

 次なる鋭い言葉が来るのを待ち構えていたが、ルティはこれ以上なにも言わなかった。


(……あれ?)

 彼女はただ上を仰いで、目を見開いてから微笑んだ。


 そこになにがあるのだろう。


 ハーウェイは顔をしかめながら、天井を見上げる。

 そこには澄んだ青空が広がっていた。


(ああ、空ってどうしてあんなに綺麗なんだろう)


 ハーウェイは空を飛ぶことが大好きだった。


 よく晴れた空も、夕暮れに染まる空も、背中を叩きつける大雨の空も、息をするのが苦しくなるほどの向かい風が吹く空だって、自分に技術さえあれば好きなように飛べるから。


(……やっぱりアーヴィンを置いて、この空は飛べないよ)

 固く目を閉じると、視界は真っ暗闇に包まれる。


『――たまには先に行ってさ、おれを待っていてもいいんだよ』


 それはロシュフォード王立魔法学校へ出発する日に、アーヴィンから言われた言葉だった。

 ハーウェイは息を呑み、片手で額を押さえる。


(どうしていま思い出したのだろう)


 目を見開いたまま、ハーウェイはルティを見つめる。おそらく彼女と弟の雰囲気が似ているからだ。


 ハーウェイは深呼吸をしてから、黒縁眼鏡を外した。

 目元の力を抜き、再び空を見つめる。


(……本当にいい飛行日和だね)

 いまはそう思うことしかできなかった。

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