第一章 『英雄と凡人を隔てる壁』

 レイス・リーデロウェル。

 ダルク王国でその名を知らぬ者はいない。そう謳われるほど、彼が成し遂げた功績はすばらしいものだった。


 三年前、王都の中心地に竜が顕現した。


 竜が人前に姿を現したのは二百年ぶりであり、魔導士、魔法騎士、魔物討伐隊、その場に居合わせた箒乗りのスポーツ選手まで対応に追われた。

 だが圧倒的な強さを誇る竜にかなうわけもなく、多くの人が亡くなった。


 絶望を目の当たりにして、誰もが逃げることすら諦めかけたとき──当時十二歳に満たないレイスが声を上げた。


『俺はアルベルト・エインの孫だ。ここに祖父から受け継いだ対魔物用の剣がある。竜を討つために――どうか力を貸してほしい!』


 彼はただの子どもだったが、王国にさまざまな富をもたらした冒険者の孫だと名乗り、祖父から受け継いだ短剣を竜に向かってかざした。


 普通なら、無謀な子どもの声に賛同する大人などいない。だがあのときは、堂々と立ち振る舞うレイスの姿に心動かされてしまった。


 大人たちはほかの手立てがなかったこともあり、すべての望みをかけて彼を手助けする。

 そしてレイスは見事、竜の金色の右目に傷を負わせ、竜は逃げるように空へ飛んでいき、今日まで姿を現していない。


 それからレイスは国王から恩賞を受け、冒険者の祖父と懇意にしていた宮廷魔物討伐隊の指南役であるライナス・リーデロウェル伯爵の養子となり、次世代を担う優秀な魔法使いとして名を馳せる。


 ルティは頬杖をつきながら、教室の最前列にいるレイスをじっと見下ろす。


 彼の星の砂をちりばめたような銀の横髪は耳にかけられ、襟足は短く切り揃えられていた。瞳はエメラルドのように深い緑であり、宝石のように強い光を帯びている。


 あどけなさはなく、彫の深い顔立ちと研ぎ澄まされた雰囲気から、どことなく近寄りがたさを感じる。しかも背丈もルティより頭ひとつ分も違った。


(……なんだか知らない人みたい)


 顔つきも、体格も、三年前より大人びている上に、第三王子と行動を共にしている。


(いまだって王子さまから気さくに話かけられているし)


 口の動きを見ると『やりすぎるなよ』と言われていた。レイスは深く頷くと、教壇の上に立ち、セシルと向かい合う。


「レイス。得意な攻撃魔法を使ってくれ。俺が受け止める。教室には結界が張り巡らされているとはいえ、教室を壊さない程度にね」

「わかりました」


 白薔薇の貴公子と若き英雄が対面し、それぞれ手を身構える。二年生からは杖の使用が解禁されるが、セシルはレイスに合わせて素手で魔法を使うようだ。


「さあ、いつでもどうぞ?」

「では遠慮なく」


 レイスは不敵に口角を上げると、右手をセシルに向ける。


『火の大精霊サラマンダーの炎よ――爆ぜろ!』


 呪文と共に、レイスの手のひらから炎の渦が生まれる。それはものすごい速さでとぐろを巻き、次の瞬間、噛みつくようにセシルへ襲いかかる。


盾よスクート!』


 するとセシルの体を覆うほどの白く光る盾が出現する。盾と炎が激しくぶつかり合い、バンッと爆ぜ、熱風が教室中に広がる。


「!」

 ルティは思わず目を細めた。結界のおかげで炎の熱さや風は感じないが、視界が白くなる。


 しばらして、魔法の効果が消えたのか辺りがしんと静まり返る。誰もがゆっくりと目を見開くと、教壇の上にいたセシルには傷ひとつなかった。


 セシルはレイスと顔を見合わせると、二人そろってお辞儀をする。


 これには誰もが「やべえ」「カッコイイ」という感嘆を漏らし、拍手が鳴り響く。

 ルティも同意するように頷く。


「すごい――魔導士じゃないのに大精霊の力を借りられるなんて」

「ええ。さすが入試の首席の実力ね」

「えっ」


 シェリルの呟きに、ルティは口を開けて絶句する。


「そうだったんですか⁉」

「あら、入学式に王子をさし置いて新入生代表挨拶をしていたじゃない」

「全然聞いていなかった……!」


 ルティは机の上に伏せた。少しでも彼の雄姿を目に焼き付けておきたかった。するとシェリルが困ったように苦笑する。


「もう。どこに気を取られていたのよ」

「シェリルさんのことばかり考えていました」


 ルティが上目遣いをすると、シェリルは両手を頬に添える。


「えっなんか恥ずかしい……というか本当にごめんなさい」

「じゃあシェリルさんのこと、もっと教えてくれますか?」

「もう、その甘え方はちょっとずるいわよ」

「そこの女子生徒! 私語はつつしむように」


 マファーの声が飛んできて、ルティとシェリルは口を閉ざす。そのとき、席に戻る途中のレイスと目が合う。


(うわっ、にらまれた)


 彼はひんやりとした目線をルティたちに向けたあと、歯牙にもかけないように顔を逸らした。


「なんかイヤな奴になっていますね」

 ルティが眉間にしわを寄せて呟くと、シェリルがマファーのほうを気にしながらささやく。


「知り合いなら堂々と話しかければいいじゃない」

「うーん、知り合いというか……二、三言ほど喋っただけで、向こうはわたしのことを覚えていないし、とても話しかけられる状況じゃないと思うんですよね」

「ふうん。まあ確かに彼を囲う壁は厚いわよね。でも」


 シェリルは顔を正面に向けたまま、ふっと口元の力を抜く。


「あたしは、ルティに話しかけてもらって、その、嬉しかったから」


 ルティも顔を正面に向けたまま、口角を上げる。


「ありがとうございます、シェリルさん。わたし、授業終わりに声をかけてみます」



(とは決意したものの、くっ! 届かない)


 授業が終わったと同時に教室の階段を駆け下りたが、みんな同じことを考えていたようで、レイスと第三王子のジェラルドの周りは人だかりができる。

 ただでさえとても近づける距離ではないのに、彼らが次の教室に移動しはじめると、どんどん遠ざかっていく。


(でもここで行かなきゃいつ行くのよ!)


 ルティはレイスに対してずっと気後れをしていた。才能も、立場も、自分とはなにもかも違う。そうわかっていても、あのときの彼の背中にもう一度追いつきたいと思い続けてきた。


 入試の勉強を頑張れたのは、彼に会えるかもしれないという期待もあったからだ。


(もう壁をつたって人を飛び越えようかな。でも)


 そんなことをしたら息が上がって言葉なんか発せられないし、髪は乱れるし、怪しさ満点で嫌われてしまうかもしれない。


 次の授業まであまり時間もないため、どう行動するかと考えていると、ルティはふと天井を見上げる。


 レイスの頭上は五階まで吹き抜けとなっていて、それぞれの階から上級生が彼を見下ろしていた。ただ三階にいた男子生徒の一人が、リンゴと同じくらいの大きさの球体を持っていた。隣にはにやにやと笑う生徒もいる。


(あれは……『いたずら卵』?)


 その名の通り、中身は割ってみないとなにが入っているのかわからない仕組みとなっていて、ねばねばの液体や激しい音を鳴らす火花など、さまざまな悪戯がつめ込まれている。

 上級生たちはレイスを狙っていた。人差し指で卵を弾きヒビを入れたあと、卵を離す。


 ピシャッという雷鳴と同時に灰色の煙幕が卵から広がる。異変に気付いたレイスは咄嗟に隣にいたジェラルドを壁側に寄せ、自身は無防備になる。


(なんで魔法を使ってよけないのよ!)


 その瞬間、ルティは人だかりの近くにいた黒縁眼鏡の男子生徒の肩を掴み、思い切り飛ぶ。


「失礼!」


 そのまま壁を蹴って人だかりの頭上を飛び越え、レイスの頭を抱えると、その勢いのまま受け身を取って地面に転がる。


(この雷……熱くない。煙幕も無臭だし、ハッタリか)


 激しい雷鳴と静電気によって毛先が逆立つのが少し気になるが、どうやら今回の『いたずら卵』の中身はたいしたことがないようだ。


 ルティは腕の中にいるレイスに声をかける。

「怪我は?」

「……⁉ な、ないけど」

「あれ?」


 ルティは目を見開く。レイスを庇ったつもりが、いつの間にかルティが彼の胸元に手を添えるように押し倒していた。


「ひゃっ、ごめんなさい!」


 すぐに飛びのこうとするが、できなかった。


 周囲は激しい雷鳴の音と灰色の煙幕によってざわめいていたが、ルティとレイスのあいだだけは静寂さを帯びていて、まるで時が止まったかのようにピンクトルマリンの瞳とエメラルドの瞳が見つめ合う。


 指先からドクン、ドクンという彼の心臓の動きがわずかに感じた途端、ルティはかあっと体中が熱を帯びる。


 だが、レイスの胸元に触れている指先だけは冷たいままだった。

 彼の体が氷のように冷え切っていたからだ。


 そのとき、なぜ頭の中でその言葉が思いついたのかわからない。でも不思議と桃色の薄い唇が動く。


「あなた、呪われているの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る