第六章 『誰が為の力』

 数日前。レイスが医務室にルティを置いて出ていったあと、ジェラルドとセシルと共にマファーの研究室へ向かった。


 中に入ると、部屋の中央に重厚なテーブルと赤い革張りのソファが置かれていた。応接間のような厳かな雰囲気が、実にマファーらしい。


「紅茶を入れよう。レイス、ジェラルド、ソファに座って待っていなさい」


 レイスとジェラルドは顔を見合わせ、ひとまず言う通りにする。するとセシルが壁際にあった椅子をふたつ持ってきて、そのうちのひとつに腰をかけた。


「マファー先生のオリジナルブレンドの紅茶かあ。懐かしいな」


 しみじみと呟くと、マファーは背を向けたまま鋭い声で告げる。


「お前の分はないぞ」

「なんで⁉」


 セシルが音を立てて立ち上がると、マファーから「学生のときにしこたま飲んだだろう。あと言葉遣い」とたしなめられる。


(なんかこの二人のやりとりを見ていると、ほっとするな)


 レイスはわずかに眉間のしわを和らげる。そのまま膝上で両手を合わせてうつむいていると、ふわりと心地のよい紅茶の香りが漂う。


 マファーが洗練された手つきで、テーブルの上に明るいオレンジ色の紅茶が入ったティーカップを置く。

 レイスたちは黙ったままティーカップを持ち、口をつける。


「……美味しい」

「うむ、美味びみだ」


 ジェラルドは何度か頷いたあと「ここに来れば毎回飲めるのか」とぼそっと呟いた。すぐにマファーが「お前までセシル先生と同じことを言うのか」と呆れ顔をしつつ、セシルの隣にあった椅子に座った。


「気持ちは落ち着いたか?」

「……はい。おかげさまで」


「それで、私たちはなにをすればいい?」

 マファーの真剣な眼差しに、レイスは一拍置いてから口を開く。


「俺にかけられた呪いを解いてほしいんです」


 マファーとセシルの顔が険しくなった。


「どういうことだ」

「実は……」


 入学式が終わったあとに呪いの手紙を受け取ったこと、それを開いて呪われたこと、一日だけ毒薬を使って呪いを緩和させていたこと、そしてルティの力を借りていたことまでを話す。


 マファーは頭が痛いとばかりに額を手で押さえる。


「つまり、初回の防衛術で見事な魔法を披露できたのは、毒薬のおかげだったのか」


 レイスも当時のことを思い出し、苦々しい顔をつくる。


「そういうことになりますね」


「おっまえ……‼」

 そういって声を上げたのはセシルだった。彼はアメジストのような瞳孔をかっぴらき、テーブルに手をついて身を乗り出す。


「頭がいいのか悪いのかわからんわ‼」

「それ、ルティにも言われました……というか、セシル先生」

「なんだよ」

「昔やんちゃしていたような口調ですけど」


 レイスが神妙な顔で告げると、セシルは一段とすごむ。


「そりゃ毒薬まで使って我慢をしていたと聞かされれば、抑えも効かなくなるっつーの‼」


 これにはマファーも深々とため息をつく。


「そこまでしてお前たちが言えなかったということは、ただの気持ちの問題ではない。宮廷がらみか」


 ジェラルドは目を細め、肯定するように頷く。


「我々は密命を受けて行動している。『いたずら卵』にまぎれて、この学校に危険物が持ち運ばれたと聞いたことはないか?」


「……ごほん、このあいだの会議で聞いたけど」

 セシルは咳払いをしてから口調をもとに戻した。


「実は、この学校に竜の卵があるかもしれないのだ。しかも困ったことに、孵化が近いという予測が出ていてな」


 ジェラルドが具体的な内容を伝えると、マファーとセシルはどっと疲れたような表情を見せる。


「なんか変な胸騒ぎがすると思ったら、そういうことか」

「事情はわかった。協力しよう」


「すまない。あとで私の協力者兼国王陛下の諜報員を紹介する。マファー先生は彼と打ち合わせをしてくれ。ということで、私はルティの様子を見てこよう」


 その言葉に、レイスは拳を握り締める。


(いまごろ、ルティは泣いているよな)


 大切な人を前にすると、いつも悲しませてしまう。なんで自分はこうも不器用なのだろう。

 アキルスみたいに誰とでもうまくやれればよかったのに、と思っていると、ジェラルドが人の心を読んだように「彼女は傷心しているだろうな」とささやいた。


 ハッとして顔を上げると、彼は立ち上がってレイスを見下ろしていた。


「……なにが言いたい」

 にらみつけると、ジェラルドは余裕たっぷりな笑みを浮かべる。


「付け入る隙があるということだ」

「?」

「ルティなら私の第二夫人にしてもいいかもな」

「はあ⁉」


 レイスがソファから身を乗り出すと、ジェラルドは片手を振りながら去っていく。

 そして「おっと忘れていた。これが呪いの手紙だ」と制服の内ポケットから手紙を取り出し、マファーに託した。


 呆然とその後ろ姿を見送ってから、レイスは力なくソファに座りなおす。


(冗談だよな……?)

 いや、彼ならやりかねないかもしれない。頭を抱えていると、青春の兆しを感じ取ったマファーが苦笑する。


「事態が変わる前に呪いの状態を確認しようか」

「……すみません。お願いします」


 マファーはレイスの隣に座り、眼鏡をかける。そしてレイスの右手に触れた。

 彼は防衛術のスペシャリストだが、魔物の研究や魔症にかんする論文も書いていて、呪いにも詳しいらしい。


 しばらくレイスの手のひらを観察していたが、白い眉がピクリと動く。


「どういうことだ」

 そう呟くと、マファーは眼鏡を取り、険しい顔で告げる。


「レイス。お前にかかっている呪いは魔力封じではない」

「――え」

「魔力封じよりも扱いやすく、かつ質の悪い呪い――これは催眠魔法の一種だ」


 レイスは目を見開く。


(は? 嘘だろう?)

 自分はずっと呪いの種類を勘違いをしてきたということなのか。


「だとしたら、なぜ俺は魔法が使えないんですか?」


 するとセシルが呪いの手紙を裏表に何度かひっくり返し、匂いを嗅いだ。


「消えるインクの匂いがする。これは下町で売っているいたずら魔法道具のひとつだね。ここに書かれていた内容は覚えているかい?」


 レイスは戸惑いながら、首を横に振る。


「……それが、前後の記憶が曖昧で」

「わかった。じゃあ手紙を開ける前になにを考えたかな?」


 セシルの問いに、レイスは記憶を呼び起こす。

 あのときは確か、家族のことを考えていた。


 ――あいつは私たちを捨てた! 家族でもなんでもないんだよ!

 ――すまない、すまない。

 ――知らない人じゃなくて、私たちを守ってよ!


 祖母、父親、母親の言葉が脳裏に浮かび上がる。

 レイスは顔をひきつらせて、両手で口元を覆う。そのまま目を閉じ、弱々しい声で告げる。


「……家族から言われた、その、つらい言葉を思い出しました。それから頭が真っ白になって」


 マファーが重々しく口を開く。


「なるほど。お前のトラウマを利用して、一時的に魔法を使う自信を失わせたのか」


 それを聞き、レイスは自分自身に問いかける。


(俺はただ、より多くの人を守りたかっただけなのに。家族をないがしろにしてしまった自分にその資格はあるかわからなくなって……魔法を使う自信を失ってしまったというのか)

 馬鹿だった。それを魔力封じと勘違いしていたとは。


 レイスは歯を食いしばり、「もしも」と呟く。


「もしも、俺がすぐに先生たちに呪いのことを打ち明けていたら、今頃、呪いは解かれていたでしょうか?」

「それはどうかな」


 答えてくれたのはセシルだった。彼は立ち上がり、レイスに近付いて視線を合わせるように床に膝をつく。


「素直に言っていたところで、これは君の心の問題だから。なぜ自信を失ったのか、その原因と向き合う準備ができていなければ、呪いは解かれていないんじゃないかな?」


「……」


「まあ、結果論だ。いま気にするのはそこではないよ。呪いをかけた相手は君のトラウマを知っているような狡猾なやつだ。立ち向かうためにはそれ相応の準備がいる」


「セシル先生の言う通りだ。それにいまの君には、入学当初ではなかったものを持っている」

「え?」


 顔を上げると、マファーが力強く微笑んでいた。


「ジェラルドも、ここにはいないルティリエールも、みんなお前の身を案じている。普通はな、人のためにあそこまでボロボロにはなれないのだよ」


「――」

 レイスは言葉を失う。その通りだったからだ。


「お前の境遇を考えれば、大切な人を遠ざけたくなる気持ちはわからなくもない。だが、あんなに素晴らしい学友はそう簡単に出会えない。そうだよな、セシル」


 話を振られたセシルは、片目でウインクをする。


「そうそう。俺なんて大人になってからも当時の仲間と馬鹿をやっているし」


 そしてアメジストの瞳を据えて、力強く告げる。


「レイス。君は三年前、見事に竜を退け、英雄となった。それはまぎれもなく君の功績だ。でもこれは俺の持論だけど、英雄は一人ではなれないと思う」


「!」


「たくさんの人の力を借り、たくさんの人に背中を押され、たくさんの人に認められて、初めてなれるものなんじゃないかな」


 まるであのときの光景を直接見ていたような言い方だった。だからこそ、レイスの胸に深く突き刺さる。


「大丈夫。頼ってくれたからにはどこまでも支えてやる。君は前を見据えて進めばいい。さあ、君は誰のために魔法を使う?」





 ルティはレイスから簡素に語られた内容に言葉を失う。


 彼にかけられた呪いは魔力封じではなく、呪いは呪いでも催眠魔法の一種であり、魔法を使う自信を失っているから魔法が使えないというのか。


 ルティはなにか言葉を発するよりも速く、レイスの両手を掴む。


 聞きたいことがたくさんある。言いたいこともたくさんある。

 だが、これだけはまず確認させてほしい。


「何度だって力を貸します。わたしの力はまだ必要⁉」


 ルティが告げると、レイスは整った顔にしわを寄せ、泣きそうな声で頷く。


「頼む、君じゃなきゃ駄目なんだ」


 どちらからともなく、両手をからませ、抱きしめ合う。


 やっと気持ちがひとつになった。


 ルティは目を閉じ、隙間がないほど顔をレイスの胸元に寄せる。彼の体温は相変わらず冷たいが、不思議と心は満たされていった。

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