第六章 『大人の悩み』

 セシルは自分のこじんまりとした研究室の一人掛けのソファに座っていた。人目がないのをいいことに、靴を履いたままサイドテーブルに足を乗せる。


(さて、レイスは仲間たちを頼ったかな?)


 彼から呪いのことを打ち明けられて数日が経っていたが……。


(着任早々、授業中に魔物は暴れ出すわ、教え子が呪われているわ、この学校自体が呪われているんじゃないのかね?)


 心の中で悪態をついてから、両手で前髪をかきあげる。


(……生徒から信頼されるのって難しいなあ)


 新任の教師ということで、振舞いだけはいつも堂々として頼り甲斐を出してきたつもりだったが、日が浅いこともあってそれが生徒に伝わっていなかった。


(わかっているよ。子どもたちは子どもなりに、大人に迷惑をかけないように困難に立ち向かおうとしているって)


 ただ、この学校には心強い先生がたくさんいるのに、視野を狭くするのはもったいないことだと思う。


(マファー先生とかマジで頼りになるから)


 セシルが学生のときは何度も進路相談に乗ってくれたし、いまだって授業の進め方や教員会議でわからないところがあるといつも手助けしてくれる。

 でも、そのありがたさを実感したのはわりと最近かもしれない。


(……生徒の狭い視界に映るためにはどうすればいいんだろう)


 ロシュフォード王立魔法学校の教師として着任してからずっと悩んできた。

 そもそもセシルは任期つきの教師だった。


 防衛術の実技指導者の候補はほかにもいたが、近年、魔物の動きが活発的になってきて、みな各地へ出払っている。もちろん学校の指導も強化しなければならないということで、宮廷魔物討伐隊から一時的に選出されることになった。


(俺が防衛術の教師に選ばれたのは、教師という職業に憧れがあり、自分から志願したからだ。まあ、ほかにも理由はあるんだけど)


 下町育ちのセシルは幼い頃から読み書きができた。

 それは過去に宮廷の下働きをしていた母親と、ある鉱物学者の妻が教育支援の一環で勉強を教えてくれたからだ。


 二人とも明るくて気さくで、世の中の常識とか、やってはいけないこととか、たくさんのことを教えてくれた。言葉の意味を知るたびに世界が鮮やかに色づいていく感覚に、セシルはますます勉強にのめり込んでいった。


 そしてあるとき、夫人からロシュフォード王立魔法学校に挑戦してみないかと言われた。当時のセシルには稼げないほどの学費がかかるが、入試首席になると学費が免除されるらしい。


 母親の後押しもあってセシルは受験に挑戦し、見事首席で入学を果たした。


 ただこんな下町育ちの小僧が首席だと箔が付かない。そこで入学するまでに物語に出てくる王子さまを参考にして、身なりと言葉遣いを改めたのだ。


 その作戦は成功し、華々しい学校生活が幕を開ける。


(だけど防衛術の授業でヨシュアとトラヴィスとエディと班を組んだせいでボロが出て……)


 男四人で馬鹿をやって、上半身丸出しで騎馬戦をしたり、『いたずら卵』を全種類コンプリートするまで寮には帰らなかったり、いろいろやらかしたが、まあそれもいい思い出だ。


 卒業後はヨシュアのように学校に研究室を持ち、教師になる道もあったが、とにかく母親に少しでも多く仕送りをしたかったため、ポルという友人がいるにもかかわらず魔物討伐隊を志願した。


 それが紆余曲折あって、いまは念願の教師をしている。


(任期は二年から三年。この期間の中で俺になにができる?)


 というか、先の授業で生徒を危険にさらしてしまった。春になる頃には教師を辞めているかもしれない。


 だが、教師をいう肩書があるかぎり、自分の信念のためにも生徒に向き合いたい。


「ルティリエールにも言ったけど、俺もいまは自分にできることをしっかりやらないとな」


 決意を確認するように口に出してから、ぐっと上半身を伸ばす。


 しばらくして、扉からノック音が聞こえた。セシルが「どうぞ」と声をかけると、くたびれた顔のヨシュアが現れた。


 彼は学生のときは大きな目と中性的な顔立ちにより、可愛い男の子としてもてはやされてきたが、いまは長く伸びた前髪によって目元の大半が隠れ、あごひげも生やしているため見る影もない。


 いや、いつもより明らかにくたびれている。


「おい、薬は飲んだのか?」


 声をかけてもヨシュアは答えない。彼はふらふらとした足取りでセシルに近付くと、強い力で肩を掴む。


「ポルたちの様子はどうなっている」


 鋭い眼光が、セシルを射抜く。


「……校長やマファー先生たちが動いてくれている。命を落とすような最悪の事態は回避できるんじゃないかな」

「そうか」


 ヨシュアは青白い顔のまま、セシルの肩の上でうなだれる。


(そういえば、ポルと一番仲がよかったのはヨシュアだったな)


 彼にとって今回の出来事はショックだったのかもしれない。慰めるためにも、背中を優しく叩いてやる。


「ポルが人を襲うわけない。そうだろう?」

「ああ、わかっている」

「……ヨシュア。ここだけの話だが、かすかにドラゴンライトが使われた形跡があった。それによって、一時的にポルたちの記憶が混乱した可能性が高い」


 ヨシュアは勢いよく顔を上げる。


「待ってくれ、ドラゴンライトは宮廷で管理されているんだろう⁉」


 ドラゴンライトは魔物の動きを弱める効果があると言われ、ダルク王国内でもほとんど採掘できない稀少な鉱石だ。


 それゆえ悪用されることや他国に出回ることを防ぐため、鉱山は厳重に警備され、すでに採掘された石はすべて宮廷で管理されている。

 もちろん、レイスが持っていた剣も例外ではない。いまはそこにある。


「宮廷からそう簡単に盗めるわけがない。秘密裏に入手した可能性がある」


 セシルは真っすぐとヨシュアを見つめる。


「……誰がそんなひどいことを」

「いま調べている最中だ。ここにトラヴィスとエディもいてくれたら心強いけど」


「離れていても、気持ちはひとつ。だったよな」


 ヨシュアの言葉に、セシルはふっと肩の力を抜く。


「俺たちで犯人を見つけよう。そしてポルたちを助けるんだ」

「そうだな。弱気になってはいけないよな」


 そういってヨシュアは笑みを浮かべる。セシルもつられるように口角を上げるが、あることに思い至る。


「俺としてはいろいろと今後のことを話したいところだが、君、授業はいいのか? 確かこの時間って地質学の授業中だろう?」


 するとヨシュアは眉を寄せて苦笑する。


「いいんだよ。必須授業の錬金術とは違って、選択授業の地質学は受講人数が少なくてな。今日も自習にするつもりだから」

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