第三章 『くすぶらせた感情がいま』
「ルティ、もう少し早くかき混ぜたほうがいいわよ」
「はい!」
ルティは錬金術の授業で、白衣を着て大釜と向き合っていた。
大釜はルティの腰ほどの高さであり、混ぜ棒を必死になって動かすが、体格と釜の大きさが合わず、上手く足が踏ん張れない。
(教科書の内容は頭に入れてきたのに……!)
今日の課題は錬金術で宝石を生成することだが、その日の気温、湿度、素材の質によって混ぜる回数や温度を変えなければならず、教科書があてにならない。
一方で、席順でペアを組むことになったシェリルは大粒の真っ赤なルビーを精製した。錬金術の先生からも「家業を継いだほうがいいと思うけどなあ」と言われていたが、彼女は「いやです」ときっぱり断っていた。
「わあ、すごい!」
そのとき、歓声が上がった。
ルティは横目で様子をうかがうと、プラチナブロンドの美しい髪と儚げなたれ目を持つ女子生徒の周りに人が集まっていた。
彼女の手にはサファイアの塊があった。
「リディアさんすごい! さすが未来の宮廷白魔導士だけあるわね」
「よして。これぐらい普通のことだわ」
彼女は学友の言葉に淡々と答えてから、隣に立つ銀髪の生徒に混ぜ棒を渡す。
「レイス、次はあなたの番よ」
「ん、ありがとう」
ルティは目を見開き、混ぜ棒を持つ手に力を込める。
(どうしてあんなに気さくなの?)
その疑問に答えるように、周囲にいた噂好きの女子生徒たちがささやく。
――彼女の父親とリーデロウェル卿って仲がいいんでしょう?
――夜会でダンスを踊っていたのを見たことがあるわ。
――お似合いの二人よね。誰かさんとは違って。
(そんなの、わたしが一番わかっている)
ルティがレイスに近付けたのは、偶然が重なったたけだ。たまたま彼の呪いに気づいて、たまたま魔力の相性が良くて、だからそばにいることを許されている。
(ちょっと待って、わたしはレイスに対して必然が欲しいの?)
「ルティ、危ない!」
シェリルの声に我に返るが、遅かった。
ボンッ! と大釜の中の液体が爆発し、黒煙となってルティに襲いかかる。
(ごほっ! うわあ、やっちゃった)
白衣だけではなく、亜麻色の髪にまで黒い煤が付着した。
「おいおい、大丈夫か」
駆け寄ってきたのは、白衣とひげ面が特徴的なヨシュア・ギーンスだった。彼は錬金術のほかに地質学の選択授業も受け持っているため、多忙なのか常に気だるい雰囲気をかもしだしている。
「怪我はないか?」
「ないです。お騒がせしました」
「気を付けろよ~。今回は減点しちゃうけど、次はしっかり頑張れよ」
減点、という言葉にルティは肩を揺らす。それだけはなんとかさけたい。周囲を見回していると、大釜の中に光を見た。
さらに煤だらけになるのをかまわずに上半身を突っ込むと、大釜の底から小さな石を取り出す。
「ヨシュア先生! 小さなエメラルドはできたみたいです!」
「わかったわかった。評価しておくから、さっさと洗いに行ってこい」
ヨシュアに背中を押されて教室を出ていこうとすると、誰かがルティの白衣をはぎ取った。ぎょっとして振り返ると、そこには険しい顔をしたレイスが立っていた。
「俺も一緒に行く」
「な、なにを言っているんですか!」
「そうだぞ、リーデロウェル。お前、宝石をつくっている途中だろう」
すぐにヨシュアにとがめられるが、レイスは「できました」と彼に手渡す。
「早すぎ! お前、規格外かよ。てかこれって、ピンクトルマリンか?」
「ではヨシュア先生、失礼します」
レイスはにこやかに微笑んでから、ルティの手を引っ張って教室を出ていく。
「ちょっと待って、手が汚れちゃうから!」
「別に気にしない」
なんてことないように言われ、ルティはむっと眉間にしわを寄せる。
「わたしが気にするんですけど」
「じゃあ、いつもの場所でゆっくり汚れを落せばいい」
「……わかりました」
ルティは周囲に人がいないかを確認してから呪文を告げる。
「冠の契約の代行者として命ずる。『
すると隠し部屋の扉が開いた。実はジェラルドから呪文の使用の許可をもらっていたのだ。
部屋に入ると、ルティは壁にかけられた鏡に向き合う。
(いろんなところが煤だらけだわ)
白い布を水で濡らし、顔だけではなく横髪の編み込みの部分を拭おうとすると、レイスに白い布を取られてしまう。
「ちょっと!」
「俺がやる。動くなよ」
「……」
一緒に過ごしてみてわかったが、レイスは世話焼きで融通が利かないときがある。
(兄さんたちみたい)
ルティもまた末っ子気質からか、逆らうことなく「じゃあ、お願いします」と告げると、彼は口角を上げ、ルティの頬や髪ついた煤を丁寧に拭う。
「ぷるぷる震えて大釜をかき混ぜていたときからなにかやらかしそうだと思っていたが、本当にやるとはな」
「……見ていたんですか?」
「君を一途に想う演技をしておいて、君をまったく見ないのはおかしいだろう」
それはそうだが、納得できない部分がある。
「わたしにばっかり優しくしていていいんですか?」
「は?」
「未来の宮廷白魔導士といわれていた、リディアさんと仲がよかったから」
レイスは何度か瞬きをしながら首を傾げる。
「リディアがなんだよ?」
「あ、いや、深い意味はないんですけど、わたしとは一時的の関係だから、やりすぎる演技はかえって角が立つのではないかと思って……」
しどろもどろに告げると、レイスはややあって頷く。
「俺のほうは大丈夫だ。ライナスさまからも学生生活の恋愛には干渉しないって言われているから。それにリディアと仲がいいのは、彼女はああ見えて剣術も嗜んでいるから、いろいろと話が合うんだよ」
それを聞いて、ルティは思わず声を弾ませる。
「え、そうなんですか! わたしも一時だけ魔法騎士を目指していたときがあったので、わたしとも話が合いそう!」
自分と共通点が多い上に、自分よりも才能があるリディアに対して羨ましく思う気持ちがないわけではない。
ただ最近の人気の職種のほとんどが、魔法産業に一役を買っている魔法技術者であり、魔導士の人気は年々停滞している。
(今度リディアさんに話しかけてみよう)
数少ない同志がすぐ近くにいる安心感を噛みしめていると、レイスが「へえ」と呟いた。
「すごいな、君。そんなふうに前向きに思えるなんて」
「……前々から思っていたんですけど、わたしのこと馬鹿にしていますよね?」
「してない。いまのは純粋に驚いた。けど」
「けど⁉」
ルティがすごむと、レイスはニヤリと口角を上げる。
「ルティが魔法騎士を目指して剣術まで嗜んでいたなんて。今度手合わせをお願いしようか」
「いいですよ。何秒持つかわかりませんけど、ぜひ」
淡々と答えると、レイスは眉を寄せて「いまのは冗談だった」と告げた。
「もう! あなたの言葉はどこか冗談かわかりづらいんですよ」
「そうか?」
「演技をする上で誰か参考にしている人がいるんですか?」
「そうだな……うちの両親がこんな感じだったんだ」
リーデロウェル卿の妻は他界している。ということはレイスの実の両親を参考にしているということか。思えば彼の口から生家について聞いたことがなかった。
どんな方たちだったのですか、と聞こうとしたとき、
「よし、綺麗になったな。ついでに魔力供給も頼むよ」
レイスはいつも通り淡々と告げる。これ以上踏み込ませないという圧を感じた。
(はぐらかされた……?)
まるで話すことはないと言われたみたいで、心に大きな棘が刺さる。
だがルティもまた、いつも通りにこやかに口角を上げる。
「もちろんです。では後ろを向いてください」
レイスは素直に背中を向けてくれる。最近は触れる場所をいろいろと試していて、背中に一番効果があらわれるのではないか、という結論が出た。
同年代の男の子よりも広い背中に、服越しに右手で触れる。
(――たぶん、わたしはあなたのことが好きなんだと思う)
憧れの延長戦なのか、恋情なのかはまだわからないけど。
ときどきほかの人に微笑みかけないで、名前を呼ばせないで、わたしだけを見て、という嫉妬による小さな火が胸の中でくすぶる。
(決して両想いにはなれないのにね)
事件が解決すれば、レイスはしかるべき人を選び、ルティとは疎遠になっていく。
(……寂しいな)
数年後、きっとこのときのことを思い返して、レイスへの気持ちが初恋だったと実感するのだろう。
(同時に失恋も経験するなんて思わなかったけど)
不思議と笑いが込み上げてくるが、泣くよりずっといい。
「はい、終わりましたよ」
明るい声で告げると、レイスはルティの目を真っすぐと見据える。
「悪い、ありがとう」
「どういたしまして」
シェリルの言う通りだ。好きな人の言葉ならなんだって嬉しい。
たとえ偽りの関係でも。
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