第一章 『夢への第一歩』

 竜の顕現から三年後。


 ダルク王国の最西端に位置する都市アヌルス。

 その一角には、都市の警備の指揮を任されているエルトナー家の屋敷があった。


 代々魔法騎士を輩出する名家ということで、家族会議が行われる部屋には厳粛な空気が漂っており、左右に並べられた机と椅子には、引き締まった足をあらわにさせたパンツスタイルの女性や屈強な男性がいた。


 そして部屋の中央には、まだあどけなさを残す小柄な少女が立っていた。


 亜麻色の横髪をカチューシャのように編み込み、ピンクトルマリンの瞳にはほのかに憂いを帯びていて、庇護欲をそそられる。

 彼女の名はルティリエール・エルトナー。この家の第五子だった。


「ルティ、荷物をまとめなさい」

 重い沈黙を破ったのは、当主であり父親の声だった。


「え……」

 ルティは目を見開き「そんな、まさか」と吐息交じりの言葉を吐いたあと、拳を天井に向けて伸ばした。


「やった~‼ ロシュフォード王立魔法学校に入学できるのね‼」


 歓喜の声が響く一方で、父親の表情は沈みきっていた。すると彼の隣に控えていたルティの母親が口を開く。


「あなた、ルティの成績順位は?」

「……九位だ」

「あらぁ。本当に一桁台を取っちゃったのね。我が子ながら素晴らしい好成績だけど……素直に喜べないわ」


 母親が深いため息をつくと、様子を見守っていた姉と兄がようやく状況を呑み込めたのか、悲鳴を上げた。


「いやあ‼ ルティ~‼ 本当に行っちゃうの~⁉」

「うわあ‼ 愛しい愛しい妹と離れ離れになるなんて耐えられない。兄さんは明日からどうすればいいんだ」


 姉と兄が机を飛び越えてきて、ルティに抱きつく。二人とも高身長なので、体重を少しかけられるだけで息苦しい。


「ぐえっ、メル姉、トラ兄、重いから」

「ごめんね~。ほら、あんたが離れなさいよ」

「はあ⁉ お前こそ離れろよ」

「は? 姉に向かってお前呼びとかなに? 生意気なんだけど」

「やるか?」

「いいわよ。ボコボコにしてあげる」


 拳を構えた二人に、ルティは頭を抱える。一か月前の殴り合いのときは、二百万ルフの壺を壊して祖母が体調を崩した。彼女はいまも別荘で療養中だ。


 ルティが腕まくりをして止めに入ろうとすると、母親の「やめなさい!」という鋭い声が飛ぶ。


「いい歳した大人がなにをやっているの。まったく、あなたたちだって全寮制の学校に行っていたことがあったでしょう?」

 すると二人は拳をおろした。


「だって長期休み以外で会えないし」

「学校の安全性は実家ほど信用ならないからな」

「……過保護すぎるんですけど」


 ルティがぼそっと呟いても、二人は耳が良いため「さびしいこと言わないでよ~」「そうだそうだ」ともう一度、もみくちゃにされる。


 これが幼い頃から変わらない光景で、とても嬉しいけれど、ときどき息苦しさを感じる原因でもあった。もちろん物理的な意味ではない。


 ルティは生まれながらに体が弱く、魔力量も平均的だった。三年前までは兄弟に交じって練習用の剣を握って稽古に励んでいたが、毎回熱を出して家族に迷惑をかけるだけ。

 親戚からは「優秀な要素は姉や兄たちに取られてしまったんだね」と言われ、エルトナー家の落ちこぼれとして扱われてきた。


 ただ家族はルティの儚さに庇護欲をかき立てられ、それはもう溺愛した。ここにはいない遠征中の双子の兄たちからも毎日のように手紙が送られてくる。


(きっと兄さんたちも入学のことを知ったら一波乱あるんだろうな)

 と、ぼんやりと他人事のように考える。


 家族はたくさんの愛情を注いでくれたが、成長するにつれ、ルティだって家族を支えたり、守りたいと強く思うようになった。

 そして三年前、姉と兄を救ってくれた宮廷白魔導士の姿を見て、これだ! と思った。


 魔導士には白魔導士や黒魔導士といった種類があり、どちらも高度な魔法技術や専門知識によって人々の傷や呪いを癒すことができるが、ひとつの大きな違いがある。


 それは力を借りる相手だ。魔力や効果を増幅したいとき、白魔導士は光や四大元素を司る大精霊から力を借り、黒魔導士は闇の大精霊や時には魔物を従わせて行使する。


(黒魔導士もかっこいいけど、やっぱり宮廷白魔導士さまに憧れるなあ)


 純白のローブをたなびかせ、立派な杖を振るう彼女の姿をいまでもはっきりと覚えている。あれは本当にかっこよかった。


(彼女のようになりたいと決意したのはいいけど、みんなからは大反対だったんだよね)

 白魔導士になるには魔力量を増やす必要があり、技術も専門知識もいまのルティには足りないことだらけだ。仮になれたとしても魔物との戦いで前線に立つ可能性があり、危険すぎるとかたくなに認められなかった。


 でもルティの諦めの悪さは筋金入りだった。


 憧れの宮廷白魔導士も卒業したロシュフォード王立魔法学校に入学するために、十五歳になるまでに家族を説得し続け、ついに入試成績が一桁台であれば入学を認めるという約束を取りつけた。


(本当に入学できるんだ……!)


 不安がないわけではない。小さな手がわずかに震えるが、ぎゅっと握り締める。

 ルティは改めて家族と向き合う。


「エルトナー家の名にかけて、立派な白魔導士になるために頑張るから」

 そう宣言すると、母親が真顔のまま近づいてきて、ルティを抱きしめる。


「……本当に行っちゃうの?」

「ぐっ」


 普段の凛とした姿からは想像できないほどの弱々しい声に、ルティは顔中にしわを寄せて湧き上がる寂しさに耐える。やがてそっと背中に手を回して「手紙、たくさん書くね」と告げた。

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