第一章 『ちぐはぐな少女』

 ルティの背筋に冷や汗が流れる。


(ど、どうしよう)


 焦るルティをよそに、菫色の瞳と血色のいい唇を持った少女は口角を上げる。


「びっくりした。あなたのほうこそ怪我はない?」

「は、はい。えっと、こんにちは」

 ルティは口に出してから、やってしまったと顔をしかめる。


(挨拶しようと決めていたけど、いまではないでしょうが!)


 学校生活をつつがなく過ごすためには第一印象が大切なのに、つい脈絡のない返事をしてしまった。


「こんにちは。じゃあ、あたしはこれで」

 だが彼女は気にしていないようで、あっさりとした返事をすると道の端を歩いて寮のほうへ向かう。


(えっ……えー⁉)


 ルティは人だかりと彼女の姿を見比べたあと、彼女を追いかける。


「あの、待ってください。もしよければ一緒に寮まで行きませんか?」

「え? あたしと?」

「はい、そうですけど」


 ほかに誰がいるのだろうか。ルティが首を傾げると、彼女も首を傾げた。気づいたら周囲は静けさを帯びていて、数人がルティたちに視線を向けていた。


(あれ、変なことは言ったけど、そこまで注目されるものなのかな?)

 彼女はエルトナー家の第一子である『メル姉』ことメルディナの勝気な雰囲気によく似ていたため、ルティにとっては親しみやすかった。


「……い、いいけど」

「ではよろしくお願いします!」


 ルティは彼女の隣に並び立つと、深呼吸をしてから口角を上げる。

「わたしはルティリエール・エルトナーです。気軽にルティと呼んでください」


 そういってから右手を差し伸べると、彼女は先ほどとは打って変わってぎこちない笑みをつくり、握手を交わす。


「あたしはシェリルよ。名前は好きなように呼んでちょうだい」

「ではシェリルさんとお呼びしますね」

「ええ。よろしく、ルティ」


 ルティはまじまじとシェリルを見つめる。彼女は入学式前なのにもう制服を着崩している強者だが、歩く姿は指先まで洗練されており、口調も丁寧だ。


(不思議な人)


 見方によっては人を寄せ付けない雰囲気をかもし出しているが、横顔からうかがえる瞳はルティと同じように生き生きとしている。


「学校生活、楽しみですか?」

「そうね。ずっとここに来たかったから」

「わたしも同じです。部屋、近くなると嬉しいですね」

「……そうね」


 女子寮の中に入ると、玄関先のホールでそれぞれ入寮手続きをする。事務員に名前を告げて部屋番号を確認し、寮での生活の仕方や設備の説明を受けてサインをしたら終わりだ。


「シェリルさんは何号室でしたか? わたしは308号室でした!」


 ルティがシェリルのもとへ駆け寄ると、彼女はなんとも言えない表情を浮かべる。

「ねえ、あたしも308号室なんだけど」


 ルティとシェリルは顔を見合わせ、せき止めていたものをあふれさせるように笑う。


「こんなことってあります⁉ 奇跡ですよ! 奇跡!」

「ええ! ほんとにね!」

 二人の笑い声が廊下に響き渡る。そのまま肩を並べて歩き、三階の部屋に向かう。


「シェリルさんはどんな授業を選択する予定ですか?」

「あたしは他国の文化や経済を学びたいと思っているわ」

「面白そう! この学校っていろんな分野の選択授業があるから、一覧表を見ているだけで楽しいですよね」

「あなたってなんでももかんでも楽しいって言うばかりじゃない」

「あれ、バレました?」

「ふふ、まああたしもそうだけどね」


 会話が弾み、ルティの頬は緩みっぱなしだった。シェリルとはまだ目が合わないことのほうが多いが、気を許してもらっている手ごたえはあった。


「それで、ルティはどんな授業を選択するの?」

「わたしはですね~、精霊会話術や治癒魔法学、あとは天文学を取ろうと思っています!」

「へえ、そう。ずいぶん専門的な分野ばかり選ぶのね」


 心なしかシェリルの声が低くなった。ルティはそれに気づかずに、言葉を続ける。

「はい! 実は白魔導士を目指していて」


「――やめなさい」


「え?」

 ルティは足を止め、シェリルのほうを見上げようとして息を呑む。いつの間にか階段の段差によって彼女よりも目線が高くなっていた。


「シェリル、さん?」

 彼女の菫色の瞳は光の加減によって、いまは深い闇に染まっていた。


「魔導士なんてろくな死に方をしないわよ。特にあなたみたいなか弱そうな子なんて、真っ先にやられるわ」


「…………」

 ルティは息をするのを忘れ、眉根を寄せて口を閉ざした。シェリルはハッとすると、気まずそうに顔を逸らす。


「ごめんなさい。用事を思い出したわ。部屋には一人で行って。寝室のベッドは好きなほうを選んでいいから。あとやっぱり――あたしに近寄らないほうがいいわ」

 そういって彼女は背を向けると、階段を降りていく。


 ルティはしばらくのあいだ、その場で立ち尽くした。

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