第一章 『自分の気持ち』

 ――あたしに近寄らないほうがいいわ。


 ルティはベッドに寝転んだまま、頭の中にシェリルの言葉を反芻する。

(どうしてそんな悲しいことを言うの?)

 何度考えたってわからない。だって、出会ったばかりでなにも知らないから。


 ルティは308号室の扉に貼られていた名札を思い出す。そこにはそれぞれの名前が刻まれていた。


『シェリル・クレンフィール』


 クレンフィール家とは代々黒魔導士を輩出している名家だ。誇れることだろうに、はじめて挨拶を交わしたとき、彼女は家名を名乗らなかった。


(シェリルさんも、家業よりやりたいことがあって魔法学校に来たのかな?)

 疑問は多々あるが、本人に聞く勇気はなかった。おかげで入学式はあっという間に終わってしまい、家族への手紙を書くこともままならず、気づいたら朝を迎えていた。


 ルティは寝返りを打ち、右側を向く。起きたときに彼女の姿はなかった。ただ洗面所のほうから音がするため、すでに身支度を終えているのだろう。


(今日から二週間はお試し授業だっけ。わたしも準備しないと)


 ルティは両手を伸ばしたあとベッドから立ち上がり、扉を開ける。淡い水色の壁にウォールナットの床というシンプルな部屋にはアンティーク調のテーブルと椅子が置かれ、さらに上級生が設置したらしい手作りの本棚もあった。

 その先には扉がふたつあり、それぞれ廊下と洗面所に繋がっていた。


「おはよう」


 ちょうど洗面所の扉が開き、シェリルが姿を現した。彼女は昨日とは違って制服の黒いベストも着ていたが、襟もとは第二ボタンまで外され、相変わらず着崩していた。


「おはよう、ございます」

「先に行くから。鍵、よろしくね」

「はい、わかりました」


 シェリルはルティとは目を合わさずに、そのまま308号室の部屋を出ていく。ふわり、とハーブのようなすっきりとした香りがその場に残り、ルティの鼻腔をくすぐる。


(同じ空間で生活しているはずなのに、会話がこれだけなんて……まるで喧嘩した夫婦みたいじゃん‼)



 ルティも身支度を終え、寮の食堂で朝食を食べたあと、筆記用具を持って学校の中で一番大きい教室に向かう。


 ロシュフォード王立魔法学校の授業には必須授業と選択授業があり、必須は生活する上で身に付けるべき分野、選択は専門的な分野とされている。

 一年次は必須授業が八割を占めているものの、この二週間でいろんな授業を試して、自分で時間割をつくっていくのだ。


(最初は必須授業の防衛術だから、頑張らないと)


 ルティは家族を安心させるためにも、白魔導士になるためにすべての授業で最高評価を取りたいと思っている。特に防衛術の授業は優秀な成績を収めたい。


 ルティは意気込みながら廊下を進む。ときより上級生が「ねえ、昨日の夜に男子寮で一年生が爆発騒ぎを起こしたんだって」「やば。今年の一年生って治安悪いね」とささやいているのが聞こえた。


 うわぁ、と顔をしかめたとき、遠くのほうにシェリルの姿を見つけた。すれ違う上級生まで彼女をさけるように歩いている。かなり目立っているが、彼女は気にも留めず堂々としていた。


 声をかけるべきなのか。でもこれよりも険悪な仲になったら。


「おーい」

「ん?」

「おーい、そこの君」

 わたしのこと? とルティはおそるおそる声がしたほうへ顔を向ける。


 そこにはキャラメル色の髪をハーフアップにまとめ、澄んだ湖畔のような青い目の男子生徒が立っていた。


「ごめん、驚かせたかな。君のことだよ」

 春の日差しのように温かい声だった。ルティはふと首を傾げる。


(どこかで聞いたことがあるような……あ! 路面列車で乗り合わせた集団の中にいた人だ!)

 あのときは会話に混ざってみたいと思って彼らをうかがっていたため、記憶に残っていた。


「君も一年生だろう? よかったらおれたちと一緒に教室に行かないか?」

「おれたち、ですか?」

「ああ、そうだよ」


 彼の視線を追うようにルティは右側を向くと、少し離れたところに複数人の男女がいた。目が合ったので会釈をすると、彼らは気さくに手を振ってくれる。


 ルティは戸惑いながらも男子生徒を見上げる。なるほど、一人ぼっちに気を遣ってわざわざ彼だけで話しかけに来てくれたのか。


(そっか……これだよ! こういうことなんだよ! やっぱりわたしから話しかけないと)


 ルティはぱっと目を輝かす。自分がどう行動すればいいのかがようやくわかった。

 様子をうかがっているだけでは関係なんてなにも変わらない。白魔導士を目指すことを家族に説得したときのように、まずは自分の気持ちをシェリルに伝えなければ。


(もしかしたら、シェリルさんと距離を置くことになるかもしれないけど)

 それでも、彼女の本音を知りたかった。


「お誘いありがとうございます。でも、わたしから誘ってみたい人がいて」

 ルティが深々と頭を下げると、男子生徒は眉を上げ、やがて歯を見せて笑う。


「そっか。頑張れよ。おれはアキルス・ルーエンだ。授業が被ったときはよろしくな」


「はい! こちらこそ」

 ルティはアキルスと握手を交わし、いま一度お礼を告げたあと、人の波をかいくぐるように駆け出してシェリルの後ろ姿を探す。


 肺に必死に空気を送ることで、時々胸がぎゅっと痛くなるが、いまは気にならない。


「シェリルさん! 一緒に授業を受けませんか!」


 彼女の姿を見つけると同時に、ルティは声を張り上げた。周囲にいた誰もが弾かれたように二人に注目をする。

 振り返ったシェリルの表情にも焦りがにじんでいて「え、ちょっ、ルティ?」と呟くと、手招きをして人通りの少ないところへ連れていく。


 ルティは呼吸を整えつつ、それに従う。しばらくして、シェリルが口を開く。

「あたし言ったわよね? 近寄らないでって」

「――理由がわからないので従えません」

「な!」

「それにわたしたち、出会ったばかりじゃないですか。相性が合う、合わないなんてすぐに判断はできないでしょう?」


 ルティは拳を握り締めると、真っすぐとした視線でシェリルを射抜く。


「わたしは魔導士のこと抜きでシェリルさんのことをよく知りたい。だからシェリルさんの考えていることを少しでもいいから教えてくれませんか?」


「それは……」

 シェリルの声がわずかに震えた。


「白魔導士を目指しているなら、あたしの家が黒魔導士の名家ということは知っているかしら?」

「はい」

 ルティが頷くと、彼女は瞳を閉ざし、痛みをこらえるように唇を引き結ぶ。


「わけあって、あたしは黒魔導士にはならないと決めているの。だから、あなたの夢を聞いて、つい自分の気持ちを押しつけしまって」

「……はい」

「それに言い訳になってしまうけど、いままで人と接する機会が少なかったから、つい言葉がきつくなってしまうの。だからあたしと一緒にいると、またあなたの夢を否定するようなひどいことを言ってしまう気がして」

 語尾がだんだんと小さくなっていったが、シェリルの本音はしっかり伝わった。


 なんでもできそうな強気な人だと思っていたが、彼女の悩みの欠片に触れたことで、距離を置きたい気持ちよりも、そばにいて寄り添いたい気持ちのほうが勝った。


「そうだったんですね。話してくれてありがとうございます」

 ルティは笑みをたたえて、シェリルに向き合う。


「確かに、シェリルさんから見ればわたしはまだまだ頼りないと思います。家族にも未だ夢を反対されていますし。でも、言われっぱなしで終わるつもりはありませんので」


 あなたもそうでしょう? という気持ちを込めて勝気な瞳で告げると、シェリルは目を見開いてから、ふっと肩の力を抜く。


「……そうね、あなたの言う通りだわ」

 そして弱々しい笑みをこぼしてから、シェリルは告げる。


「昨日はごめんなさい。あたしでよければ一緒に教室へ行ってくれる?」

「はい! ぜひ」

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