第四章 『自由への革命』

「どうしたんですか⁉」


 ルティは涙を流すシェリルに駆け寄り、体を支えながら彼女をベッドに座らせる。ルティ自身もその隣に座って、彼女の背中を撫でた。


「……」


 シェリルは黙ったまま、涙をぽろぽろと流すだけだ。ルティは彼女を包み込むように抱きしめる。


「大丈夫、大丈夫ですよ」

「……ごめん、あたし」

「ゆっくりでいいですから」

「うん、ひっく」


 しばらくして、シェリルは気持ちの整理がついたのか、何度か深呼吸をしてから口を開く。


「あたしね、時計塔がある広場に行くことがずっと怖かったの。だって――姉さんたちが亡くなった場所だから」


「……っ」

 ルティは息を呑み、彼女を抱きしめる力を強めた。


「姉といってもね、血はつながっていなくて。クレンフィール家は生まれながらに魔力が豊富な孤児を集めて養子にするの。そして育て親は『お母さま』ただ一人」


 シェリルは肩までの黒紫色の髪をひと束だけ持つ。


「あたしたちは髪色も、髪形も、化粧も、服装も、口調も、振舞い方も、すべて『お母さま』に決められて、みんな同じ恰好をしていたの。異質、よね。それに気づけたのは、とある女商人のおかげだったんだけれど」


 遠い目をしてから自嘲するように鼻で笑った。


「そのときに芽生えた反骨精神のせいで、あたしは『お母さま』に嫌われて、五人いた姉たちからも嫌われて……いま思うとね、みんな焦っていたの。クレンフィール家はここ数十年で宮廷黒魔導士を輩出していない。だからこそ『お母さま』はあたしたちを管理しようとして当たりが強くなって」


 そして、一段と低い声で告げる。


「三年前のあの日、王都で白魔導士と黒魔導士のそれぞれの見習いが集う交流会が行われたの。あたしはたまたま風邪を引いてしまって、一人でお留守番をしていて……それで」


 この先は聞かなくてもわかる。竜が顕現したのだ。


「竜が暴れまわったとき『お母さま』はこれが千載一遇の機会だと思った。だから姉たちの力を信じて戦場へ送り出して。みんな、いなくなっちゃった」


 ルティは歯を食いしばり、固く目を閉ざす。入学当初のシェリルの厳しい態度の理由がようやくわかった。


『魔導士なんてろくな死に方をしないわよ。特にあなたみたいなか弱そうな子なんて、真っ先にやられるわ』


 あれは彼女の経験から出た言葉だった。

(……そうだったのね)


 ルティが目元に力を入れながら顔を上げると、菫色の瞳とかち合う。


「みんながいなくなったことを『お母さま』から聞かされたとき、これ以上道具のように消費されたくないと思った。だからクレンフィール家から逃げると決めたのに……! 簡単には逃げることはできなくて!」

 しかもあたし以外に跡継ぎがいないからこのままだと当主になっちゃうの、と消え入るような声で吐き出したあと、シェリルは歪んだ笑みを浮かべる。


「ねえルティ。魔導士という業界はどこも古いしきたりが残っている。これが魔導士の理不尽な実態なの。それでもまだ白魔導士になりたいと思う?」


「――それは」

 ルティが答えようとしたとき、シェリルが叫ぶ。


「なるって言わないで! あたしはあなたに死んでほしくはない‼」





 シェリルは荒々しい声を上げてから、ハッと我に返る。

 これはすべてシェリルの都合だ。それをルティに押しつけてはいけない。


 『お母さま』に嫌われて虐げられていたことも、涙で顔をぐちゃぐちゃにした姿も、ルティには知られたくも見せたくもなかったのに。


(あたしって最低だ。あまりにもルティが前向きだったから、現実を見せてやりたいと思ってしまった)


 シェリルはふと、『お母さま』が一人で屋敷に戻って来たときに告げた言葉を思い出す。


『亡くなった姉さんたちのためにも、私たちは幸せなってはいけないのよ』


 それを聞いたとき、『散々こっちのことを嫌ってきたのに押しつけないでよ!』と思った。

 このままでは姉の二の舞いになる。なにがなんでもクレンフィール家から逃れようとしたが、黒魔導士は魔物と会話をする術を身に付けるなど、秘匿性のある術が多いため、黒魔導士の名家のほとんどが王領に住まわされている。ゆえに王領の周囲は武装した兵士によって守られていた。


 そう簡単に逃げることはできないし、そもそも帰る家もない。


 そこでここ数年になって王領に姿を見せた第三王子のジェラルド・アルーシュ・ダルクと契約を交わし、彼の権力を使って四年制のロシュフォード王立魔法学校に入学したのだ。


(一番話が通じると思っていたのに、実際は一番話が通じなかったのがしゃくだけど)


 しかも入学当初から見返りとして毒薬を無償でつくれと無茶ぶりをされた。なにに使ったのは知らないが、どうせろくでもないことに使ったのだろう。


(あいつは警戒心が高い上に、享楽主義を持ち合わせている変人だもの)

 彼の毒牙にかからないようルティに警告したこともあった。


(……ほんと、魔法学校生活も楽ではないのね)


 本来ならシェリルは魔法学校に行く必要はない。だが、とにかく逃げるために時間を稼ぎたかった。

 当然『お母さま』は大反対をしたが、シェリルのことを嫌っていたのもあって、それは上辺だけだった。

 黒魔導士としての振舞いを忘れずにクレンフィール家の代表として催事に参加し、定期的に薬を納品してくれれば、あとは好きにしていいと言われた。


 だから入学が決まったとき、腰まであった髪を切った。本来の髪色である朝焼けのような赤髪に戻したかったが、黒魔導士らしさを残すために黒紫色のままにした。


 そしてピアスを身に付け、化粧も派手にして、服装も着崩して、一人称も変えた。これはいつか出会った女商人の恰好を真似ていた。


(名前も知らないあの人と出会ったのは、海沿いの街にお姉さまたちと薬の納品のために訪れていたときで)


 彼女は駆け出しの商人だったのか、熟練の商人に商談を持ちかけるも『話にならない。お前はこちらの言うことを聞いていればいい』と退けられていて、見ていて痛々しい人だった。しかも最後には手を振り払われ、怪我を負った。


 つい持っていた傷薬を手渡したとき、彼女と少しだけ話をすることができた。そのときこう言われたのである。


『どうして無理だって決めつけられるのさ。決められたことしかできない商人なんてすぐに顧客に飽きられる。あんたもそうは思わないかい?』


 シェリルはすぐに言葉が出なかった。だが、小さな声で『決められたことを忠実に行うことはいけないことなの?』と問う。


『お嬢ちゃん、その良し悪しは自分で決めていいんだよ。未来は自分で切り開かないと』

『むりだわ。きっとお母さまに怒られてしまうもの』

『それがどうした。反抗するのも時には必要なことさ』


 そういって彼女は豪快に笑ったあと、立ち上がった。その後ろ姿を見て、シェリルはいつかこんな大人になりたいと思った。


(でも、いまのあたしはちぐはぐなまま)


 口調も変えたかったが演技力に自信がなく、クレンフィール家としての役割がまだあるためこのままにした。


 結局、クレンフィール家からのしがらみからは逃れられないと突き付けられたみたいで、鏡を見るたびに落ち込むときがある。


 さらにすぐそばには常に前向きなルティがいて、最初は彼女に対して苦手意識を持っていた。


「シェリルさん」

 凛として力強い声だった。


 シェリルは唇を引き結んでからルティを見つめる。ほら、彼女の瞳はいまも眩しいくらいに生き生きとしている。


「わたしは死にません。いえ、いつかは死んでしまいますけど。多くの人がいまではない、いまではないとあがきながら生きていると思うんです……だけど」


 彼女は先ほどとは打って変わって、目を伏せた。


「やっぱり気持ちだけではどうしようもならないときがあって。そんなときはいつも過去に頑張って来た経験を思い出すようにしているんです」


 シェリルが「過去の経験?」と問うと、彼女は頷く。


「わたしは十二歳まで魔法騎士になることを目指していました。でもあのときは体力が全然なくて、剣もまともに振るえなくて。すぐに怪我をするし熱も出すし、双子の兄たちからはいつも引っ込んでろと怒られてばっかりで」


 意外だった。彼女の話を聞いているかぎり、兄弟たちは彼女を溺愛していたはずだ。もしかしたら話していないだけで、相当な苦労があったのかもしれない。


 ルティは苦笑してから、胸元に両手を当てる。


「だけど、そのときに頑張って積み重ねてきた経験があるからこそ、このあいだの防衛術の野外授業のときに、走りながら魔法を使うことができて」


 ルティは「えへへ。これってわたしにとってはすごいことなんですよ」と嬉しそうに笑ってから、シェリルに向き合った。


「わたしは自分が誰よりも弱いことを知っています。だからこそどんな困難が訪れようと、その場の状況、頼れる仲間がどれだけいるか、その人たちが持つ特技や技術、それらのすべてを踏まえた上で、いまできることを精一杯やりたい」


「――」


 ああ本当に、どこまで真っすぐなのだろう。シェリルは喉奥から込み上げてきた熱を逃すように、はあと息を吐く。


(……十分強いじゃない)


 シェリルは苦笑しながら、ルティの未来に想いを馳せる。

 きっと夢を叶える途中で、悲しい思いや苦しい思いをするときがくる。


 魔導士という業界を知る者としてルティの手助けをすることはできない。シェリル自身、魔導士というものに対して折り合いがついていないし、魔導士の問題はルティが乗り越えるべき壁である。でも。


「あなたの気持ちはわかったわ。これだけは言わせて――もしも困ったことがあったら、その、教えてね」


 せめて友だちとして彼女の心の支えにはなりたかった。


(それにあたしだってちょっとはカッコつけたいし)

 そう思っていると、ルティは嬉しそうに「シェリルさん、ありがとうございます」と微笑んだ。


「ねえ、ルティ」

「なんですか?」

「シェリルって呼んでよ」


 気付いたら声に出ていた。突拍子もない提案に、ルティは目を見開いた。


「えっ、いいんですか?」

「はじめての友だちだったから、なかなか機会がつかめなかったんだけど。もっとあなたと仲良くなりたくて……敬語も外してもいいから」


 自分で言っていて恥ずかしくってたまらない。顔がじわじわと熱を帯びていくが、ルティにはその表情を見られてもかまわなかった。


「わたしが敬語なのは、家族同士で話すとき以外はみんな敬語を使っていたからなんですけど。そうですね、うん」

 ルティは屈託のない笑みを浮かべ、シェリルの手を包み込む。


「改めてよろしくね、シェリル」

「こちらこそ、ルティ」


 そういってシェリルも心からの笑みを浮かべた。

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