終章 『たとえ呪いを背負っていようと』
三年前に竜が顕現したとき。
ルティがレイスの背中を押し、彼の潜在能力を『解放』していなかったら。彼は英雄にならず、家族と決別することもなかった。
だけど、もしもレイスが竜を退けなかったら。ルティは家族を失い、自分も生きてはいなかった。
白魔導士になって、家族を守りたい。
その気持ちだけでここまで頑張ってきたが……ダリアトルムの鍵という身に余る力と、呪いのように濃密なレイスとの運命が、いまになって重くのしかかる。
(わたしが背中を押したせいで、レイスがたくさん苦しんだ)
レイスが英雄になったのは、ルティの力だけではないことはわかっている。
でも、すぐにそれを受け止めることはできなくて。
ルティはレイスを避けるようになってしまった。
◆
数日後。
ルティは教室の窓から外を見つめる。
すっかり木々の葉が落ち、日中でも冷え込むようになった。ベストの上からセーターを着こまなければ風邪を引いてしまいそうだ。
「ルティリエール・エルトナー、前へ」
「はい!」
天文学の先生に名前を呼ばれて席を立つ。今日は筆記試験の答案用紙が返却される日だった。
緊張した面持ちで教壇に向かうと、天文学の先生と対面する。
「この調子で頑張ってくださいね」
そういって彼女は微笑んだ。ルティは表情をパッと明るくさせ「ありがとうございます」と、答案用紙を受け取る。点数は九十点台だった。
口元を緩ませながら席に着くと、天文学の先生は声を張る。
「赤点の人は本日の放課後から補講を行います。いまから覚悟しておくように」
これにて授業を終了します、と彼女は教壇から離れていく。
ルティがその場でぐっと背伸びをすると、誰かに名前を呼ばれる。
優しさを含んだ低い声色を聞いて、一拍置いてから、ここ最近で鍛えられた表情筋を駆使して笑顔をつくる。
「レイス、わざわざこの教室に来てくれるなんて。なにかありましたか?」
そう告げると、彼は目を見張ったあと、眉を寄せながら弱々しく微笑む。
「もしよかったら、一緒に二限の教室に行かないか? 今日の放課後にやる、焼き芋パーティーのことも話したいし」
「あー……せっかくのお誘いですけど、ちょっと用事があって。二限目はジェドと行ってください」
ルティはレイスから目を背けるように席を立つ。
そのとき、手首を掴まれた。
「逃げるのか?」
鋭い声に、ルティはまぶたを強く閉じる。
「……ごめん、いまは一人にさせて」
レイスは一瞬だけ力を込めたあと、その言葉に従うように手首を放した。
(本当にごめん)
ルティはぎゅっと拳を握り締め、踵を返す。そのまま黙々と廊下を歩き、足を速めるが……。
(なんでついてくるのよ!)
背後からレイスの気配がする。彼が悠然と廊下を歩けば、不思議と他の生徒たちは左右に避ける。
埒が明かない。ルティはわざと前方にいた人混みの中に身を滑らせて、姿が見えないよう紛れる。
(まあ、二限目の教室が同じだからどうせ顔を合わせちゃうんだけど)
とにかく、これからも彼と一緒にいるためにも心の準備が欲しいのだ。
「ルティリエール・エルトナー!」
「!」
ぎょっとして振り返ると、レイスが壁を伝って人混みを飛び越えた。
(は、え? ちょっと)
ルティは呆然としてレイスの動きを目で追う。彼は無駄のない動作でルティの目の前に降り立った。
驚きのあまり二歩、三歩と後退すると、レイスに両手を掴まれる。
「……⁉」
「いろいろ驚いたよな」
「う、うん」
なんとか頷くと、レイスは切迫した声で告げる。
「俺もまだ戸惑っている部分がある」
「そ、そっか」
「君にどんな言葉をかければいいのか、ずっと迷っていた。距離を置くべきなのかもしれないとも考えた。でもやっぱりこれだけは
レイスは一段とルティの手を掴む手に力を込める。
「君と出会えてよかった――それが俺の答えだ」
そのとき風が吹き、ルティの亜麻色の髪をなびかせる。
(……ああ)
レイスの真剣な眼差しを見て、ルティは一度だけ目を伏せてから、泣きそうな顔で想いを告げる。
「わたしも、同じ気持ちだよ」
「……よかった」
レイスは目を和ませると、両手でルティの頬を包み込む。
彼の指の付け根には剣術の鍛錬でできた豆がある。少しささくれているためちょっと痛い。でも血の通った温もりがなによりも嬉しくて、涙が溢れ出る。
それはレイスも同様だった。
「ルティ」
「なあに?」
「今度の長期休みのとき、生家に帰ろうと思うんだ……だから、その、もしよかったら一緒に来てくれないか?」
レイスは家族のことを思い出しているのか、表情が強張っていた。
ルティはレイスを笑顔にするため、背伸びをして彼の頬に触れる。
「もちろんだよ!」
「! ……ありがとう」
互いに顔を寄せ合って、思い切り笑い合う。
すると周囲から拍手があがった。
◆
放課後になって、ルティとレイスは手を繋ぎ合い、中庭を目指す。蔦に覆われたあの隙間を通っていくと、すでにジェラルドとシェリルとハーウェイがいた。
「二人とも、遅いではないか」
「ちょっとジェラルド、お熱い二人を急かすのは野暮ってもんじゃない?」
「まあまあ、めでたいことだから」
ジェラルドたちの言葉に、ルティとレイスは頬を赤く染めてぱっと手を放す。
いまさらなにを言っているんだとツッコまれるかもしれないが、レイスに対して友愛、敬愛、恋愛が入り交ざって、この関係に名前をつけるのが難しいのだ。
彼らもそれを察しているのか、ニヤニヤするだけでこれ以上は言及しなかった。
『おい、お前たち! そろそろ芋が焼けるぞ!』
そういって声をかけたのは巨大チンチラの魔物であるポルティコだった。
「は、はい! いま行きます!」
ルティたちはローブを石のベンチに置いてから、制服を腕まくりし、それぞれ準備をする。
いよいよ焼き芋パーティーの始まりだ。
事前にレイスとハーウェイがいろんな芋を買いに行き、ルティとシェリルが昨夜に木の実入りのパンを焼き、ポルティコが落ち葉を集めて芋を焼いてくれていた。
レイスが木の枝を使い、慣れた手つきで落ち葉をかき分けていくと、古紙に包まれた芋が出てくる。それを取り出すと、ルティとシェリルとハーウェイが古紙をむいていく。
ルティの古紙からは、紫色の薄皮に包まれた芋が出てきた。二つに割れば、ホクホクとした黄金色の断面があらわれる。
「美味しそうですね~」
「こっちのジャガイモもいい感じよ。切れ込みを入れたから、バターやチーズがあれば最高ね」
ふわり、と芋のあまい香りが漂い、ルティたちは胸を躍らせる。
食べやすいようにそれぞれをお皿に取り分けていると、ジェラルドが重厚な木箱を取り出した。
「さて、諸君。これが王室御用達のジュースだ」
木箱を開けると、金色の装飾がほどこされた瓶にワイン色の液体が入っていた。
おお、と歓声が上がるが、すかさずシェリルが眉を寄せる。
「……お酒じゃないわよね?」
「たわけ。いたって普通のぶどうジュースだ」
「でも高級品ですよね? すごい、美味しそう」
「俺、いまいち高級品の味がわからないんだよな……」
「でもレイス君、これってエイン農園のぶどうを使っているみたいだよ?」
「じゃあ美味しいに決まっている」
わいわいと好き勝手に喋っていると、中庭の出入り口の蔦が揺れた。
「ごめーん! 遅れた!」
そういって現れたのはアキルスだった。
「なんで今日にかぎって天文学の補講なんだよ」
アキルスがげんなりとした顔でぼやくと、シェリルが「ちゃんと勉強しないからでしょ」ときっぱり告げる。
「ぐああ! 正論! じゃあ今度、勉強を教えてよ」
「ああ、いいぞ」
「うむ、もちろんだとも」
レイスとジェラルドが快く頷く。
「うわぁ……首席と次席に教わるとか贅沢だな。じゃあ、しっかりお礼の先払いをしないと」
アキルスはそういって、片手で持っていたカゴを石のテーブルの上に置き、中から小瓶に入ったはちみつや胡椒などの調味料が取り出した。
これだけでも十分嬉しいのに、アキルスは挑発的な笑みを浮かべる。
「おっと、みんな。これだけじゃないよ」
次に取り出したのはベーコンとチーズとバターの塊だった。
ルティはぱっと目を輝かす。
「すごい! 美味しそうですね!」
「だろう? ベーコンもあぶって食べようよ」
これにはレイスとジェラルドもうなる。
「さすがアキルス」
「どこから入手したのだ?」
「酪農家の知り合いがこの学校にいてさ。譲ってもらったんだ」
「普通、そんな知り合いいないわよ」
「アキルス君、すごいなあ」
シェリルとハーウェイの誉め言葉に、アキルスは「えへへ」と鼻下をさする。
そして――
六人と一匹は準備を終え、ぶどうジュースが入ったグラスを片手に持つ。
「ルティ、掛け声を」
レイスに託され、ルティはみんなの表情を見回す。
入学してから数か月。いろんなことがあった。
時には喧嘩をしたり、決別したり、泣いたり、笑ったり。
本当にいろいろあったけど。
たとえ、運命という呪いや、見た目による呪い、親からの呪いや、自責という呪いに、疎外感という呪いが何度立ちふさがろうと、みんなと一緒なら乗り越えられる。
ルティは屈託のない笑みを浮かべる。
「では、輝かしい学生生活に!」
「乾杯!」
竜とダリアトルムの鍵 夏樹りょう @natsukiryo
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