その45「底力と抱擁」
サクラの脚が、力を取り戻した。
荒々しくも力強く、サクラは前へ進んでいった。
「そう。やれば出来るじゃないの」
「……どうも。
珍しいですね。
ノバナさんが、
試合中に励ましてくれるのって」
「そうね。
ただなんとなく、
今のあなたとなら、
話をしても良いかと思ったのよ」
「……すいません」
「謝る暇が有ったら、
ちゃんと走りなさい」
「はい!」
2人は言葉を止めた。
サクラはただ、全力で走った。
いつもより、脚が軽かった。
最下位に落ちていた彼女の順位が、10位程度に盛り返した。
彼女の走りは、今までに無く澄み渡っていた。
(ああ……なんかスッキリしてるな……。
カースのことなんか考えずに
ただ、全力で走る。
そんな走り、
今までしてこなかったなぁ。
私はずっと……本気で走るってことから
目を背けてた。
1年も、間違った道を走ってた。
もっと速く走りたいな。
カースなんか無ければ……。
最初から、
走りのことだけ考えてれば、
もっと速く走れてたのかな。
……ううん。
あのカースは、きっと、私の心だ。
私の心が弱いから、
人を脅かすようなカースが
産まれてしまった。
自分自身と向き合えてなかった。
強くなりたいな。
走りだけじゃなくて、
心の底から強くなりたい)
「強く……!」
派手で暴力的なだけのカースなんかいらない。
芯からの強さが欲しい
サクラはそう願った。
彼女の心が、ガーデンカースから離れていった。
カースとは、猫の心を源とした力だ。
心が変わればカースも変わる。
サクラの内で、新たなカースが形作られていった。
俗に『ねこ進化』と言われる、猫の成長現象だ。
「『大命爆-だいめいばく-』」
無意識に、サクラの口から、カース名が漏れた。
次の瞬間、サクラにかけられていた強化呪文の炎が、輝きを増した。
「…………!」
ジョッキーのノバナは、それに驚きつつも、現状を分析した。
(これはねこ進化……!
サクラのカース属性は炎……。
私の強化呪文を、
サクラの力が強めているの……?
あの強大なガーデンを生み出していたサクラの素質が、
シンプルな
走りのためだけのカースへと
昇華された。
これなら……この子はもっと先へ行ける……!)
「行きなさい。サクラ。
あの小生意気な銀色の猫を
捕まえるのよ」
「はい!
うみゃみゃみゃみゃっ!」
大気圏に突入した隕石のように熱く、サクラは加速した。
今までとは比較にならない速度で、サクラはライバルたちを追い抜いていった。
……。
レース先頭を、ニャツキが独走していた。
大カーブを終えた先には、緩めの左カーブが有った。
次の直線の先には、左45のコーナーが見えた。
そのコーナーを曲がった先には、逆向きに、同じ角度のコーナーが有った。
その先に見えたのは、緩めの右カーブだ。
レースは既に終盤だ。
だというのに、ニャツキの表情はヌルい。
自分の勝利を、微塵も疑っていない様子だった。
だが……。
チリチリと、背中を焦がすような感覚に、ヒナタは振り返った。
「……何か来る。
熱い何かが……」
ヒナタは真剣な表情で呟いた。
それに対して、ニャツキはのんびりと尋ねた。
「えっ? 何が来るんですか?」
「そりゃあ猫だろうがよ。
ここは競ニャ場だぞ」
「まさか。
地方競ニャのEランク猫が、
俺様に
追いつけるはずがありません。
俺様は、宇宙最速なのですから」
「そうかよ。
だったらこれからの事は……
夢だとでも思うんだな」
「っ……」
冗談ではない。
ヒナタの真剣な口調から、ニャツキはそれを悟った。
ニャツキは後ろへ振り向いた。
本来、ランニャーというのは後ろを向くべきではない。
だが、そうしてしまっていた。
すると……。
「みゃああああああぁぁぁっ!」
熱気と鳴き声が、ニャツキたちに迫ってくるのが見えた。
「まさか本当に……!?」
「みゃ! みゃみゃみゃっ!」
やがてニャツキの瞳に、サクラの姿が映った。
その姿は、かつてないほどに眩しく、燃え盛っていた。
「サクラさん……!?」
完全に分からせたはずの彼女が、どうしてここに。
ニャツキは驚きの声を上げた。
サクラはニャツキに並んだ。
そして頭1つ分、ニャツキよりも抜け出した。
信じられない事態に、ニャツキの声が震えた。
「まさか……まさかこの俺様が……
地方のレースなんかで……」
「本気を出すことになるなんて」
「みゃ……!?」
次に驚きの声を上げたのは、サクラの方だった。
サクラのスピードは、Eランクレースのレベルを、遥かに超えていた。
だがニャツキは、そんなサクラよりも、さらに次のスピードへと進んでみせた。
サクラとニャツキの速度差が、再び逆転した。
「脚を残していたの……!?」
ぶるりと。
サクラの鞍上のノバナが、ニャツキという怪物に震えを見せた。
(ああ……。
やっぱりこいつ……めちゃくちゃ速いな……)
今の自分の力は、やはりニャツキには及ばない。
サクラはそれを理解した。
(だけど……
最後まで全力で走りぬく!)
サクラは戦いから逃げなかった。
暴力に頼っていた彼女にとって、初めての、脚による真剣勝負だった。
気力と体力の限界が試される、つらい戦いだ。
魔力は磨り減り、脚には疲労が増していく。
それでもサクラは脚を止めない。
ランニャーだからだ。
だが、実力差という現実が、2頭の距離をはなしていった。
「ふふっ。俺様の勝ちです」
余裕に満ちた表情で、ニャツキは勝ちを宣言した。
そのとき。
「『残断-ざんだん-』……!」
観客席で、呟く者が居た。
「ぐっ!?」
ヒナタが呻いた。
ニャツキの鞍の手綱が、ぷっつりと切れていた。
ヒナタの体が揺らいだ。
「ヒナタさん!? どうしました!?」
何かが起きた。
そう気付いたニャツキは、ヒナタに声をかけた。
「手綱が切れた……!」
「えっ……!?」
「まずい……!」
不安定化した鞍上で、ヒナタの体がぐらぐらと揺れた。
今にも落ちそうな様子を見せつつも、彼はなんとか鞍上に踏みとどまった。
その姿は、サクラの瞳にも、しっかりと映っていた。
(ニャツキの手綱が切れた……!?
手綱なんて、
1番に点検する所だ。
そう簡単に切れるはずが……。
カースの攻撃でも食らったんじゃ無けりゃ……。
カース……?)
「これであねさんの勝ちだ……!」
観客席の階段で、コジロウが歪んだ笑みを浮かべた。
「あねさん……ウチは……」
ムサシは、暗い顔で俯いていた。
「そうか……。
そういうことか……」
サクラが呟いた。
「ごめんな。ムサシ。コジロウ」
全てを察したサクラは、脚を止めた。
立ち止まったサクラを、後続の猫たちが追い抜いていった。
「あねさん……? どうして……?」
ニャツキを仕留めれば、サクラが勝つ。
そう考えていたコジロウは、呆然とした顔で、よろりと前に歩こうとした。
そこが階段であるということも忘れて。
「あっ……?」
コジロウは、足を踏み外した。
そして、体のあちこちをぶつけながら、一番下まで転がり落ちていった。
「コジロウ! コジロウッ……!」
涙目のムサシが、慌てて階段を駆け下りていった。
一方。
落ニャしそうになったヒナタを見て、ニャツキは失速してしまった。
ニャツキはヒナタに呼びかけた。
「あの時みたいに
呪文で直せないのですか……!?」
「あれは集中力が要るんだよ……!
レース中には無理だ……!」
「な……なんとかしてください!
あなたが落ニャしたら、
俺様たちは
失格になってしまうのですよ!?」
「なんとか……か」
ヒナタは一瞬、何かを考える様子を見せた。
そして次にこう言った。
「すまん……抱くぞ……!」
「えっ……!」
ヒナタは両腕で、がっしりとニャツキに抱きついた。
「にゃっ……!?」
「お姉さまっ!!!???」
客席でリリスが絶叫した。
「ヒニャタさん……!?」
それはジョッキーとしては、前代未聞の行動だった。
ニャツキはヒナタに、戸惑いの声を向けた。
「緊急時だ。許せ」
真剣な声音でそう言われると、ニャツキには抗議することなどできなかった。
「ひゃ……ひゃい……!
緊急時ですからね……!?」
「まだゴールじゃない。
しっかり走れよ」
「わかってますけど……!
そんな体勢で
だいじょうぶなのですか……!?」
普通に座っているよりは、落ニャしづらくはなるのだろう。
だがそれで、自分のトップスピードに耐えられるのか。
全速を出せば、ヒナタは落ちてしまうのではないか。
ニャツキは不安を消し去ることができなかった。
「問題ねーよ。
だから、全力で走れ」
「ですが……!」
ためらうニャツキを、ヒナタは怒鳴りつけた。
「チンタラしてたら追いつかれるぞ!
負けても良いのか!
絶対に、死んでもおまえを離さねえ!
ジョッキーってのは、
ランニャーを勝たせるのが仕事だ!
俺を信じろ!
ジョッキーを信じろよ!」
(信じる……?
俺様が……他人を……?)
自分と家族以外の誰かを信じる。
それは今までのニャツキにとっては、ありえないことだった。
だが……。
ニャツキの心の中を、今までのヒナタの行いが流れていった。
悪態をつきながら、いつだって自分を助けてくれる。
最初のエントリーの時も、デビュー戦の時も、今日の試合前だって。
ハヤテ=ニャツキにとって、キタカゼ=ヒナタとは、そんなジョッキーだった。
パートニャーだった。
「信じて……良いのですか?」
ニャツキはそう呟いていた。
「おう。任せとけ」
ヒナタは力強く言い切った。
彼は絶対に、言ったことを守る。
ニャツキには、そのように思えたのだった。
「…………あなたを信じます!」
後続の猫たちが、ニャツキに迫っていた。
だが、彼女たちが、ニャツキを追い抜くことは無かった。
2位の猫が、ニャツキに届きかけた、次の瞬間。
ニャツキは一瞬で、トップスピードにまで到達していた。
追いつかれかけたという事実を、ニャツキは認識していなかった。
彼女はただ、前を見て駆けていた。
(…………ってあれ……?)
そのとき、ニャツキは自分の走りに、違和感を覚えた。
(なんだかいつもより……
脚が軽いような気が……?)
疲労感がまったく無い。
ただ楽しく、どこまでも前に行けるような気がする。
ニャツキはどうしてかと考えた。
(そうか……!)
ニャツキは答えを出した。
(ヒニャタさんの
姿勢が低くなったことで、
空気抵抗が減ったのですね!
この短時間にそれに気付くとは、
さすがは俺様です!)
ニャツキはウキウキと地面を蹴り、さらに加速した。
後続を100ニャ身以上も置き去りにして、1着でゴールを抜けた。
連続で1位になったことによって、Cランクへの飛び級が決まった。
勝利を手にしたニャツキは、弾んだ声で、ヒナタに話しかけた。
「勝ちですね。
俺様たちの勝ちですね。
まあ当然ですけどね。
ふふふ」
ヒナタは上体を起こした。
「……そうだな。
おまえの勝ちだ」
ヒナタとの声音の温度差に、このときのニャツキは気付けなかった。
後続の猫たちが、次々にゴールに到着した。
サクラは走行中断のため失格。
最下位に終わった。
サクラのねこポイントが、大きくマイナスされた。
彼女のFランク降格が決まった。
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