その21「リリスとお姉さま」





「デビュー戦に……私は勝てるでしょうか……?」



「無理ですね」



 不安そうに尋ねるリリスに、ニャツキはきっぱりと言った。



「ええっ!?」



 どうして不安を煽るようなことを言うのか。



 リリスは思わず驚きの声を上げた。



 ニャツキは言葉を続けた。



「なにせ、俺様が居ますから」



 宇宙最速の自分が同じレースに出るのだから、リリスごときに勝ち目は無い。



 ニャツキはそう言いたいらしかった。



「あっ、そういう意味でしたか」



 実際、前の勝負では、リリスはニャツキに手も足も出なかった。



 リリスはニャツキの言葉に対し、納得したような表情を見せた。



 のほほんとしてきたリリスの態度を、ニャツキはたしなめた。



「何を安心した顔をしているのですか。


 俺様に負けるのが、


 悔しくないというのですか?


 あなたのレースにかける気持ちというのは、


 その程度のモノなのですか?」



 レースに勝つために必要なのは、走りの才能だけでは無い。



 ギリギリの勝負となった時には、気持ちの強さも必要になってくる。



 競争ニャには、闘争心が必要だ。



 戦う前から負けを認めるような態度は、好ましいことは言えない。



 ニャツキはそのように考えているようだった。



「それは……。


 もし私が頑張ったら、


 デビュー戦でトレーニャーさんに


 勝つことができますか?」



「絶対に無理です。


 天地がひっくり返っても


 ありえません」



「酷い!?」



「俺様が宇宙最速なのは、


 覆しようのない宇宙の真理なので、


 仕方が無いのです。


 諦めてください」



「諦めるのは


 気持ちが足りていないのでは?」



「む……。


 では、絶対に俺様には勝てませんが、


 勝つ気持ちを


 捨てないでください」



「そうします」



 そうするらしかった。



「……デビュー戦が終わったら、


 レベル上げはどうするんですか?」



 デビュー戦が終わるまでは、リリスのレベル上げはしない。



 ニャツキはそう決めていた。



 だが、いつまでも低レベルというわけにも行かないだろう。



 ホテルヤニャギには、専属の冒険者は居ないらしい。



 それでどうやってレベルを上げるのか、リリスには疑問なようだった。



「そのときは、


 俺様に任せてください。


 俺様がなんとかします」



「魔石を安く手に入れるルートでも


 有るんですか?」



「いえ。まったく。


 俺様が、あなたが食べる魔石を、


 取ってくるということです」



「トレーニャーさんが


 ダンジョンに潜るんですか?


 そこまでしてもらうわけには……」



 ダンジョンは、階層が深くなるほど、負傷の危険が増える。



 軽症であれば、呪文や回復ポーションで治療できる。



 だが、治らない怪我も有る。



 それに1歩間違えれば、死の危険すら有るのがダンジョンだ。



 ニャツキもランニャーだ。



 万が一のことが有っては、レースに支障が出るかもしれない。



 自分のためにニャツキがダンジョンに行くのは、良くないのではないか。



 リリスには、そう思えてならないのだった。



「気にしないでください。


 1度面倒を見ると決めたからには、


 中途半端なことは


 できませんから」



「ですが……トレーニャーさんが危険になりますし……。


 どうせなら2人で行った方が……」



「いけません。


 担当ランニャーをダンジョンに行かせるなど、


 トレーニャー失格です。


 あなたの体は、


 俺様にとっても大切なものです。


 絶対に、傷1つとしてつけさせはしませんから」



 ニャツキは真剣な顔で言った。



「ひゃ……ひゃい……」



 凛々しさの有るニャツキの顔を見て、リリスの声が乱れた。



「分かっていただけたようで、なによりです」



「あの、お姉さまと呼ばせていただいても構いませんか?」



「えっ? べつに良いですけど」



「……お姉さま」



「はい」



「デュフフ……」



「…………?」




 ……。




 イバラキ県。



 ニャホンに2つしかないトレーニングタウンの1つ。



 ミホトレーニングタウン。



 そこには、ホテルヨコヤマが所有する練習用コースが有った。



 ホテルヨコヤマは、リットーにも、いくつもの施設を所有している。



 だが、ヨコヤマの本拠地は、ここミホの方だ。



 ヨコヤマ=レンも、ミホを活動の拠点としていた。



 レンはコースの外側から、コース内を見ていた。



 1頭の猫が、延々とコースを走っていた。



「…………」



 やがて猫は足を止めた。



 その猫は、言わずと知れた三冠ニャ、キタカゼ=マニャだった。



「やあ」



 レンは愛する妻に声をかけた。



「どうしたの?


 こんな時間にコースまで来て」



 マニャはそう言って、空を見上げた。



 空は青い。



 まともな社会人が、暇を持て余す時刻では無いはずだが……。



「いけないか?


 愛する妻の、


 がんばる姿を見に来たら」



「べつに、好きにすれば良いけど。


 忙しい身でしょう?


 ねえ。社長さん」



 レンは父親から、社長の地位を継いでいた。



 父親からの口出しは、無いわけでは無い。



 だが、既に業務の大部分は、レンの裁量に一任されていた。



 レンは既に、ホテル=ヨコヤマの未来を背負う立場に居る。



 1000人を超える社員たちの暮らしが、彼の手腕に委ねられていた。



 そんな責任重い立場のレンだが、その態度には、気負った様子は見られなかった。



「忙しいなんてのは、


 顎で使われる下っ端か、


 時間の使い方が下手な、


 無能なやつの言葉さ。


 まともな経営者なら、


 多少の時間は持て余しているものだ」



「そう。暇そうで羨ましいわね」



「君も、


 前はもっと時間が有った。


 最近の君は、


 余裕が無いように見える」



「……怖いのよ。負けるのが。


 私以上の才能が出てきて、


 置いていかれてしまうのが。


 だから、やれることはやっておきたいの」



「そんなムチャをしなくても、


 君は十分に速い」



「気安く言わないで。


 私は絶対に、


 負けられないんだから」



「それは分かっているがな。


 夫としては、


 妻に構ってもらえないのは


 寂しいものだ」



 レンが休みの日でも、マニャはトレーニングに熱中している。



 夫婦でゆったりとした時間を過ごせた日など、もう長いこと無かった。



「毎晩相手してあげてるでしょう?


 それで不満なの?」



「夫婦の時間っていうのは、


 それだけじゃ無いだろ?


 一緒に旅行に行ったり、


 それに……。


 孫の顔を、俺の親も見たがってる」



「……もう2年待って。


 そうしたら、何人でも産んであげるから」



 妊娠してしまえば、ランニャーとしての活動に支障が出る。



 今のマニャには、子供を作ることは、どうしてもできなかった。



「待ってるぞ。


 俺ももう、若くないからな」



 レンは寂しそうに笑って言った。




 ……。




 リットートレーニングタウン。



 ホテルヤニャギの食堂で、ニャツキたちはお昼ごはんを食べていた。



「それにしてもですね、お姉さま」



 食事の合間に、リリスはニャツキに話しかけた。



「お姉さま?」



 妙な呼び方だ。



 ミヤが、疑問を抱いた様子を見せた。



「そう呼ばせてもらうことになったんです。


 ね、お姉さま」



「そうですね」



「ふーん……?」



 たいして興味も無かったのか、ミヤがそれ以上を聞いてくることは無かった。



「それで、何の話でしたっけ?」



 ニャツキがリリスに尋ねた。



「危険なダンジョンに


 行かなくて良いというのは


 ありがたい話なのですが、


 何もしなくても良いというのは


 逆につらい気がします。


 コースで走ったりしては


 いけないんですか?」



「べつに構いませんよ」



「えっ? 良いんですか?」



「効率的なトレーニングでは無いというだけで、


 ペースを抑えて走るのであれば、


 害になるわけではありませんからね。


 体が出来上がってくるまでは、


 あまりムチャをされると困りますけど」



「そういう言い方をされると、


 なんだかやる気が無くなってしまいます……。


 もっと、やればやるだけ速くなれるようなトレーニングは


 無いんですか?」



「気持ちはわかりますけどね、


 猫の走りというのは


 一朝一夕で


 速くなるものではありませんよ」



「うーん……。


 ダンジョンに潜っていた時の方が、


 気持ちは楽だったような気がします……」




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