その33「大人とお願い」



「けど、ねーちゃんのデビュー戦は、


 明日だけだろ?」



「そうですけどね」



 ニャツキは興味無さそうに言った。



 自分の輝かしい初勝利を、家族にも見て欲しい。



 その欲を、ニャツキは表には出さない。



 自分の事よりも、母親の方が大切だからだ。



「絶対に勝てよなー。


 負けんなよー」



「それはもう。


 俺様は最速ですから」



 ニャツキはハッキリと言った。



 この宇宙で、自分が一番速い。



 そうでなくては、自分がこの世に生まれてきた意味は無い。



 そんな信仰が有った。



「相変わらず、すげー自信だな。


 ヒナタってやつとはどうだ?


 うまくやってんのか?」



 突然にヒナタの言葉が出て、ニャツキの体が強張った。



 ニャツキは固い表情で言った。



「……いえ。そんなには」



「なんだ?


 ケンカしてんのか? 倦怠期か?」



「倦怠期って……。


 どこからそんな情報を仕入れてくるんですか……」



 ケンタとの会話が終わると、次は父のケンイチと話した。




 ……。




「おやすみ。ニャツキ」



 会話に一区切りつくと、ケンイチがそう言った。



「はい。おやすみなさい。パパ」



 ニャツキは電話を切ると、携帯をポケットにしまった。



 そして考えた。



(さて……。


 これからどうしましょうか……)



 ニャツキはホテルに戻った。



 そしてロビーでエレベーターに乗り、自室が有る階へと出た。



 ニャツキは自室には戻らず、廊下をゆっくりと歩いた。



(あいつの部屋は……。


 たしかこの辺のはずですが……)



 ニャツキの足は、ヒナタの部屋へと向かっていた。



 会ってどうするというのか。



 あいつと話したところで、何かが解決するとでもいうのか。



 ニャツキの中で、はっきりとした答えは出ていなかった。



 ニャツキは怯えるような足取りで、廊下を進んでいった。



 ニャツキは廊下で、ヒナタの姿を発見した。



(居た……)



 高めの身長に、美しい銀髪、はっきりとした目鼻。



 遠目でも、見間違えるようなことは無かった。



 ニャツキは彼に近寄ろうとした。



 そのとき……。



「何の用だ?」



(えっ……?)



 ニャツキは驚いて、足を止めた。



 一瞬、自分が声をかけられたのかと思った。



 だが、ヒナタが言葉を向けたのは、ニャツキでは無かった。



 ヒナタの視線の先には、リリスの姿が有った。



(リリスさん……?)



 ニャツキは反射的に、近くに有ったドアに、体を張りつかせた。



 このホテルのドアは、廊下の普通の壁よりも、少しくぼんだ位置に有る。



 ニャツキはヒナタから隠れた状態になった。



 ニャツキはにゃっと顔を出し、ヒナタたちの様子をうかがった。



 ヒナタたちが居るのは、彼の部屋の前のようだった。



 ヒナタは自室の扉を開いた状態で、リリスと向かい合っていた。



 リリスが口を開いた。



「少しお話をさせてもらっても


 良いですか?」



「ああ。べつに構わんが……」



 そう言って、ヒナタは周囲をきょろきょろと見た。



(にゃ……!)



 ニャツキは慌てて頭を引っ込めた。



「聞かれて困る話か?」



「そうかもしれませんね」



「どっか人の少ない場所にでも行くか?」



「あなたの部屋で構わないと思いますが」



「いや、それは……」



「おじゃまします」



 もう日は沈んでいる。



 だがリリスは躊躇せず、男の部屋に入っていった。



 ヒナタは内側から、部屋の扉を閉めた。



「……………………」



 ニャツキは廊下に取り残された。



(あの2人……。


 そういう関係だったのでしょうか……?


 まあべつに、


 どうでも良いですけど。


 あんなヤツ。


 部屋に……帰りましょうか……)



 ニャツキはとぼとぼと、自室に戻っていった。



 ……一方、ヒナタの寝室。



「座れよ」



「……失礼します」



 ヒナタに言われ、リリスはベッドに腰かけた。



 ヒナタはリリスから、少し離れて座り、彼女に尋ねた。



「それで?


 年頃の女子が、こんな時間に、


 男の部屋に何の用だ?」



 軽率な行動を取ったリリスを責めているのか。



 ヒナタの声音からは、棘が感じられた。



「勘違いしないでください。


 不届きな目的は


 ありませんから」



「わかってるさ。


 おまえの普段の様子を見てたらな。


 けど、勘違いする野郎も居るからな。


 気をつけた方が良いぜ」



「……そうですか」



「話」



「あの……。


 お姉さまに、


 もう少し優しくしてあげられませんか?」



「はぁ?」



「今のあなたが


 ジョッキーとして不当な扱いをされていて、


 納得が行かないというのはわかります。


 ですがそれでも、


 お姉さまはあなたのパートニャーです」



「かりそめのな」



 ヒナタは冷たく言った。



 ヒナタにとって、パートニャーとは、お互いを信頼しあう、唯一無二の相棒だ。



 ニャツキはジョッキーを信頼していないと、きっぱり明言している。



 そんなものは、本当のパートニャーでは無い。



 ヒナタはそう思っているし、他の多くのジョッキーも、そう考えることだろう。



「それでもです。


 あなたがお姉さまの事を


 気に入らないのなら、


 早く勝ち星をあげた方が、


 お姉さまから離れやすくもなるでしょう?


 お姉さまのメンタルが崩れてしまっては、


 それも難しくなります。


 お姉さまに優しくすることは、


 結果的に、


 あなたの為にもなる。


 そうは思いませんか?」



「メンタルって


 あの図太い女のメンタルが、


 何だって言うんだ?


 いっつも自信満面じゃねえか」



 ヒナタと居る時のニャツキは、いつも偉そうにしている。



 傲岸不遜という言葉を擬人化したような女。



 それがヒナタから見た、ニャツキというランニャーだった。



 お強いメンタルを持っていなければ、あんな振る舞いはできないだろう。



 そんな女のメンタルを、どうして気遣ってやる必要が有るのか。



 ヒナタはそんなふうに考えていた。



 だが、対するリリスの考えは、ヒナタとは異なっていた。



「たしかに。


 最初に出会った時、


 お姉さまは


 とても強い人なのだなと思いました。


 自信が有り、颯爽として、


 自分を曲げない人なのだと。


 ですが、最近になって気付いたんです」



「……何に?」



「どれだけ強いフリをしても、


 お姉さまは、


 16歳の女の子なのですよ。


 私と同じです。


 きっと心の奥には、


 繊細で傷つきやすい部分を持っている。


 そして、何かを怖がっています」



「怖がる? あいつが? 何を?」



「それはわかりませんけど、


 そう感じるんです。


 だからあの人に、


 あまり強く当たらないでください」



「どうして俺が、あいつに譲る必要が有るんだよ」



「あなたは大人でしょう? だから……」



「俺の方が年上だから、


 大人になれってか?


 ……そうだな。


 俺ももう、酒が飲める年齢だしな。


 そうするべきなんだろうさ。


 俺だって、それが出来るって思ってた」



「え……?」



「俺が目指す所は、


 普通のジョッキーとは違う。


 だから、耐えられると思ってた。


 ちょっとジョッキーとして不当な扱いを受けても、


 夢のためなら、


 傷なんてつかないって思ってた。


 けど……。


 俺にもやっぱり有ったんだよ。


 くっだらねえ、


 普通のジョッキーとしてのプライドってやつが。


 割り切ったつもりだったのに


 デビュー戦が近付いてきたら、


 考えちまった。


 俺のたった1度のデビュー戦が、


 あいつのお荷物として終わるんだなって、


 考えちまった。


 それで拗ねてるのさ。俺は。


 わかってる。


 俺がもっと大人なら、


 こんな事にはならなかったんだろうさ。


 けど俺も……やっぱりガキだった。


 拗ねたガキなんだ。俺は」



 ヒナタは笑った。



 それはきっと、自嘲の笑みだ。



 それを見て、リリスの胸がチクリと痛んだ。



 リリスだって、デビュー戦を大切に思っている。



 目の前の男が、同じ気持ちを持っていて、何が悪いというのか。



「キタカゼ=ヒナタ……。


 すいません。


 あなたの気持ちも考えず、


 ムチャを言ってしまったかもしれません」



「しおらしくなるなよ。


 おまえらしくも無い」



「む……。


 私らしいって何ですか」



「いや。


 まあ、俺が弱かったんだろうさ。


 努力してみるさ。


 大人らしく振舞うってヤツをさ」



「……よろしくお願いします。


 その、ほどほどに」




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